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軽度認知障害の母とのかかわり方 一方的に責められて心にトゲが刺さるのは私だけで十分だ

「あんた!捨てたでしょ!なんで私に何も言わないで勝手に捨てるのよっ!」

母に一方的に責められることにも、だいぶ慣れました。
もっとも、母がこうやって怒るのもずいぶん減ったので、最近ではめずらしいことなのですが。

だけど、いくら母が軽度認知障害であり、新しい記憶が覚えられないのをわかっていても、身に覚えのないことで怒られるのことは、心が折れそうになります。
母の前では笑っていても、心に刺さったトゲはなかなか溶けそうにありません。

 

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記憶障害の中の短期記憶障害

認知症の初期の記憶障害は、新しい記憶から失われていくことが多いので、ついさっきの出来事さえ思い出せなくなるといった短期記憶障害が起こります。

今日の日付がわからない、どこに物を置いたかわからなくなる、何度も同じことを聞くなどといったように、新しい記憶が覚えらず、進行すると今までの記憶も徐々に失われていきます。

母に起きているのは、まさに短期記憶障害なのだと思うことが時々あります。
昔のことは事細かにとてもよく覚えているのに、新たな情報はすぐに忘れてしまいます。

例えば先日も、インフルエンザで仕事を休んでいた私に、「今日は仕事休みなの?」と毎日同じことを聞く母。
「インフルエンザになったんだよ」と毎朝話しても、午後にはすっかり忘れていて、同じ質問をするといった具合に。

この程度のことならば、もうすっかり慣れっこになってしまったので、どうってことはありません。
母が同じことを2度聞いてきたら、私は2度答えるだけ。3度聞かれたら3度答える。10度聞かれたら10度答える。ただそれだけ。

だけど、一方的に責められるのは、今でも心がざわつきます。

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消えたご先祖様のファイルは何処へ

「ご先祖様のファイルが無くなった!」
母が突然騒ぎ出しました。
そして
「あんた!捨てたでしょ!なんで私に何も言わないで勝手に捨てるのよっ!」と、物がなくなるとすべては私のせいにする母。

ご先祖様のファイルってナンダ?
今の今まで、そんなものは一度も見たことがないので、想像すらつきません。

「ご先祖様のファイルって、何が綴じられているの?」と、母に聞いても
「この家の先祖代々の・・・黒い表紙に綴じられたやつで・・・」としか言わず、もはや私にはなんのことかさっぱりわかりません。

「どこに置いていたの?」と聞けば
「居間のテーブルの横に置いてある箱の中」と答える母。
そしてその箱の中には、そのような黒い表紙のファイルは見当たりません。

「じゃあ、最後に見たのはいつなの?」と聞くと
「毎日ここに置いて見ていたわよ!」と怒り出し、「なんで勝手に片付けるのよ!なんで私に何も言わずに勝手に捨てるのよ!」と、私を一方的に責める。

「私に、そのファイルを見せたことある?」と聞けば
「なんであんたに見せるのよっ!あんたには見せないよ!」と言われた日には、さすがの私も腹の中がふつふつと煮えくり返ってくるのを自覚せずにはいられません。

「私が見たことなければ、そんなファイルは知らないよ!だいたい夏以降、ここ(実家)を私は一切片付けていないじゃんっ!」
と、やや強い口調で、それでも鼻から息を吐きまくり、自分ではかなり抑えたつもりで母に言い返すと、母は目に涙をためながら言いました。

「あのご先祖様のファイルがなければ、大変なことになる!もうどうしていいかわからない!」

自分で片付けたものを忘れる

以前の私ならば「もう知らん!」と母に言い放ち、とっとと部屋から出てきたところですが、母は認知症なんだと理解するようになったので、母と一緒にあっちの部屋、こっちの部屋と探しました。その見たこののないファイルを求めてね・・・。

そうしてようやく見つかった場所は、なんのことはない、居間のテーブルの引き出しの中。母が自分で居間の中をちょこちょこ片付けていて、空いた引き出しの中に大事なご先祖様のファイルをしまったのでしょうね。

今まで箱の中に入れていたファイルを、大事なものだと思うばかりに引き出しの中にしまったのは母なのに、その記憶が抜け落ちている。まさに短期記憶障害なんだなぁ・・・・と思った瞬間です。

「なければ大変なことになるご先祖様のファイル」の中身を見てみると、父が書き記した自分の経歴書らしきもの、そして父のそのまた父が書き記した経歴書のようなもの(字が達筆すぎて読めない)、父の改正原戸籍などが綴じられたファイルでありました。

なくなっても、大変なことにはならないファイルでしたが、父やその父の直筆の綴りだったので、母にとってはこの家の大事なご先祖様のファイルだったのでしょうね。

素直に認めるのは薬のおかげか?

ご先祖様のファイルが無事に見つかって安心すると同時に、母に対してめちゃくちゃムカつく気持ちが沸き起こりましたが、いかん、いかん。ここで母を怒っても、母は覚えていないことなんだから、しかたがない。

「この引き出しにしまったのお母さんだよね。自分で大事だと思って、ここに入れたんでしょ」と、母に静かに言うと、さっきまでの私を一方的に責めていた勢いは急になくなり、首を傾げながら母が言いました。

「そうなんだろうね。私がここにしまったんだろうね」

あれ?素直に認めたではありませんか。
しかし、やはり自分の記憶にないことなので、何度も何度も自分で引き出しにファイルを出したり入れたりと、やってみながら
「ここに、こうやって私がしまったんだろうね・・・」と確認する母。

父が急逝し、母が混乱し、もしかして母は認知症なのでは・・・と思う出来事があってから、認知症の薬を飲むようになった母ですが、母には、この薬は血圧の薬と説明しているので、自分が認知症だという自覚はありません。

それでも、薬を飲むようになってからは、以前のようにわけのわからない理不尽な怒り方はしなくなりましたし、母も自分で「頭がボケてなんにもわからなくなったわ」などと言って、自分の記憶の曖昧さを自覚しています。

母はまだ自分の身の回りのことは自分でできますし、日常生活も支障はありません(いろいろ忘れて何度も聞くことは多々ありますが)。なので、母は認知症ではなく、軽度認知障害というグレーゾーンにいるのだと、私は思っています。

そして、認知症の薬は初期に飲み始めることによって、進行をゆっくりと遅らせることはできると言いますから、母が以前よりも気持ちが穏やかになったのも、ほんの少し素直になったのも、薬のおかげかなぁ・・・なんて思ったりしています。

いや、そう思いたいのかもしれません。

嫌な感情は心に残る

先日、母から写真を受け取りました。
それは、私がまだ小学生のころ、夏休みに家族旅行したときの写真。家族写真はずっと父が整理保管していたのですが、最近母がそれらを整理し始めて、ちょいちょい私に持ってくるようになりました。

その写真には、母と私が楽しそうに腕を組んで笑っている姿。

それを見たら、子どもの頃私は、母とこうやって笑いあっていたことを思い出したのです。

母には何不自由なく育ててもらいました。
母は仕事をしていましたが、どんなに疲れて帰ってきても必ず晩ごはんを手作りしてくれました。洋裁をやっていたので、いつも母は私に洋服を作ってくれました。
高校を卒業したときも、私が行きたい道へ進ませてくれたし、里帰り出産をした時も全面的にバックアップしてくれました。子どもが小さいころ病気やケガで入院したときも、仕事を休むことができなかった私に代わって、母は上京して育児を手伝ってくれました。
こんなにも母に助けてもらっていたのに、そんな記憶をどこかに置いてきてしまった私。

反面、子どもの頃からヒステリックに怒る母や、自分の価値観が絶対だと思っている母に対して、決して逆らえなかった私。そしてそんな母に対して、嫌な感情だけはどんどんふくらみ、いつしか母のことが苦手だと思うようになっていた私。

人間というものは、人から与えられた嫌な感情は心にトゲとなって刺さり、いつまでもいつまでもシコリとなって残るんですね。

おんなじだ!

新しい記憶を覚えることができず、徐々に記憶が失われて子どもに返っていく母。
そんな母を怒ったり責めたりしたら、母には嫌な感情しか残らないのです。

認知症と関わる大前提は、決して怒ったり否定したりせずに、その人の世界観をそのまま受け入れること。
例え、一方的に母から責められたとしても、母は失われていく記憶の中で覚えていないのだから、私が同じような感情で言い返してはダメなんだ。

母がこれから心穏やかに暮らしていくことができるよう、母には嫌な感情だけは持ってもらいたくありません。

そう思ったら、先日のご先祖様のファイル紛失事件で私の心に刺さったトゲも、少しだけ溶けていくのがわかりました。

 

コメント

  1. しろうさぎ より:

    おはようございます。
    それは大変でしたね。
    実の娘の場合、遠慮がないだけに嫁姑とはまた違った難しさがあるようです。

    心にささったトゲを完全にとる事はできないと思いますが、ドンドン吐き出してください。
    とてもとても嫌な気持ちになった時は「保育園落ちた死ね」じゃないけど、汚い言葉でもいいから思いっきり感情を爆発させてください。
    親の最後の時間をつきあう時には優等生ではいられない時がある事をわかっている方たちばかりです。
    むしろ、そらはなさんにも完璧でいられない時もあるんだなと親しみがわくぐらいです。
    私は、こんなに冷静でいられませんでしたわ。

    グレーソンも色々大変でしょうが、毒をためこまないで頑張ってください。

    • そらはな より:

      しろうさぎさんへ♪
      私も、これが嫁姑だったらどうなんだろう・・・と考えるときがあります。
      「あなたのお母さんなんだから、もう知らない!」と夫に丸投げできるかも・・・と思ったり(←オイ)、所詮他人なんだから仕事と割り切って、精神的には楽かもなぁ・・・と思ったり。
      実の親子だからこそ難しい面も多々あり、育ててもらった恩もあるけれど、性格的に合わないと感じる部分もたくさんあって、そういうのが葛藤となってストレスになるんですよね。
      ここで吐き出すことで、みなさんからいろいろなアドバイスがもらえるので、とても助かっています。
      ありがとうございます。

  2. 甘口カレー より:

    いつか自分にも起こりうることかもしれないと思うと、他人事とは思えずに読んでしまいました。

    子供の頃の写真のくだりでちょっと泣きそうになってしまいました。今ある日常、いつかなくなってしまう日常を大切に積み重ねて、なくなってしまったあとも慈しめるたくさんの思い出としたいものだと思いました。

    悲しい気持ちになることもあるかと思いますが、ブログに気持ちを吐き出して、毒素を出来るだけ溜め込まないようにしてくださいね。応援しています。

    • そらはな より:

      甘口カレーさんへ♪
      子どものころの写真をみたら、たくさんのことを思い出したのですよね。
      母に対して嫌な感情が多くなり、意識的に昔の記憶を封じ込めていたのかもしれません。
      人の記憶って曖昧なものですね。
      そして
      いつか私もこの記憶が失われていくときがくるんだろうな・・・。
      そう思うと、毎日を大切に丁寧に生きたいと思うのでした。
      コメントありがとうございました。

  3. T M ♪ より:

    よくがんばられましたね!えらいです。
    ご苦労が報われますように。
    きっと空花さんが怒らずに一緒に探していたから、お母様も覚えていないなりに納得なさったのでしょう。
    そして、温かい母娘の情の交わりがあったから、その辛抱もおできになるとしたら…お母様の積み重ねたモノでもありますよね…

    こうやって徳を積んでらっしゃるのは報われると信じています、蔭ながら。

    • そらはな より:

      TMさんへ♪
      母のおかげで、自分もとても穏やかになったと思います。
      ちょっとやそっとのことでは、もう怒りという感情が沸かなくなったかもしれません。
      これも徳を積むというのでしょうか。
      だったら、うれしいな・・・。
      いつも温かいコメント、ありがとうございます(#^^#)

  4. とも より:

    こんにちは。
    今日のブログを、私と同じ気持ちだと思って読みました。
    親を憎いわけでも、恨んでるわけでもないのに、胸をざわつかせ、その嫌な感じが胸の中をグルグル回る感じ。怒り?軽蔑??葛藤???言葉にできない気持ちですよね。

    子供の頃に受けた心の傷って、少しずつ見えなくはなっても癒えることはないなと思います。
    日々の生活の中で、忘れている遠い記憶が、親と接する場面で突然出てきます。私の場合、結婚して出産した頃にずいぶん悩みました。
    表面的には上手く付き合えても、心の中は親を拒絶してました。メンタルも病みました。色んな本を読んで、ずいぶん経ってから、その時(子供時代)の両親は、未熟だったんだなと思えるようになりました。
    そう思うことで、両親と自分の葛藤を受け入れやすくなりました。
    でも二人共、介護を必要とする年に近づきますが、義父の時のように冷静に向き合えるか、自身はありません。具体的な介助よりも、自分の心が保てるかの方が心配です。
    たぶん、まともにぶつかって、後々面倒なことを引きずるよりも、うまくやり過ごせると思いますが、置いてけぼりの自分の心を、上手く消化させないといけないですね。
    そらはなさんも、ストレスで体を壊さないように、ここで消化してくださいね。

    • そらはな より:

      ともさんへ♪
      うん、うん。そうなんです。
      親に対しての感情は、これまでのいろんなことが積み重なり、どう表現していいかわからない感じです。
      子どものころは、母には反論できずに押し黙り、大人になってからようやく言いたいことを言えるようになったけれど、いつもその時には嫌な感情だけが心に残り、そして今は、私さえがまんして母に付き合えばいいのだと自分に言い聞かせ・・・。
      ともさんもいろいろな葛藤があるんですね。
      みんなみんな、いろんな思いを持ちながらも親と向き合っているのかもしれませんね。
      ストレスには強いほうだと思っていますので、大丈夫です。ありがとうございます。

  5. 匿名 より:

    母も独裁者で自分の言うことをきいて当然というのが介護度2になって手助け必要でも口が変わらないのです。確かに私は塾も進路も自分で決めて費用お願いとできたのを感謝しなくてはと今子供の進学費用を集めているので思います

    • そらはな より:

      匿名さんへ♪
      こんにちは。
      お母さま、介護度2なんですね。
      母と娘の関係って、なかなか難しいものがあると思います。
      いろんな葛藤を抱えながら、それでも親子の縁は切れないですから、自分がストレスをためない方法を探しながらやっていこうと思います。