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母との関り 歳をとるということは自分の世界の中だけで生きていくということなのか

母の病院受診が終わった帰り道、母とラーメン屋さんに寄りました。
ふだんめったに外出することのない母で、3~4か月に1度のかかりつけ医での診察日でさえ、帰りはどこにも寄らずに家へ戻りたがります。

しかしその日は、母の機嫌も良さそうだったので、お昼にラーメン屋さんへ行きました。

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何度も同じことを言う母

病院からラーメン屋さんへ向かう車の中で、そしてラーメン屋さんでラーメンを食べ終わるまでの約1時間。
母はずーと同じことを何度も何度も何度も何度も・・・たぶん100回くらい話しました。

「鼻のところを触れば痛い」
「喉が痛い」
「鼻のところは冷やせばいいのか?」
「なんで喉が痛いのか?」

母の関心事は終始、先日転倒して打撲した鼻の部分について。
そして転倒してから数日後に痛くなった喉の部分について。
それを繰り返し繰り返し、無限ループのように話しました。

喉が痛いという点についても、「唾を呑み込むと痛い」と言うので、最初は風邪をひいての咽頭痛なのかと思っていたら、痛い部分は首の右側。スジの部分というか筋肉の部分。

かかりつけ医の先生にも診ていただいたら、やはり首の筋肉痛のようで心配ないとのこと。
たぶん転倒した際の衝撃によるものなのでしょうね。

「鼻を触れば痛いのなら、触らなきゃいいでしょ」
「喉が痛いのは筋肉の部分だから、そのうち治るって」
「鼻のところはもう冷やさなくてもいいよ」
「痛いのは喉じゃなくて、首の筋肉だって」

母が言うたびに、私も同じ答えを繰り返すのですが、1分前に同じ会話をしたことをすっかり忘れているのか、母はまるで今初めて話したようにしゃべるのです。

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返答に変化をつけて返す

母の記憶障害は徐々に緩やかに進行しているように感じます。
母が今一番気になっていることが「鼻の打撲」と「喉の痛み」であるので、私の顔を見れば母はずーっとそのことだけを話してきます。

「鼻を触れば痛いのなら、触らなきゃいいでしょ」
「喉が痛いのは筋肉の部分だから、そのうち治るって」
「鼻のところはもう冷やさなくてもいいよ」
「痛いのは喉じゃなくて、首の筋肉だって」

母に何度も聞かれたら、何度も同じことを答えることにもすっかり慣れたのですが、ある時気づいたんですよね。
同じことを聞かれ同じように答えていると、永遠に同じ会話のループから抜け出せないってことに。

そこで、母が同じことを聞いてきたら、毎回ちょっとずつ返答に変化をつけて返すようになりました。

「鼻のところを触れば痛い」と母が言えば
「触らなきゃ痛くないでしょ」からの「なんで痛いところをわざわざ触る」と突っ込んでみる。
すると母「触りたくて」と笑って答える。

「喉が痛い」と母が言えば
「喉じゃなくて首の筋肉なの」からの「筋肉痛だから湿布貼ればいいって、先生も言ってたでしょ」と。(先生は湿布を貼れとは言ってなかったけど)
すると母は「ほー。湿布貼ればいいって?」

私が返答を少しずつ変えることで、母もいったんは納得して静かになる。
何度も同じことを聞かれてイライラするよりも、こう言ったら母はなんて返してくるかな?という、ちょっとした会話の楽しさをおもしろがるという感じですかね。

ま、私が母の目の前にいる限り、再び母は同じことを聞いてくるので、私もこの会話遊びに飽きてきたら、退散することにしていますが(笑)。

自分の世界だけで生きるようになる

先日、娘のAO入試があり、私と娘は3日間家を不在にしておりました。
受験に行く前日、母へも報告し、その時は母も「なんでそんな遠くの大学へ受けるの?」とか「なにを勉強したいの?」などと娘に聞いていたのですが、いざ受験が終わり帰ってきても、母は一言も「どうだったの?」などと聞くことはありませんでした。

「台風で飛行機が遅れて」と私が話しても「あら、そう」と、母。
「〇〇(娘の名前)、一次選抜合格して、二次選抜の面接受けてきたんだよ」と話しても「あら、そう」と、母。

理解力が低下するということは、自分以外の周囲の様子にも無関心になっていくのでしょうか。

「〇〇が、受験してきたこと、わかってる?」と母に聞いてみたら
「そういえば、誰かがそんなこと言ってたね?」と母。

そしてその直後に母は言ったのです。
「鼻のところに湿布すればいいの?」と。

記憶力の低下と理解力の低下は、次第に自分の世界の中だけで生きていくってことになるんでしょうね。
それが、余計な心配や苦労などせずに済むのなら、本人にとっては幸せなことかもしれません。

認認介護の時代

急速に進む高齢化社会の日本は、今後「老老介護」ではなく「認認介護」の時代が来ると言われています。
歳をとった子どもが年老いた親を介護するのはごく当たり前であり、さらには認知症となった子どもが認知症となった親を看なければならない時代なんだとか。

それが何十年先の話ではなく、ごく近い将来、まさに私自身が認知症になり、認知症の親を看なければならない時代となるのですよね。

私も認知症となり、自分の世界の中だけで生きていけたら、それはそれで幸せなんだろうか。
いやいや、さらに苦労をするのはわが子たちなのだから、それだけは絶対に避けたいのです。

せめて私は、母が安心して暮らせるよう、まだまだボケるわけにはいきませぬ。
毎日をおもしろがって暮らし、何事にもポジティブ思考であり、ハクナマタタのケセラセラで、今日も精一杯生きていかねば!と、つくづく思う今日この頃なのです。

コメント

  1. とも より:

    こんばんは。
    切ないですね。介護をすると今まで感じなかったことなど色々と考えてしまいますね。
    私も義父の世話をしながら、何故か自分の老後のことが心配になりました。
    緩やかであっても確実に認知症は進みますし、できなくなることも増えます。そういう場面を目の当たりにすると、できるだけ子供には迷惑かけたくないなと思います。
    病のせいだとわかってても、同じ話の繰り返しはストレス溜まりますよね。そんな時私は、ああ子供にかえってるのね。と、思うことにしました。
    幼な子がお母さんに何度も質問しますよね。そんな感じです。
    否定せず、同調すると義父も穏やかになりました。こちらはしんどい時もありましたが。
    学校シリーズが始まると、お父さんは何年生?学校はどこにあるの?と聞いて遊んでました。
    毎日答えが違うので、面白かったです。
    親の老いに寄り添うのは、とても辛いときもありますが、その中に学ぶこともたくさんあるのではと感じてます。

    • そらはな より:

      ともさんへ♪
      年をとるということは、自分以外の周囲のことへの関心がなくなるってことなんだろうなぁ・・・と思います。
      いろんなことを忘れていって、最後には日常生活動作さえもわからなくなるんですもんね。
      母がどんな風に年老いていこうとも、その日その日にできることを精一杯やればいいのかな?なんて最近思います。
      ともさんがおっしゃる通り、私も自分の親からたくさん学んで、今のうちにいろんなことを吸収しておこうと思いました。

  2. きずつば より:

    おはようございます
    読んでいて、同じ光景が頭に浮かび、まるで私の母のことかと勘違いするくらい…
    母は、転倒したのが3週間ほど前なのに、昨日転んだと毎日のように話しています。
    転倒してから通院が増え、その度に同じ話の繰り返しに、溜め息ばかりです。
    頭では、この状態を受け入れ、否定せず寄り添う、そう思おうと努力していても、なかなかできないのが本音です。
    ともさんのおっしゃる通り、自分が母のようになったとき、子供たちに迷惑をかけずに、どうしたら良いかを考えることが増えました。

    自分がイライラしないよう、気分転換を考える今日この頃です。

    • そらはな より:

      きずつばさんへ♪
      不思議なものですよね。
      うちの母ときずつばさんのお母様は、育った環境も性格もちがうのに、人間歳をとるとおなじように物忘れがすすむんでしょうかね。
      1分前・・・いやいや30秒前に、こうすればいいよ、と母に話したことが、次の瞬間同じ質問をされ、また同じように答える・・・というのは、けっこうしんどいものです(^^;)
      それでも、母は質問したことを忘れているのだからしかたがない・・・と、思うようにしていますが、我慢の限界が来たときは、適当に切り上げます(笑)。
      適当に切り上げても、それを母は忘れてしまうのだから、最終的にはお互い嫌な感情だけが残らないような話の終わり方を心がけてはいますが・・・。
      気分転換、大事ですね。母のためにも、自分のためにも!