時間が重なる場所で ― 弘前公園の桜と、家族の記憶 ―

4月17日。
東京に住む娘が帰省したので、一緒に弘前公園の桜を観に行きました。

桜はちょうど満開で、花曇りでも空気はやわらかく、春の匂いが濃く漂っていました。

ゆっくりと園内を歩きながら、ふと11年前の同じ場所を思い出しました。

父が亡くなる1年前、父と母、姉と私。
何十年ぶりかの“家族だけの時間”で訪れた弘前公園です。

あの日の桜は七分咲きで、春のぽかぽかした陽気を今でも肌が覚えています。

母は歩くのが難しく、車いすを借りて、姉と私が交互に押しながらゆっくり散策しました。

父は何度も「すばらしいな」とつぶやき、まぶしそうに桜を見上げていました。

その声の響きや表情までもが、今も胸の奥にそっと残っています。

今年の桜を眺めながら、
「娘と見たこの桜も、いつか懐かしく思い出す日が来るのだろうか」
そんなことをぼんやり考えていた時のことです。

 

「アノ、スミマセン。アナタノシャシンヲトッタノデ、オクッテイイデスカ?」

片言の日本語で娘に声をかけてきたのは、20代の台湾からの旅行者でした。

え!これは新手のナンパなのかしら、と一瞬身構える私の横で、
娘は「え!うれしい、やったぁー!」と満面の笑みです。

彼は世界を旅しながらポートレート写真を撮っているそうで、見せてもらった写真はどれもプロのような美しさでした。

娘はその場で写真を受け取りました。

お互いの個人情報がわからなくても写真をやりとりできる方法があるらしく、私の心配はただの妄想で終わりました。

 

このエピソードを次男に話すと、「そういう旅の仕方してる人、いるよねー」とあっさり。
娘は以前、友人と宮島を訪れた際にも、同じように外国人から写真をもらったことがあるそうです。

なんだか、そういう時代なのですね。昭和育ちの私は、ただただ驚くばかりです。

 

その日の弘前は、岩木山がくっきりと見えていました。
満開の桜と山の姿を一緒に写真に収められたことが、なんだか小さな奇跡のように思えました。

 

桜は毎年咲きますが、自分がその場に立てるとは限りません。
天気が味方してくれるとも限りません。
同じ景色に出会える保証なんて、どこにもないのだと感じます。

だからこそ、迷ったら行ける時に行っておく。
その瞬間を逃さずに受け取っておく。
それが旅の鉄則なのだと、あらためて思いました。

 

そしてやっぱり、旅はいいものです。
その時の空気も、気持ちも、人との出会いも、すべてが一度きりで、すべてが静かに心に積もっていきます。

気づけばそれらは、時間の中でそっと光る、小さな宝物になっていくのでしょうね。

 

 

3年前には夜桜を見に行きました⬇️

弘前公園 雨の夜桜ライトアップとハートの桜
弘前公園の桜が満開となった、というニュースを聞き、これはもう行くしかない!と、思い立ち、午後から出かけました。お天気は曇...

 

コメント