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認知症の母に「ありがとう」と思える日が来るなんて 今の私だから思うこと

母が認知症と診断されたとき、正直、私は戸惑いと絶望の中にいました。

記憶や判断力が少しずつ薄れていき、昨日のことはおろか、ついさっき交わした会話さえ忘れてしまう——そんな現実を前に、心が追いつきませんでした。

これまでしっかり者だった母が、少しずつ母らしくなくなっていく。
その姿を見つめるたび、胸の奥に切なさと寂しさがじんわりと広がっていきました。

でも、そんな日々の中でふと、こんな思いがよぎったんです。
「母って、なんて幸せな人なんだろう」と。

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父を見送ったあとの、嵐のような日々

父が突然この世を去ったあの日から、しばらくは嵐のような日々が続きました。

役所への届出、保険や年金の手続き、家の片づけ。
心も身体も、ひたすら前に進むしかない日々。
そんな私のそばには、静かに、けれど確かに認知症が進行していく母の姿がありました。

母の言動に振り回されては、イライラしたり、ため息をついたり、時には涙がこぼれたり。
「なんで今そんなこと言うの…?」
何度も、心が折れそうになりました。

だけどその一方で、私はどこかで母を「かわいそうな人」と思っていた気もします。

記憶が薄れていくことは、どれほど悲しくて、残酷なことなんだろう。
そう思っていたのです。

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忘れることは、本当に不幸なこと?

人は最期に、自分の人生をふり返って、「ありがとう」と言って旅立てたら、それはとても幸せなことだと、私は思っています。

でも、認知症になると、その「ふり返り」ができなくなってしまう。

家族の顔も、かつての思い出も、ゆっくりと霞んでいく。
自分の歩んできた人生の足跡さえ、消えていくように思えてしまいます。

けれど——
今の母は、そんなことを心配せずに、ただ静かに、穏やかに日々を過ごしています。

母は、ただ生きていてくれればいい

家のことも、お金のことも、これからのことも。

もう、そうした「ややこしいこと」に、母が心を悩ませる必要はありません。

私たち家族が、そのすべてを受け止めていきます。
だから母は、自分のペースで、のんびり、好きなように生きていてくれたらいいのです。

起きて、ごはんを食べて、笑って、忘れて、眠る。
そんな一日一日が、今の母が「生きている証」なのだと思います。

安心して、忘れていける場所を

今の私にできる、たったひとつの親孝行。

それは、母が「安心して忘れていける場所」を整えることなのだと、最近ようやく思えるようになりました。

「もう何も心配しなくていいよ」
「何も考えなくていいんだよ」

そんなふうに、母が心から安心できる空間をつくること。
それが、私の役目なのだと感じています。

母の年金が、母の安心を支えてくれている

母を施設に託すことができたのは、母自身がこれまで堅実に生きてきてくれたおかげです。

施設の費用や日々の暮らしは、母の年金と遺族年金でまかなえています。

父が亡くなったあと、両親の年金額を知ったときは
「えっ、こんなにもらえるの? 昔の人って恵まれてるなあ」
そんなふうに、ちょっぴり羨ましく思った自分がいました。

でも実際は、父も母も70歳まで年金の受け取りを遅らせていたのです。

コツコツと、そして真面目に備えていた二人。
その生き方が、今の母の安心につながっている——それを知ったから、今は心から感謝しています。

私も、母のように生きていきたい

「母とは合わない。性格的に無理」
かつて私は、そう心の中で繰り返していました。

母の価値観に反発して、距離を置いていた時期もありました。

でも今、母の人生を支えているのは、まさにその「まじめで堅実な生き方」だったのだと気づいたのです。

母が苦手だった私が、今はその母のように生きたいと思っている。
年齢を重ね、老後のことを考えるようになった今、私は母の背中を追いかけようとしています。

だから、私は今、母に伝えたい。

「ありがとう」と言わせてもらうのは、私の方なんだよ、と。

 

コメント

  1. さくらゆ より:

    そらはなさん
    お庭やおでかけの楽しい記事と記事の間に、時折お母さまのお話を聞かせていただいて。そらはなさんは、日常を過ごされながら、でも、いつも心のどこかでお母さまのことを思っておられるのだろうな…と、私も胸が切なくなりました。中距離介護中の私は、平日の仕事で忙しくしている時も、自宅でくつろいでいる時も、やっぱり心のどこかで「目が覚めたら、元気な母が目の前にいて、ああ夢だったんだ…ならいいのに」と、まだ完全には現実を受け止めきれていません。母に腹が立って、つい冷たい言い方をしてしまい、帰りの車の中では毎回一人反省会です。少しずつ、少しずつ、私も変わっていきたいと思います。これまでも、そらはなさんのブログには何度も救われてきました。ありがとうございます。いろいろできなくなってしまった母だけど、やっぱり実家の玄関を開けた時には、母がそこにいてほしいから、明日また母に会いに行ってきます。

    • そらはな より:

      さくらゆさんへ
      母が施設にいることで、ずいぶん心の余裕ができました。
      そうでなければ、今頃どうなっていたでしょう。
      今だから言えることですが、介護は家族が一人で行うのは絶対に無理で、いろいろな行政サービスを使うべきだと思います。
      そのための介護保険料を払ってるんですものね。
      そして、母を見ながら、私はどうなっていくのかな…という不安もあります。
      その時のためにも、やっぱりお金って大事だなーって思います。(笑)
      さくらゆさんは、お母様と離れているので、通うだけでも大変でしょうけれど、結局は自分が後悔しないようにやれることをやるしかないですものね。
      本当にお疲れ様です。