父が亡くなった後、実家の食器の片付けをしたのが8年前のこと。
ひとり暮らしとなった母が暮らしやすいように片付けをしたのですが、今回再び食器の片付けをしたのはワケがあります。
実家の片付けは難しい
実家の食器棚に、ギュウギュウに押し込められ重ねられた大量の食器。
父が亡くなったあと、食器の片付けに挑んだのですが、母を説得しながらの作業で、片付けられた食器は3割ほど。
▲2016年実家の食器棚 これでも片付け後
当時は、「母がこれでいいと言うのなら、もういいや」という敗北感のような挫折にて、これ以上の片付けは諦めた経緯があります。
あれから8年。
再び食器を片付けようと奮い立ったのは、食器棚に並んだ食器の汚さを目の当たりにしたから。
普段遣いの食器は、汚れが付着していたりくすんでいたり、欠けていたり。
周囲には使わない食器が山積みで、さらに清潔を保つことが難しい状況。
「自分でできるよ」と言う母の言葉を鵜呑みにしていたわけではありませんが、母が自分でできることは、「食べること」「着ること」「寝ること」であり、自分以外のモノの管理なんぞ、とっくにできなくなっていたんです。
私はそのことに気づいていながら、未だに片付けに関して頑なに抵抗する母に対して、私自身が傷つかないよう見て見ぬふりをしてきました。
食器の片付け
食器はもちろん、食器棚の中もホコリや汚れがたまっていたので、さすがに見て見ぬふりにも限界があります。
母には嘘をつきました。
「食器棚の中に虫が死んでいるから、少し食器を整理して掃除しやすいようにしよう」と。
それでも片付けを渋る母。
なんとかなだめて説得すると「こんなにたくさんの食器は必要ない」と言ったかと思えば、「食器を飾るのが好きだからそのままにして」と言ったり。
最終的には、「これ、もともと私の食器だから返してね」と母に言うと、意外とすんなり応じてくれて、めでたく大半の食器を処分することができました。
これで、食器棚の掃除もしやすくなります。(掃除するのは私なんだけど)
母をとりまく環境を整える
90歳を過ぎた母が、今でも自分のことを自分でできるのはすごいことだと思います。
でも、それはあくまでも「最低限の自分自身のことができる」ということ。
私にできることは、母をとりまく環境を先回りして整えて、母のプライドを保つことだと、あらためて思いました。
それにしても、実家の片付けというものは、一筋縄ではいきませんね。
次は、実家の客間の大量の座布団をなんとかしたいなぁ。
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