春の雨が、静かに静かに降る日。
グループホームに引っ越してから、初めて母に会いに行きました。
小さな部屋に宿る、母の安心
母の部屋には、ベッドとクローゼット、そして老健から持ってきた小さなテレビ。
決して広くはないけれど、そこには穏やかな空気が流れていました。
クローゼットの中には、きれいにたたまれた洋服や下着。洗い替えのガーゼケットも整然と並んでいます。
「季節ごとの持ち帰りも必要ないですよ」
ケアマネジャーさんのそのひと言に、私の心の荷物まで、そっと下ろされたような気がしました。
脱ぎっぱなしのパジャマが教えてくれたこと
ベッドの上には、上下バラバラに脱ぎ捨てられたパジャマ。
几帳面だった母からは、かつて考えられなかった光景です。
けれど私はふと思いました。
これは母が「自分で着替えた証」なのだと。
もしかしたら職員さんが、母が混乱しないように、あえてそのままにしてくれているのかもしれない——。
そう思うと、ほんのり胸があたたかくなりました。
食堂で見つけた、母の“居場所”
食堂では、母が静かに座っていました。
それは、引っ越した日と同じ場所。
きっとここが、母にとって落ち着く“居場所”になっているのでしょう。
テーブルの上には本やパズルが置かれていたけれど、手を伸ばすことはなく、ただ前を向いてじっとしている母。
でも、その表情はどこか穏やかで、安心して暮らしていることが伝わってきました。
よそゆきの笑顔と、確かな記憶
「こんにちは」と声をかけると、母はとびきりの笑顔で「どうも」と返してくれました。
まるで初対面の人に向けるような“よそゆき”の笑顔です。
「○○だよ」と名乗ると、母は少しずつ記憶の糸を手繰るように、私、姉、孫たちの名前を口にしました。
でも、私とその名前は結びつかないようでした。
「膝は痛くない?」「腰は大丈夫?」と聞くと、
「サポーターしてるから大丈夫。座ってるだけだもの」と、しっかりと返事をしてくれました。
食事のことを尋ねると、
「朝はパン、昼はヘルパーさんが……」と、家にいた頃の記憶をなぞるように話し出す母。
まだ会話が成り立つことに、ほっと胸をなでおろしました。
春風と母に、コートを
「昨日、お花見に出かけたんですよ」
そうスタッフさんが教えてくれました。
老健では外出がなかったため、コートを持たせていなかったことが気にかかりました。
私はその日、自分が着ていた薄手のコートを、母にそっと羽織らせました。
「外には行かないから、いらないよ」と、母は笑いました。
スタッフさんは「名前を書いておきますね」と預かってくれました。
私のコートが、今度から母のコートになることに、なんとなく温かい気持ちになりました。
「ここが家」と思える幸せ
母は終始穏やかで、たくさん話をしてくれました。
グループホームに引っ越したことも忘れて、「ここが自分の家」と思っているようです。
でもそれで、いいのです。
安心して過ごせているなら、それが母にとって一番の幸せなのだと思います。
面会を終えて、胸に残った春の雨と想い
玄関を出ると、雨はまだ静かに降り続いていました。
私は羽織るものがなくなって少し肌寒さを感じながら、傘を開きました。
安心と、ほんの少しの寂しさ。
そして胸に染み込むような切なさが、春の雨と一緒に降り注いでいるようでした。
車に乗り込むと、フロントガラスにひらりと舞い落ちた桜の花びら。
そして私は気づいたのです。
今の母を、まるごと受けとめている自分がいることに——。
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