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実家の片づけ 「死んだら捨ててくれ」から「死ぬまでに片付けてくれ」へと変化した

誤解のないように断っておきますが、私の実家は決してゴミ屋敷などではありません。
昔からきれい好きだった母なので、部屋の中もきれいに整頓されています。

しかし、押し入れの中、納戸の中、クローゼットの中など扉で閉鎖された空間は、それはそれはあらゆるモノが詰め込まれています。
実家の親は、なぜに冬眠するシマリスのように、モノをため込んで蓄えておくのでしょうか。

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捨てられない貯食型

シマリスは冬の間巣の中で冬眠しますが、実は持続的冬眠と中途覚醒が交互に繰り返されているのだそう。そして中途覚醒したときに、巣の中にため込んでいた食物を食べ、そしてまた眠るというのを繰り返しています。こういう冬眠のしかたを「貯食型」と呼びます。

なんで突然シマリスの話をしているかというと、実家の階段下の物置が、まるで小動物が何かをせっせと運び、ため込んでいたかのような状態に見えたからなのです。

「私が死んだら全部捨ててくれ」が母の口癖なので、私も積極的には実家の断捨離はしないことにしています。以前、親に不要なものを捨てようと提案したら、話がこじれてお互い気分を害することになったので、その後は一切放置しようと決めたのでした。

ところが今回、実家の水漏れの場所がトイレの水回りであることが判明し、床に穴をあけて配管の水漏れを修理しなければならなくなりました。トイレの床に穴をあけるよりも、トイレ横にある階段下の物置の床に穴をあけたほうが、修理後も目立たないということで、急きょその物置の扉が開かれることになったのです。

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実家の物置はゴミ箱だった

物置の手前の棚にこそ、ティッシュボックスや洗剤など置かれていますが、その奥の階段下の斜めになっているビミョーな空間。そこはもうモノをしまっているというより、投げ込んでいるのでは?と思われる状態でした。

段ボールとかお菓子の空き缶とか紙袋とか手提げ袋とか。いったいいつのものなんでしょう。

奥から出してみると、空き缶や空き箱ばっかり!
壊れているセラミックヒーターをなんで大事にしまっておくかなー・・・。

 

出た!ラスボスです。
一番下の段ボールには、食器がぎっしり詰め込まれていました。
こんなところにしまっては、その存在すら忘れてしまいます。

モノは、使う場所に置かないと二度と使うことはないのですよね。

人からいただいたもの

「こんなに缶ばかり寄せて置いてどうするつもりだったの?」
母に聞くと「きれいな缶だから捨てられない」と。

しかしどんなにきれいな缶でも、何年も何十年も経つと所々黒く錆びついてきます。

「ほらぁ、しまっておくと錆びてくるんだよ。その時要らないものなら捨てなくちゃ」と母に話すと
「そんなこといっても、ひと様からいただいたものは、そんな簡単に捨てられないよ」と。

戦後、モノが少ない時代を生き抜いてきた親世代にとって、モノは時代が豊かになっていく証だったんでしょうね。そしてひと様からいただいたモノは、たとえ自分が今使わなくとも、とりあえずしまっておく。しまっておいて、いつしかその存在を忘れてしまう。その繰り返しだったのでしょう。

「もう使わないなら捨てようよ」と母に言うと、「あんたがやってくれるのなら」と、めずらしく母と意見が一致。
これはチャンスとばかりに「押し入れにある座布団やタオル類も整理しようか」と母に問うと「どうやって?」と聞くので、思わず口がすべって言いそうになりました。
「捨てればいいんだよ」と。

いけない、いけない。母に「捨てる」という言葉は禁句なのです。
「欲しい人に買い取ってもらえるよう、お店に持っていく」
はい、我ながらよくできた答えでした。

「私はもうどうしていいかわからないから、あんたがみんなやってちょうだい」
初めて母から、実家の断捨離の許可をいただいたのです。

義理と人情

家を新築し、もうすぐそちらに引っ越してしまう近所の母の友達が遊びにきました。
2人とも口をそろえて言うことには
「なんでこんなにモノがあるんだろうね」
「いつのまにか増えてるよね」
「自分で買ったものなんてひとつもないのに、なんでモノって増えるんだろうね」
「モノに殺されるよね」

・・・と、まぁ、ここだけ聞いていれば、私とまったく同じ気持ちなんですよね。

では「殺される」ほどある「モノ」を、なぜそのまま置いておくのか?
母は「ひと様からもらったものは、簡単には捨てられない」と言います。
結果、お菓子を食べたあとの空き缶や空き箱までもしまっておく。必要だからしまっておくのではなく、いただいたものだから捨てるのは申し訳ないという義理と人情がそうさせるのかな・・・なんてことを考えました。

押し入れの中には、何十年も前の結婚式の引き出物であるシーツやタオルケットが山積みとなっているのですが、長い間使わずにしまっておくと、いつのまにか変色してくるのですよね。
モノをあげた側にすれば、すぐに使ってもらったほうがずっとうれしいのに、使わずにしまっておいて劣化する。そのまましまっていることを忘れる。
これでは義理と人情に反するよねぇ・・・。

死ぬまでに片付けてくれ

階段下の物置の中に長い間しまわれていたモノは、すべて不要品であったので、処分しました。

日用品をわかりやすく棚の中にならべたら、母も「きれいになった」と喜びました。

 

不要品で占領されていた空間は、きれいさっぱり何もなくなりました。

それから、押し入れの中から、引き出物でいただいたきれいなシーツを出して、母のベッドのシーツを交換しました。
「別にシーツなんかまだ使えるから交換しなくていいよ」と言う母を後目に、強引に新しいシーツと交換すると母は
「ありがとう。気持ちいいね」と言いました。

そして母。
私が死ぬまでに、家の要らないもの、全部捨てていってちょうだい」と言うではありませんか!
今まではずーっと
私が死んだら捨ててくれ」と言っていたのに・・・です。
それが「死ぬまでに」と変化したんです。

この心境の変化はどうしたことだろう。
一時中断していた私の断捨離活動が、再び始動する時なのか?

そうだ、そうだよ。
私が求めていたものは、こんな風に母と同じ方向をみて、一緒に考えていきたかったことなのでした。
父が亡くなってから2度めのお盆が過ぎ、少しずつ何かが変わっていけたらいいなぁ。

捨てようと思ってゴミ袋に入れていた空き缶の中のひとつを、母がそこから拾って持って行ったことは、気づかないふりをしようと思いました。

 

コメント

  1. まりも より:

    やりましたね!
    私が義母の家を断捨離したときは、いらないと選別したものはすぐにゴミ袋に入れ、目につかない
    母屋とは離れた作業場に一時保管した上で、翌朝リサイクルステーションへ一輪車で運んでました(一週間後、一輪車はパンクしました)。義母にゴミ袋から再選別させないよう、ゴミの処理は迅速を心がけました 笑。すっきりすれば、やっぱり気持ちがいいらしく、義母は牛歩並とはいえ、少しづつモノを減らしているようです。
    そらはなさんも、とんとんと事が運ぶといいですね!

    • そらはな より:

      まりもさんへ♪
      そうなんですよねー。捨てると決めたものは、さっさと目に入らない場所へ移してしまわないと、また拾ってきてしまう(笑)。
      でも、スッキリした空間は、やっぱり気持ちがいいものです。
      牛歩並みでも、とにかく前へ進むことが大事ですね(*’▽’)
      それにしても・・・一輪車パンクって・・・。どんだけモノを運んだのかと、思わず笑ってしまいました。

  2. えりあまま より:

    お疲れ様です!ようやく一歩前進ですね
    それにしても、トイレの水漏れ、階段下の物入れ。。。このキーワードにドキドキしてしまいます。我が家の1年半前に頭の中でエンドレスで響いていた言葉だわ
    お母さんの心境の変化も良かったですね〜
    風通しのよい部屋で暮らして欲しいものね〜

    • そらはな より:

      えりあママさんへ♪
      そうなの、そうなの。
      私もえりあ家のことを思い出しましたよ。
      最初は水道メーターの異常な回転から始まったんですよね。
      うちはトイレの水漏れで、とりあえず修理で水漏れはおさまったけれど、業者の方から「一か所水漏れしたってことは、他の箇所もいつ水漏れするかわからない状態だ」と言われました。
      ああー、どうなっていくんだろー。

  3. ままっち より:

    最後の一文、何だか胸がぎゅっとして切なくなりました。

    主人の母も私の母も、そらはなさんのお母様と同じ。
    物を捨てられないんですよね。
    本人達に悪気はないのが分かるから、余計に厄介で・・。

    お母様と同じ方向を向けた事、良かったですね。
    これから紆余曲折あるかもしれませんが、断捨離活動頑張って下さい。

    • そらはな より:

      ままっちさんへ♪
      実家の断捨離活動を少しずつ進めていけるのはよかったのですが、なんせ庭仕事もやりたいので、もう体が3つくらい欲しいです( ;∀;)
      まだまだ先は長いんだし、私自身も体が元気でなければなにもできないので、無理せずマイペースですすめていこうと思っています。

  4. るり玉 より:

    こんばんは。

    階段下がスッキリきれいになったことがよほどに気持ちよく感じられたんでしょうね!
    そらはなさんのがんばりの賜物ですねv(・∀・*)
    まだ使えるけどこの先使わないものを「捨てる」ではなく、
    「譲る」にしたこともお母さんの気持ちを穏やかにしたのでしょうね。
    そらはなさん、言葉のチョイスがナイス!
    お片付けが進みそうですね。
    空き缶をひとつ拾ったお母さんの気持ちもちょっと分かる(о´∀`о)
    お家の中もお庭もやることてんこ盛りですね!
    そらはなさんの腕が鳴るわね~ヽ(・∀・)ノ
    気力体力。。。今のうちですね。

    • そらはな より:

      るり玉さんへ♪
      そそそ。そうなんですよ。
      やることがいっぱいあって、本当に1日24時間では全然足りない!
      せめてこの五十肩が早く治ってくれたらいいのですが・・・。
      時々不意に後ろ側に手がいって、悶絶しながら動いています。

  5. とも より:

    こんばんは。

    お母様と同じ方向を見て。という言葉にジーンときました。ブログ読者として、これまでのお母様とのいきさつを拝見して、お互いに分かり合えないことを悩んでみえましたね。今日のブログは、なんか優しい光がスーッと差したような気がしました。穏やかな時間がずっと流れるといいですね。
    写真を拝見して、約1年半かかって母屋の物を片付けた記憶が蘇りました。
    みんなあの世代の方は、使って活用しませんね。
    私は、古物商の人に買い取ってもらえなかった物は、寄付しました。特に布団類は送料はかかりましたが、喜んで頂けました。
    実母ももったいない症候群なので、きっとたいへんだろうなー。今でも恐れる言葉は、あんた着るか?使うか?と言ってくること。
    ホントにモノに殺されそうです。

    • そらはな より:

      ともさんへ♪
      これまでの母とのやりとりを、ともさんはずーっと見守ってくださって時にはアドバイスもいただき、わかってくださる方がいるというのは心強いものですね。
      ともさんも、義親の家の片づけをされたのできっとたくさんのご苦労があったことでしょう。
      「あんた着るか?使うか?」って言葉、わかる、わかる~(^^;)
      うちの母は「孫たちが新しい所帯を持ったら使えばいいべ」と言うのですが、いやいやいや、今の若い世代は自分たちで好きなものを買いますって。

  6. T M ♪ より:

    よかったですね…(しみじみ)
    必要性と快適さを実感してもらえたから、お気持ちが動いたのかしら?
    これは…攻略法が見えたのでは?
    いつの日か、どんどん素敵になっていく空花さんちサイドのお庭を見て、
    母屋の庭にも手を入れて欲しいと仰るかも?
    ますます忙しくなりますね^_^

    人から頂いたものを、空き缶だって、捨てられない─── なるほどねぇ…しみじみと日本人らしいメンタルですね。感じ入りました。
    同じように敗戦から戦後の荒廃を立ち直ったイタリアやドイツでは、戦中派の年寄りがモノを捨てられないって聞きませんもん。
    家を快適に美しくすることにかけてはすごいですから、あの方たち。
    (高度経済成長とアメリカ型消費文化の洗礼に関しては、日本独自でしょうか)
    引き出物やら香典返し、果てはお中元やお歳暮などなど
    これほどモノを贈り合う習慣は西洋の人にはないみたいですし。
    昔、日本人に親切にしたら物を送って寄越すことに心底驚いた、という話を聞きました。お礼状一通でいいものを、なんでいきなりモノだけ来るのって。
    いつだったか、香典返しについて、物を通じて気持ちを贈り合うのだ、と空花さんも書いてらっしゃいました。
    日本人は物に気持ちを託すんですね〜〜。
    そうすると〝気持ち〟を捨てられないってことにもなりますね。そうかぁ…
    でもっ!気持ちをしっかり受け取ったら、あとは手放すことを日本人は覚えないと、ですね。
    「自分で買ったものなんてひとつもないのに、なんでモノって増えるんだろうね」
    「モノに殺されるよね」
    には、胸痛みました。好きなモノを選ばせてあげて〜〜っていう気持ち。

    空き缶といえば
    『愛を読むひと』というドイツが舞台の映画があって(原作の題は『朗読者』) 紅茶の空き缶が、胸を締めつけられるようなエピソードに使われていたのを思い出しました。空き缶侮りがたし!(笑)
    お母様が一つ持って行ったのを不問になさったのはとてもよいことをなさったと思います(笑)。
    (センセーショナルな内容なんですが、表面的な善悪でなく人間の尊厳について、深く深く想わずにいられない映画(小説)でした)

    それにしても、ラスボス〝湯呑み〟のすごいこと!
    私の家なんてせいぜい6(5?)客揃えくらいでした。
    ひぃふぅみぃと数えそうになりました(笑)。
    きっとたくさんお客様を迎えるお家だったんでしょうね〜。

    • そらはな より:

      TM♪さんへ♪
      ちょっと驚きました。
      同じように戦争を経験した外国の方たちが、モノを捨てられないということはないのですね?
      これは日本人独自の感性でしょうか。
      いただいたら、同じような(価格の)ものをお返しする。贈る側は何かプレゼントしたくてやってるのに、同額のものが返ってきたら、なんだかガッカリしますね。
      私も、何かいただいたらすぐには返さず、何かの機会にお返しするようにしていますが、相手の受け取りかたは様々ですからねぇ。
      「ものをあげたのに、なんのお返しもない」なんて怒る方もいるんでしょうね。
      TM♪さん、するどい!
      父が現役だったころは、お正月にたくさんの人をお招きして食事を出していたものです。
      数年間続いたかなぁ・・・。今となっては、アンビリーバボーなことです( ;∀;)

  7. 金色のぞう より:

    初めまして、そらはな様

    お母様がご存命なうちに、新しいシーツを使っていただけて、気持ちのよい顔を見ることができて、本当に羨ましくも、良かったと思います!
    私も、父亡き後は存命中の母との物の考え方で、それはそれは近所から通報を受けるのではないかと案じるくらい、激しいバトルを繰り広げた憶えがあります。バトルの後は、私の諦めで終わることが多かったのですが、「持ち主が死んだら遺された者には大事なものかどうかなんて判断できない」という私の言葉は届いていたらしく、母の死後、少しは整理したような涙ぐましい努力の跡を見ることとなりました。でも、母には私たちから見ればゴミもゴミに見えなかった、年齢からも整理整頓の力はもうなかったのです。母の一周忌を迎え、大規模な断捨離を決行し、3世代にわたるゴミの処分に、旦那と一年ほど格闘しましたが、最終はプロにお願いせざるを得ませんでした。地下室、押入れ、階段下、あらゆる隙間に物は詰め込まれていました。布類は黄ばみ、プラスチック類は風化し、金物は錆び、電化製品は動かず。陶器類は箱の虫食いを取り除けば使えましたが、黄ばんだ布類は洗濯しても使えませんでした。私たちの子ども世代が虫食いの箱を見たら、陶器類も捨てたかもしれません。ゴミを出した後の我が家はとても風通しがよく、広々としていました。ああ、いろいろ思い出してしまい、くどくどと書いてしまいました。ごめんなさい。

    そらはなさんの文を読んで、涙が出ました。
    私も、亡き母や父、祖父母に気持ちのよいシーツや布団で過ごしてほしかった。綺麗な食器で家族の時間を過ごしたかった。物に家を占領されることなく、風通しのよい家で最期を迎えてほしかった。

    実現しないことをくよくよしても仕方ないので、自分たち夫婦は子どもたちにゴミを「なるべく」遺さないようにしようと話してあっております。

    • そらはな より:

      金色のぞうさんへ♪
      はじめまして。
      少しウルっときました。お母さま、ご自分でできる範囲で整理されていたということに、亡くなったあと気づいた・・・というところで。
      親の遺品整理、実家の片づけなど社会問題にもなっていますが、金色のぞうさんのお話をみただけで、壮絶な片付けだったということがよくわかります。
      親には風通しのよい広々とした家で、快適に暮らしてほしいですよね。
      この親世代との感覚のちがいは、もう埋めることができないのかなぁ・・・。
      私も、自分の子どもには迷惑かけないよう片付けをしていきたいと思います。

  8. ルイコ より:

    おはようございます。
    お母さまのこと、お庭の改造のこと、大変と言いつつ、ご自分の思いを実践されるパワーに脱帽です。
    綺麗好きな私の母も、押し入れには捨てられないものがたくさん!もったいないだけでなく、すべて思い出付きなのです。
    いずれ片付けは、私の仕事になるでしょう。少しでも減らしておきたいのが本心。
    そこで私が、身辺整理と称して自分の片付けを始め、スッキリして捜し物の時間が大幅に減ったことをアピール。すると母も少しずつ片付け始め、父の洋服も思い出のモーニングを残しすべて処分できました。その際、服の写真を撮り、リサイクルに出して、誰かの役に立つといいねと話しました。母の思い出も少しは保存できたかな。
    あすは我が身ですから、物を増やさず身軽に暮らしたい、それが理想で目標です。
    涼しくなったら動きます私(^。^;)

    • そらはな より:

      ルイコさんへ♪
      親世代がモノを捨てられないのは、やっぱり思い出にこだわるからなんでしょうかね。
      うちの母も、父の遺したものは「49日がくるまでは捨てられない」→「お盆がくるまでは捨てられない」→「一周忌がくるまでは」→「今年のお盆がくるまでは」と移り変わり現在に至ります。
      結局、いつまでたっても捨てられないんでしょうね。50年以上も一緒に連れ添った伴侶ですもんね。
      でも、私だったら、夫の大事ななにかひとつだけを遺して、あとは記憶に残る思い出だけでいいなぁ・・・なんて思います。(って、夫が先に逝く設定)