西側の敷地に平板ブロックを敷く作業は、2か月かかってようやく終了しました。
真夏にとりかかった作業も、気が付けば秋の風。
灼熱の太陽の日差しは、いつの間にか心地よい陽だまりへと変化し、ベンチに座ってこれまでのいろんなことを考える時間をくれました。
私が庭仕事をするようになったわけ
我が家は田舎ゆえ、無駄に広すぎる敷地に、鬱蒼と生い茂る栗の木や柿の木、梅の木、その他名前すらわからないたくさんの木があります。
春から夏にかけては虫の住処となり、秋にはたくさんの落ち葉の片づけに悩まされ、私にとってはやっかいな場所でもありました。
以前は、木の剪定や雑草対策は父がやっていたので、私はほとんどノータッチ。私も夫も、仕事や子どもの行事などでほとんど庭仕事ができなかった・・・というよりも、父にすべてまかせっきりにしていました。
父の老後のライフワークとしてのひとつが庭仕事だったわけですから、いつも自分のペースで楽しそうに庭で作業をしている父が、私たちに一度たりとも庭仕事を手伝えなどと言ったことはありませんでした。私はそれに甘えていたのかもしれません。
一昨年、父が突然亡くなってしまい、庭や畑の管理は実質私がやらざるを得ない状況になりました。夫は、スポ少の指導者をしているので休日もほぼ不在。
虫は苦手だし庭仕事なんてしたくない!と言ったところで、草は生えるし枝は伸びる。
えっ?じゃあ、私がやるしかないの?
というわけで、父が亡くなってから半年経って、ようやく私も重い腰を上げたというわけです。

庭造りDIYに着手したわけ
木を剪定したり雑草対策をするようになってから、いろいろな感情が芽生えるようになりました。
まず、植物の生命力の強さ、たくましさを目の当たりにし、自分も一生懸命生きなければならないと思うようになりました。
木の剪定を行ったあとは、きれいに整った樹形を見ると気持ちがスッキリします。
草取りを一生懸命やって、トゥルットゥルになった地面を見ると、心地よい気持ちになります。
同じ場所に水仙が芽を出し花が咲く様子を見ると、今年もまたこの景色を見ることができたと、生きていることに感謝する気持ちが芽生えます。
歳をとったせいか、なんにでも感動しちゃうんですよね。
完全防備して庭に出れば、虫なども怖くなくなりました。
庭仕事は、嫌いじゃない。花を愛で、風を感じるのも悪くない。
しかし、やってもやっても終わらない作業に、ある日気が付きました。
庭仕事は、自分ができる範囲があればそれでいいのだと。
広すぎる敷地の半分以上は、何も使っていない土地。
そこに生える雑草をせっせと取る作業が無駄に思えてしょうがない。
ならば雑草を生えさせないよう、メンテナンスのしやすい庭に作り替えようと思ったのが、庭造りDIYの始まりでした。
西側のスペースに平板ブロックを敷く
家の西側は、栗の木と梅の木が鬱蒼と生い茂り、ほとんど日陰となっているので、何かを植えても育たない土地。ボーボーと生えてくる雑草を、定期的に取る作業がなんだかむなしくなってきて、ここに平板ブロックを敷くことにしました。
栗の木も老木となり、根元の部分がボロボロと朽ちてきていたので、シルバー人材センターの方に伐採してもらいました。

さらに、梅の木も毎年毛虫の発生がひどく、実もほとんど生らなくなっていたことから、半分くらいの背丈に切り詰めました。(私が)

そうして、すっかり日当たり良好となった西側のスペース。
ここに平板ブロックを敷き詰めて、雑草対策をしようと思ったのですが、試行錯誤の上、終了するまで2か月かかったのです。
平板ブロックは全部で300枚以上。
防草シートを敷いて、砂を撒いて、その上に平板ブロックを並べるというやり方に落ち着くまで、何度も敷いたり剥がしたりを繰り返しました。長い道のりだったなぁ。
半分に切り詰めた梅の木からは、どんどん脇芽が息吹き、イイ感じのオブジェとなっています。
右半分の地面のスペースは、最終的にどうするかはまだ未定。ここには、当然草も生えてきますが、それでも草取り面積は以前の1/2になったのだから、楽勝です。
その他、敷地の南側の部分にも平板ブロックと砂利を敷き詰めました。
完成したときの達成感は、その場所を通るたびにうれしくて持続するものです。
これぞDIYの醍醐味ですよね。

これからの充実時間の見つけ方
「何事もやってみなければわからない」というのが、自分の座右の銘かもしれません。
とりあえず首を突っ込んでみる。やってみてダメだったら、別の策を考える。
やりもしないで、あーだこーだと文句を言ってもなにも解決策は見出せません。
「チェーンソーを使うには、何か資格が要るのかな?」と、昨年友達と話していたことが、今年は本当にチェーンソーを使って木を切り倒していたのですから、自分でも驚きです。
DIYは、一から自分で考えてどこに何を作り出すか考えなくてはならないのですから、脳の活性化にもつながるのではないかと思っています。
父が亡くなったことで、この庭をなんとかしなければと必死だった昨年ですが、何かに打ち込む時間というのは、最も充実している時間なのでしょう。
なんにもせずにボーっと過ごしても、何かに打ち込んで過ごしても、時間は同じように過ぎていきます。だったら、自分の頭の中に鮮明に残る何かをしていたほうが、心も満たされるはず。
いずれ歳をとり、体の自由が利かなくなっても、自分の人生を彩ったたくさんの思い出が、自分を支えてくれそうな気がします。
充実した時間は、誰かに与えられるものではなく、自分で見つけるもの。自分の気持ちの持ち方、考え方次第なのですから、毎日を意識して過ごしていきたいものです。
水平器があれば便利です↓

コメント
おはようございます。
そらはなさん、偉いなぁと感心します。庭仕事ひとつにも、人生の悟り?を開いてしまうのですから。
自分の人生は、自分の気持ちひとつですね。誰かのせい、何かのせいにしているうちは、ダメかも。
変化していく庭の写真、とても参考になります。
庭仕事は、おとうさまの置きみやげ。楽しみながら、ゆるゆると進めてください。
ルイコさんへ♪
あはははは(#^^#)悟りと言われれば、そうなのかなーとも思いますが、歳をとるといちいち何にでも感動しちゃうんですよね。
父が遺してくれた庭を、快適にしていきたいけれど、いつまで自分の気力と体力が続くのかもわかりませんし・・・。
でも、今できることはやっておこうと思っています。
お疲れ様でした。
ものすごく綺麗になりましたね。
自分の納得がゆくまで試行錯誤されての完成?なので、
そらはなさんご自身もものすごい達成感でしょうね(^^)
これからまた少しずつ手を加えるのでしょうけど、
体を労わりながらゆっくり楽しんで進めてくださいね。
みそらさんへ♪
家事や庭仕事など、家のことって、手を抜こうと思えば限りなく抜けますし、やろうと思えばいろんなことがたくさん出てきますよね。
それを自分でどこまでやるか線引きしながらの作業なのでしょうけど。
結局は、自分が快適か否か。それに尽きると思うんです。
体を壊したら何にもできなくなりますもんね。
楽しんでゆっくりマイペースでやることが大事ですね(#^^#)