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喪中はがきで混乱 軽度認知障害と思われる最近の母の様子

喪中はがきがチラホラ届く時期となりました。

父が亡くなったことを知らない遠方に住む方からも、父宛てに喪中はがきが届きます。

 

それをみて母は「黙ってそのままにしておけばいい」と言いましたが、私は母に代わって母の名前で相手へ喪中はがきを送りました。

もちろん母へもそのことを伝えていたのですが、やはり覚えていなかったようで、最近の母はやや混乱しております。

 

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父に届いた喪中はがき

父は顔の広い人だったので、80歳を過ぎても100枚以上の年賀状のやりとりをしていました。

父が亡くなったことを知らない遠方に住む方から、チラホラと喪中はがきが届くようになったのは11月中旬を過ぎたころから。

 

私や夫が年賀状をやりとりしている相手へは喪中はがきは送っても、父が年賀状をやりとりしている相手へ喪中はがきは送っていません。

 

亡くなった父がやりとりしていた年賀状相手へ 喪中はがきと死亡通知と寒中見舞い
今年は父が亡くなった年なので、喪中はがきを準備しなければならないなぁ・・・と考えていました。 私の友人たちとはメールなど...

 

では、父が亡くなったことを知らずに喪中はがきを送ってきた相手へはどうしよう・・・。

母は「このまま黙っておけばいい」と言いましたが、相手の気持ちを考えたらやっぱり失礼だよなぁ・・・と思い、こちらからも喪中はがきを送ることにしました。

 

差出人は母の名前で。

“夫 ○○が五月○○日に永眠しました”という内容で。

母へも、作成した喪中はがきをみせて、相手へ送ることを伝えました。

 

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相手から届いた手紙

母が不思議そうな顔をして、一通の手紙を持ってきました。

みるとその手紙の相手は、先日私が喪中はがきを送ったTさん。

 

本日、喪中はがきを受け取ったこと。

父とは子どもの頃近所に住んでいて、父が弟のようにかわいがってくれたこと。

自分は関東に引っ越してしまったけれど、今でも父との思い出は鮮明に記憶していること。

最後に父に会ったのは10数年以上前になるが、その時父が当時遊んだ懐かしい地元のあちこちを案内してくれたこと。

帰りは空港まで車で送ってくれて、思い出話が尽きなかったこと。

 

などなど、手紙2枚にわたって綴られており、「お花を添えてください」と香典まで包まれておりました。

今年83歳になるというTさんの美しい読みやすい文字に感心しながら、父も逆の立場だったらTさんの奥さんに同じことをしていただろうなぁ・・・と思い、やはり父が亡くなったことをTさんに伝えてよかったと思いました。

 

ところが母は、なぜ今頃Tさんから手紙が届き、なぜ今頃香典を送ってきたのか、さっぱり理解していない様子。

 

先日Tさんから父宛てに喪中はがきが届いたことも、私がTさんへ喪中はがきを送ったことも、すべて覚えていないのでした。

 

軽度認知障害の場合、新しい出来事は覚えられないといいますから、母の記憶がすっぽり抜けていてもしかたのないこと。

最初に来たTさんからの喪中はがきと、私が作成した喪中はがきの見本を見せて説明しても、母は10分の間に10回くらい同じことを聞いてきました。

 

えっ?

最初に向こうから喪中はがきが届いたの?

それでこっちから送ったの?

そうしたらこの手紙が来たのか?

 

この質問を10回され、私は10回「そうだよ、そうだよ」と答えました。←数えていた

新しいことは受け入れられ難い

軽度認知障害の場合、記憶力や思考力が低下するので、新たに入ってきた情報はすっぽりと抜け落ち覚えていないことが多いものです。

そのため、こちらがいくら「この前、こう言ったよね?」と追及したところで、本人は覚えていないのだから、思い出すこともできない。

「言ったでしょ!」と怒っても、本人は不快な思いをするだけなんですよね。

 

昔の記憶は、繰り返し繰り返し思い出しては頭の中に深く刻まれていきますが、新しい記憶は搾取して頭の中にとどめておくことができない。

さらに思考力も低下しているので、いろいろな情報を判断することもできなくなり、記憶しておくこと自体がめんどうになるんでしょうね。

 

父が亡くなって半年。

山のようにあった手続き関係は、ほぼ終わりに近づき、母も私も最近は穏やかに暮らしていたのですが、喪中はがきのやり取りで、再び母は混乱するようになってしまいました。

「私もアタマがボケてなんにもわからなくなってしまった」

時々、母はこんな言葉も口に出すようになりました。

 

ボケてわからなくなることは、全然かまわないんですけどね、私は。

 

それよりも、人の気持ちを逆なでするような言動は、本当にやめていただきたい。

先日も、母の言葉に傷つきムカついて、「もう母と関わるのはやめる!!」と憤慨したところでしたが、このお話はまた後日。

 

いくら怒っても、そこは母娘であって、いっさい関わらないで過ごすというのはとうてい無理な話ですからねぇ・・・。

コメント

  1. ハンナ より:

    私の母は92歳、父が亡くなったあと一人で生活しています。
    祖父母の面倒もあったので、長年の家族のための生活から開放されたのか
    一緒に住もうという私達の申し出をやんわりと断り続けています。

    父が亡くなってすぐのころ、認知症なのか何なのか、
    このまま母も別の世界に行ってしまうんでないかと心配したこともありました。
    でも見事に復活したんです。

    とはいうもののそらはなさんの経験されたようなことが、
    私と母との間でも何度もおこりました。
    今でもありますが、私も母とのやり取りで、同じように学習しました。
    そんなに気にならなくなりました。

    何か不満げなときには、この方が良かったんかなくらいに聞くと、
    そうやねというときもあれば、いやそれでいいよというときもあります。
    もちろん予めこうしようというふうに話し合いはしてるんですよ。
    これでなければだめだと言いはったことなのに
    あとになって全く違うことを言うときもあります。
    そんなときもあれ~そうやった?でかわしてます。

    そらはなさんのブログを読みながら、ホントそうだよなとよく思います。
    私は60代ですが、親のことについても子供のことについてもいろいろと
    共感することが多く、いつも楽しく?読ませて頂いております。
    いつも読みっぱなしですがきょうは少し時間があったので、
    長々と、失礼しました。

    • そらはな より:

      ハンナさんへ♪
      お母さま、92歳で一人暮らし、お元気そうで本当にすばらしいですね。
      ハンナさんの経験談を聞き、なんだか力をもらえました。
      私にとっても母にとっても、これから先のことはお互い初めて遭遇することでもあり、手探りしながら一歩ずつ進んでいくしかないのですよね。
      私も学習せねばと思うのですが、ついついイラっとすることも多々あり・・・。
      こうやって人間って死ぬまで、いろんなことを経験し学んでいくんでしょうねぇ。
      コメントありがとうございました。
      なんだか励まされました(#^^#)

  2. T M ♪ より:

    ご不幸を知ったらお悔やみの手紙を送るというのは、すばらしい習わしだと思います。
    私は年賀状のやり取りをしていたお相手のご遺族から喪中ハガキをいただきました。もう5〜6回受け取りましたかねぇ、年配者、恩師とか上司とか年賀状でのおつきあいが続いていたもので…
    相手にお香典などの気遣いをさせないように死亡通知は見合わせ、無駄に年賀状を送らせないように喪中ハガキのタイミングだったのだと察しました。
    それで、ご遺族宛にどういう間柄か自己紹介を含めたお悔やみ状を送るとともに年賀状リストを整理してそれ以後は年賀状を送らないように止めました。

    距離もつき合いも少し遠くなった方に、それでも時々想っているよと伝えるすばらしいツールと思っているので、私は年賀状を続けます。そのためにも自分の死後の段取りをよく考えておこうと思っています。
    ( 相手が止めたがっているとわかれば、それを尊重しますよ )

    今回のこと、娘さんから知らせても 先方様は受け止めてくださったと思うのだけれど…
    そこはやはりお母様のお名前で送ることが筋だとお思いになって、そうなさったのでしょうね。

    そらはなさんのお母様との関わりとはまた違いますが、私も母との関わりに困難を感じているので身につまされます。
    可愛がられなかったんですよね、幼い頃から可愛げがなかったんでしょう(苦笑) 下の子はずいぶん甘やかされていましたが。
    親の愛って必ずしも公平ではないから。
    可愛がられなかったのに愛着を持つことは難しく、今も母と下の子とは相互依存のような関係…介入の仕方にも迷いますが、
    老いて弱ったのに見捨てることはできない。却って放任されたお蔭なのか 私がかろうじてまともな人間だし、私とて人道的配慮はするし衣食住教育の恩は感じているもの。

    • そらはな より:

      TM♪さんへ♪
      父が年賀状のやりとりをしていた方がどんな関係だったのかは、私は知る由もないのですが、こういう文章でのやりとりって、なんだか人の温か味を感じます。
      社会の中で生きていくということは、こういうことなんですよね。
      TM♪さんとお母さまとのご関係・・・なんだかとても胸が締め付けられました。
      私も母に育ててもらった恩は十分感じているし、いろんな意味で手助けもしてくれましたから、感謝もしている。
      だけど、人に言っても決してわかってもらえない母娘の葛藤もあるんです。
      TM♪さんのおっしゃる通り「老いて弱ったのに見捨てることはできない」まさにそんな感じなんでしょうね。
      だからこそ余計に苦しいのかなぁ・・・なんて、思っています。

  3. とも より:

    そらはなさん、こんばんは。
    同じことを何度も聞かれると、忍耐とイライラとのせめぎ合いで、疲れますよね。
    認知症のせいだからと頭ではわかってて、もー!
    だからー!がいっぱい出てきます。
    そんな時でも、本人は親としてのプライドがあるから、引かないですよね。余計にヒートアップします。
    私はけっこう引きずる方で、しばらく嫌な気分が残ったり、思い出してはイライラしてました。
    ストレスを抱えないためには、介護以外の時間は、全く介護のことは考えないようにしました。
    自分に余裕がないと衝突が多くなり、悪循環になります。精神的に離れるのは、とても大切だと思います。

    • そらはな より:

      ともさんへ♪
      ははははは(^-^;
      「もー!」も「だからー!」も、私がいつも言っている言葉なので、笑っちゃいました。
      私も、嫌な気分はひきずりますよ。
      それをあえて見えないように蓋をして、毎日接するしかないのですが、私の場合は仕事に行っている間は思い出さなくて済むので、助かっているかもしれません。
      でも、私が仕事に行けるのも、母がまだ元気で自分の身の回りのことはできるからなので、そういう意味ではやっぱり母に感謝しないといけないなー・・・と思うのですが・・・。
      精神的に余裕があるって大切ですね。