父が亡くなってから100か日が過ぎました。
悲しみに暮れていた遺族も、100日をもって泣くことから卒業しようという節目でもあります。
父の遺品整理を始めて、改めて私は、50代の今だからこそやらなければいけない断捨離をすすめていかなければならないのだと思いました。
父の遺品整理
書道に水彩画に古文書の研究。
庭仕事に読書にインターネット。
町内やサークルの役員も引き受け、友人たちとも日帰り旅行を楽しむ。
亡くなる前日まで、毎日を大いに楽しんでいた父だったので、父が遺したモノはそれはそれは膨大な量がありました。
しかし、どんなに父が愛したモノであれ、遺された私たちにとってはそれが何を意味するかわからないものがほとんど。
だけどやっぱりそこには感情が伴うので、亡くなったからと言って父のモノを捨てるのには時間がかかります。
なので、まず最初に父の遺品整理にとりかかったものは、父が町内やサークルの役員として引き受けていた関係書類。
もちろん引継ぎはきちんとした上で、必要な書類もすべて引き渡してからです。
父は40年も前の書類からすべてファイリングして残していたので、その紙類だけでも軽トラ1台分になりました。
次に整理したものは、壊れて使えないモノ。
戦中戦後の貧しい時代を生き抜いた父にとって、モノは平和の象徴であり、自分が苦労して財を築き上げてきたという思い入れもあったのですよね。
壊れて使えないオーディオ機器やラジカセ。
スイッチを入れても点かないスタンドライトや止まったままの時計。
誰が使うわけでもないのに、もう使えないのに、なんでこんなものまでとっておいてるのよ!・・・と、どうしようもなく切なくなったりして。
何十年とかけて少しずつたまっていったモノは、簡単には断捨離できないものなんですね。
そして年齢を重ねれば重ねるほど、気力も体力もなくなっていくのです。
そしてモノへの執着は強くなる一方なんだろうなぁ・・・。
大切なモノと不要なモノ
父が何十年と大事にしまっておいたモノと、父が大切にしていたモノはイコールではありません。
不要なものをすべて抱えてしまい込むと、最終的にはどこに何がしまわれているかもわからなくなり、結果大切なモノも不要なモノも同じ扱いになってしまいます。
大切なモノと不要なモノ。
これを見極める目は、歳をとればとるほど難しくなりますから、やっぱり気力体力のある50代のうちに、本格的に断捨離に取り組まなくてはダメなんだと、父の遺品整理をしていて強く思いました。
母の口癖
父の車を廃車処分にしたあと、父の車庫は処分するモノの置き場となりました。
不用品であふれかえった車庫の中ですが、これらはほんの一部。
家の中には、まだまだ使わないモノがたくさん眠っています。
父の遺品整理のついでに、実家にある眠っているモノを処分しようと母にもちかけてみましたが、母は断固拒否。
「このスペースを今、何かに使うのでなければ、黙って(不要なモノを)しまっておけばいいでしょ!誰に迷惑をかけるわけでもないし」と母。
いやいやいや・・・、いずれ全てを片付けなければならない私が迷惑だっつーの!・・・とは、口が裂けても言えませんけどね。
実家には開かずの押し入れ、開かずの納戸のタンスがあるのですが、母ですらそこに何が入っているかは、もうわからないでしょうね。
「私が死んだらすべて捨ててくれ」とは母の口癖ですが、生きている今、必要なモノだけですっきり暮らしたら、もっと快適なのに・・・と思う私とは、やはり生きてきた時代背景がちがうのだから、しかたがないことなんでしょう。
50代の断捨離の定義
自分のモノは、必要か必要でないか見極めることができるので、捨てることもできます。
ところが、父が遺したモノはどれほど父の思い入れがあるのか判断しかねるので、処分するにしてもついつい手が止まってしまうのです。
親の遺品整理に、莫大な時間を要するのは、こういうことなんですね。
父の遺品整理は、まだまだ時間がかかりますが、自分のモノの整理はしていきたいと思いました。
いつか使うかもしれない、まだ使える・・・、そんな定義では、断捨離はできないというのは、よーくわかっています。
私の断捨離の定義は「心地よい暮らしをイメージしたとき、それが必要か否か」ということ。
シンプルで快適な空間を目指して、そして処分にためらわれるようなモノを残して子どもたちを困らせないよう、断捨離を進めていきたい。
私の50代が、快適で心地よい暮らしでありたいために。
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