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遺品整理は百科事典の処分から そして一人黙々とやるべきだと悟る

遺品整理に多くの人が頭を悩ませるのは、処分するものが自分のものではないから。
自分のものであれば、必要か不要か判断し、自分の意志で捨てられるのに、これが親の持ち物、ましてや亡くなった親の遺品であれば、そこに様々な感情が入り混じり、精神的、時間的負担は膨大なものとなります。

父が亡くなってから2年、父の書斎にある大量の書籍は今もそのままになっていますが、今回ようやくその一部を処分いたしました。

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百科事典の処分に躊躇した理由

父が何十年とかかって集めた書籍は、書斎の壁一面の本棚の中にびっしりと収納されています。
父が亡くなって2年が経ちますが、いまだにそれらの書籍はそのままにしています。

そんな中、今回百科事典を処分することにしました。

インターネットの普及により、調べたいことがすぐに検索できる現在では、百科事典は過去の産物でしょう。
需要がない現在では、古本屋でも買い取り不可とされることがほとんどです。
なので古紙として潔く処分できる百科事典なのですが、この百科事典は、私が物心ついたころから本棚を飾っていたものでした。

ジャポニカ、昭和43年初版発行。
定価2,000円。

近所の駄菓子屋で10円アイスを買っていた時代ですから、2,000円の百科事典は相当高額な買い物だったことでしょう。
しかも全部で18巻、総額36,000円。

子どもの頃戦争を経験し、明日は死ぬかもしれないと毎晩思っていた父。
戦後の高度経済成長は、父に物資と心の豊かさを与え、書籍を買いそろえるという行動も、父のステータスのひとつであったのかもしれません。

この百科事典は、一度水害で水をかぶっているため、ところどころのページがヨレヨレで、しかもカビが生えています。

それでも、百科事典が本棚に並んでいる姿は、父の生きざまを象徴しているようで、私がなかなか処分できないでいた理由のひとつでもありました。

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百科事典は市の古紙回収へ

カビも生えているし、需要もないし、場所を取るしで、百科事典は紐でしばって市の古紙回収場所へ出すことにしました。

それにしても重い!
運び出すのも大変でした。

それでも無料で回収してくれるのだから、ありがたいと思わなければなりませんね。

遺品整理はきっかけが必要

父が亡くなり、忌明けをしてからすぐに、父の衣類と寝具を処分しました。
故人の衣類と寝具は、半年以内であれば市で無料で処分してくれるからです。
期限が決められたいたので、気持ちもすぐに割り切ることができました。

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また、父は町内会の役割もあって、それらの仕事をするのに縁側の部分をすべて使っていたのですが、町内会の人へ引き継ぐために、これらの片づけと処分も比較的さっくりと行うことができました。

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とはいえ、当時は休みのすべての時間を費やして片付けをしていたんですけどね。

遺品整理は、半年以内なら処分は無料だとか、いつまでにこの場所を明け渡さなければならないとか、そういった期限がなければ、なかなか踏ん切りがつかないものです。
自分の持ち物でさえ、使ってもいないのにため込んで、捨てるタイミングをのがしているというのに、これが亡くなった親のものであれば、なおさら処分できなくなるのは当たり前ではないでしょうか。

両親は比較的きれい好きでしたので、モノは整理整頓されていましたが、納戸にある膨大な量の不要なモノを見ると、心身ともに辟易してしまいます。
父が亡くなった年、父の遺品の整理や処分と、納戸に何十年としまわれたままのモノの片づけをしたいと話すと、母は決まってこう言いました。

「そこに置いてあることで、誰か困る人がいるのか?置く場所がないのならまだしも、そこにモノがあっても邪魔にならないのだから、黙ってそこに置いておけばいいでしょ!」

田舎の無駄に広い家のアルアルです。
誰も使っていない座敷の押し入れの中。納戸という空間。
そこにモノが置いてあっても、確かに誰も困りません。

でも、いつかそれらを片付けるのは、この私。
そして私は、年々歳をとり、気力も体力も失せていくというのにね・・・。

遺品整理は黙々と

父の書斎は、現在夫が仕事場として使っています。
最初は、机と本棚を持ち込んで簡易的なスペースとして使っていたのですが、次第に在宅で仕事をする機会が増え、持ち込む書類や本も増えてきました。

 

せっかく壁一面に備え付けられた本棚があるのに、いまだに父の書籍で埋め尽くされている空間がもったいない。
亡くなった人よりも、今生きている人が有効活用するべきなのです。
夫が仕事を効率よく行えるよう、まずは百科事典を処分しました。

処分しても、なにひとつ困ることはありませんでした。
しかし、私自身が百科事典をくくって処分したことにより、父の想いや生き方が確認でき、とてもよかったと思っています。

遺品整理にかかる時間や労力やお金は社会問題ともなり、テレビでも取り上げられていますが、遺品をひとつひとつ手に取ることで、親が何を思って生きてきたのか想像をめぐらすことになり、これからの自分の生きる道しるべともなるような気がします。

だから私は、可能な限りは自分の手で父の遺品を整理し、処分していきたいと、改めて思ったのでした。
そして、これらを行う時は母には言わずに黙々とやること。

母に話せば、お互い余計な言葉で傷つくだけですし、もう母は父のモノがどこに何があるかなんてわからないのですから。

そしてこれらの経験から、私は子どもたちに余計な苦労はさせないよう、不要なものはため込まず、自分が今使っている大切なものは、万が一の場合どう処分したらよいか子どもたちへ伝えておくべきなのだと思いました。

コメント

  1. ふんわり より:

    こんにちは。
    暑い時はやる気が起こらず、寒くなるともっと起きなくて
    この気候の今しかないのだと、はじめました。
    布団30枚、茶碗40個には驚きました。
    黙々と捨てるように心がけているけど、とても可愛い器があると
    ちょっと迷ったり。
    食器棚が4こもあるんです。
    義母が亡くなって15年もっと体力があるうちに片付けるべきでした。

    そらはなさんの記事でモチベーションが上がります。
    がんばってくださいね。

    • そらはな より:

      ふんわりさんへ♪
      私も、暑いから、寒いからといってはのらりくらりとかわしてきました。
      ほんとに、今がちょうどよい気候なんですよね。
      少しずつ、取り掛からなくては・・・。
      布団30枚に茶わん40個・・・昔は、人寄せなんかもあったでしょうから、それが普通のことだったんでしょうね。
      お互い、ボチボチと片付けていきましょう!(^^)!

  2. しっぽ より:

    10年前に亡くなったうちの父本も好きで、まだ大量に残っていて処分できずにいます。本は特に、その人の生き様そのものがあらわれるので、簡単に処分しづらいのですよね。

    弟がその部屋を使っているのですが、相談してそろそろ考えないとなぁ。微妙な問題です。

    • そらはな より:

      しっぽさんへ♪
      父が遺した本を、一度読んでから処分しようかとも思いましたが、まーったく興味のわかない内容のうえ、昔の本は文字が小さい!
      読みにくくて、すぐに挫折してしまいました。
      私も、少しずつ処分していかなくては・・・。

  3. とも より:

    遺品整理お疲れ様です。
    エンジンかかり始めましたね。
    百科事典は重いし、かさばるし。枕にもなりませんよね。
    遺品整理はホントに問題です。私も実家に帰るたび、物に溢れた空間を見て。
    これって私が片付けるんだよね。と、溜息が出ます。一人っ子なのと遠方だから、必然的に1人ですが、業者に頼むと高額だし。手放さない両親を見てると、腹立たしくもあります。

    母の認知症の受診ですが、やはりMCIで認知症に半歩足を入れていると言われました。前の病院での検査結果も持参しました。
    投薬治療や認知症トレーニングを始めないと、一年後には完全に移行する。治療を始めると10年は延びると言われました。
    改めてMRIや血流検査を受けます。3月から7か月で、どれだけ進んでいるのかを診断して、治療方法を決めるそうです。月1の通院で良いそうなので、なんとか続けられそうです。先生は広川慶裕氏です。京都府宇治市で診療されてます。MCIの専門医で、本も出版されています。

    • そらはな より:

      ともさんへ♪
      ははははは(;’∀’)たしかに百科事典は枕にならない~。肩凝るだろうなぁ・・・。
      うちも母はもう判断力も決断力もないのですが、だからといって目の前でどんどん捨てたらやっぱり傷つくと思うのですよね。
      なので、見えないところでこっそり捨てて、母の目にふれる場所のものはそっとしておこうと思います。
      認知症の治療を早期に始めると、10年は延ばすことができるのですね。
      個人差もあるとは思いますが、やれることはやったほうがいいですよね。
      ともさんのお母様はちゃんと診察を受けてくれるだけ、状態はいいのではないでしょうか。
      うちは・・・、絶対に断固拒否です。
      でも、今はこれでいいのだと思っています。
      広川先生の本、見てみますね。

      • とも より:

        母は何度も受診の日を確認していたので、納得していると思ったのですが…。
        当日、病院で誰が診察されんの?私?
        何で私が?私は認知症ちゃうで!と言い出し困りました。
        これが認知症ということね。思い知らされたことです。親との付き合いは、ホトホト疲れます。

        • そらはな より:

          ともさんへ♪
          私、親の言動はとっくにあきらめたので、何を言われてもいいのですが(もちろん傷つくけど)
          最も怖いのは、自分が将来認知症になって周囲の人々を振り回してしまうのではないかということ。
          しかも自分では覚えていないのだから、気をつけたくてもどうしようもない。
          せめて、謙虚で素直な年寄りになりたいけれど、記憶が失われていくので、それも無理かぁ・・・。
          ほんとトホホです。