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家族ってなんだろう?認知症の母と長男の結婚で思うこと

家族と他人の違いってなんだろう?
と、最近考えています。

というのも、高齢の母が、家族のことに興味や関心を持たなくなってしまったからです。
認知症であるというのも大きな要因なので、しかたがありません。

でも、同じ屋根の下で暮らす家族としては、それがやるせなかったり寂しかったりしています。

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家族ってなんだろう

血縁を絆とする枠組みを家族とする考え方は一般的ですが、趣味や価値観を共にする集合体を幅広く家族と捉える考え方もあります。

その昔、冬ソナのヨン様が日本のファンのことを「家族」と呼んでいて、ちょっとびっくりしましたが、精神的な絆を求めて家族とする表現もあるんでしょうね。

で。
私が思う家族とは、一般的な親子関係であり、かつ、うれしいことや悲しいことを共有し、分かち合えるのが家族なのかな…ということ。

夫婦間でもそうありたいし、子どものことであればなおさらです。

家族の誰かが傷ついたり悲しみを背負ったりすると、自分の心も痛みます。
それは、簡単に他人には打ち明けられなかったりします。

逆に、我が子の成績が上がった、スポーツ大会で優勝した、何かの賞をとったなどなど、親としては誇らしくてうれしいことでも、他人にそれをあからさまに伝えたら単なる自慢と捉えられるかもしれません。

でも、家族間であれば単純に素直に喜びを表現できます。
それが家族というものなのだと思っています。

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長男の結婚報告

先日、長男が入籍をしました。
このご時世なので、式は挙げません。

私たち親世代の頃には当たり前のように行われていた結納も、もちろんしませんし、親同士の顔合わせも、まだしていません。

両家とも、いずれ頃合いを見計らって、顔合わせを兼ねてお食事会が出来たらいいな…くらいの考えなのですが、主導権は当然のことながら子どもたち本人。

長男が、そのうち食事会を計画するというので、親の私たちはのほほんと待っていればいいだけです。

なんてラクチンなのかしら!
コロナ禍で逆によかった・・・とさえ思っている私です。

そして、長男に新たな家族ができたことに、私の心も幸せに満ち満ちています。

孫の結婚には関心がない祖母

お正月に長男が彼女を連れて帰省した際、実家の母にも挨拶をしていたのですが、当然のことながら母は覚えているはずもなく…。

そしてこのたび、入籍を済ませた満面の笑みの2人の写真が送られてきたので、それを母に見せて結婚の報告したのですが、「ふーん」と言ったきり、すぐに忘れてしまい…。

もう自分の日常生活以外の話は、すべて拒絶しているような、そんな印象を受けました。

3~4年前、甥っ子(私の姉の子ども)が結婚する時にはまだ、ご祝儀はいくら包めばいいか?だの、いつ渡せばいいか?だの、何度も何度も繰り返し話していたというのに、今回の長男の結婚に際しては、それすら無し。

別に母からのお祝い金が欲しいわけではないのですよ。
ただ、まるっきり関心のない態度に、なんだかガッカリするやら、しかたがないと自分に言い聞かせるやらで、悲しい気持ちになりました。

家族ではなく単なる同居人

高齢で認知症でもある母に、過度の期待はしていません。
しかし、結婚という家族の喜ばしい話も、母と一緒に共有できなくなってしまったことに、もう家族じゃないと考えたほうがいいのかな・・・と思ったり。

母を単なる同居人として捉えれば、危険のないように日常生活をサポートするのも、私の仕事として割り切ることができます。

その方が、母の暴言に腹も立たないし、受け流すこともできます。

でも、やっぱり母は私の親であって、家族なんですよねぇ。
だから母が、長男の結婚について「知らん!」と言ったら、「そうなのね~」と受け流せばいいものを、ついついカッとして「お正月にも会ったでしょ!」と、返してしまう。

それに対して母も「そんなもん、覚えてないわ!」と言う。

私は「はい、はい」と小声で言って、母の部屋からそそくさと出てくる。
これが自分の心を守る精一杯の策なのです。

本当は、母と一緒に長男の結婚の喜びを分かち合いたかったのに。
長男が生まれた時の話や、幼かった頃のエピソードをいろいろ語りたかったのに。

母のことを単なる同居人と割り切れないから、やっぱり切ないのです。

コメント

  1. 白雪さくら より:

    そらはなさん、おひさしぶりです、白雪です。
    ご長男さんのご結婚、おめでとうございます
    そらはなさんのブログと出会ったときには大学に入ったくらいで、その後のいろいろなこともうかがっていて自立したしっかりしたお子さんだなと思っていましたが、あっという間ですねー!

    そしてお母様のこと…切ないですね・・・そらはなさんの悲しみ、お母様に対する思い、伝わってきます。
    そんなそらはなさんに、外野の第三者である私から、いろいろコメントするのも失礼だと思いつつ、思ったことは、「『家族』っていろいろあっていい」ということです。
    そらはなさんが思うように、共に喜び共に泣き、相手のことを我がこととして分かち合えるのは、とても素晴らしいことだし、そうありたいと私も思います。そして、そらはなさんファミリーがそういう素敵なご家族であるということも、ブログを読んできたので納得です。
    でも、世の中の家族って、やっぱりそういう家族ばかりじゃないし、きっと素晴らしい家族関係であっても、やっぱり個人ひとりひとりは違ってて、分かりあえないことや共有できないものもあると思います。それでも共に歩み、分かち合いたいと願い、どんなときでも見捨てられない・・・それが家族の素晴らしさであり、同時に悲しさなのかな、と思いました。
    同居人と思えたら楽、本当にその通りです。きっと、家族の介護等で悩んでいる方、皆そう感じていると思います。プロの援助専門職でも、自分の家族に対しては感情的になったり、仕事のように冷静沈着に適切な対処法を取れないものだと聞きます。そういうものみたいです。
    だから・・・そらはなさん、慰めにも何にもならないかもしれないけど、そういう家族の形も、「あり」ですよ。そらはなさんが感じる痛み悲しみは、今はお母様には分かってもらえないかもしれないけど、家族愛のあらわれです。そして、ひょっとしたら、そらはなさんにはわからない形で、お母様のそらはなさんに対する家族愛もあらわれているんだと思います。お互いにそれがわからず一方通行同士なのが悲しいですが、でもご自分の愛を大切になさっていいと思います。

    認知症は脳という臓器の障害です(これもそらはなさんは十分ご存知で釈迦に説法でゴメンナサイ)。たとえば障害された臓器が目であったなら、他人が「これを見てほしい!!!」とどんなに思っても、本人がどんなに努力しても、見えない・見られないというのが動かしがたい事実である、ということは、割と誰もが納得できるんですよね・・・もちろん、見えないことへの悲しみや痛み等はありますが、「どうして見てくれないの!?」ということの理不尽さはわかりやすい、ということです。手足であってもそう。でも、これが脳の場合、なかなか周囲も自分も受け入れがたい。これもそういうものみたいです。

    甥御さんの結婚の時は関心があったのに・・・というのも、傷つくところだと思います。でも、その頃は少し「見えて」いたけど、今は「見えなくなった」ということなんですよね。誰も悪くない、お母様の愛情が少ないわけでもなくなったわけでもない。でも悲しいですよね、見てほしいですよね、分かち合いたいですよね。
    息子さんのご結婚に関心がない、というところで、関心がないのではなくて理解できない・ついていけないのかもしれない、と思いました。
    高齢の認知症の方が、子どものことを分からなくなってしまったけど、ご本人のなかでは自分の子どもの小さい頃を認識している、という場合があります。だから、目の前にいる成人したお子さんが、自分の子ども(たとえば小学生だと認識している)だと分からない、別な人だと思う(だって自分の子どもは小学生だから)、とか。
    息子さんをそんなふうに認識しているかどうかはわかりませんが、お母様にとって、やれ大学卒業だ結婚だという流れが急激で速すぎて、ついていけないのかな、と感じました。お母様の時の流れと、たぶん違うんだと思います。
    そして、自分を置き去りにしてどんどん進んでいく周囲の中でお母様がご自分の世界を守るために、
    >もう自分の日常生活以外の話は、すべて拒絶しているような、そんな印象を受けました。
    という感じになったのかな、と思います。
    なかなかそうでない人間には想像できないことですが、自分には理解できないのに周りはどんどん進んで行って待ってくれないというのも、辛いことだと思います。
    みんな辛く、悲しい。でもそんななかで、そらはなさんは、本当に一所懸命やっておられます。

    >長男が生まれた時の話や、幼かった頃のエピソードをいろいろ語りたかったのに。
    ↑意外とこれはあきらめなくていいかもしれない、とも思いました。
    認知症の方は最近のことは覚えらなくても昔のことはよく覚えていることがありますし、「回想法」といって昔のことを思い出し語り合うリハビリ法もあります。
    過度な期待は禁物ですし、結婚とは結びつかなかったりするかもしれないけど、いつか何かの機会に、そういう形で長男さんのことを語りあえることもあるかもしれません。
    今を分ちあうことはできなくても、お母様の中には、何か大事にしている思い出とか、きっとあるんだと思いますよ。なかなか出せないだけで。

    どうか、そらはなさんとお母様が、よい時間を共有できますように、心からお祈りします。

  2. 白雪さくら より:

    長々とゴメンナサイ!自分で読み返して、何て偉そうなんだ…と反省しています。
    そして、改めて、ご長男さんのご結婚のお祝いを申し上げさせてください。
    素敵な家庭を築かれることでしょう。そうやって長男さんがご自分の人生を新たな家族と共に歩まれることは、たとえ今のお母様が理解できなくても、心の奥底では孫の幸せ願っておられることだと思います。
    そらはなさんも、思う存分喜んで、幸せ感じてくださいね。
    そらはなさんにも、素敵な家族が増えましたね。コロナ禍の新しい家族の出会い、これもまた新たな形ですね。
    結婚となると、いよいよもう自分の子どもであって子どもでないような、なんとも言えない不思議な感慨がありますよね。
    ご長男さんファミリーに幸あれ!

    • そらはな より:

      白雪さくらさんへ♪
      いつも温かいコメント&アドバイスありがとうございます(^^)

      「息子さんのご結婚に関心がない、というところで、関心がないのではなくて理解できない・ついていけないのかもしれない」
      というのが、ストンと心に響きました。
      関心がないのではなくて、理解できない。
      まさにそうだんだろうなぁ。

      そして
      「自分を置き去りにしてどんどん進んでいく周囲の中でお母様がご自分の世界を守るために」
      一番つらいのは、母なんですよね。

      きっと私は、まだ母から返ってくる言葉に期待をしているのだと思います。
      きっと私は、我が子の成長を母に認めてもらいたいと、まだ思っているのだと思います。
      いくつになっても親は親なのだなぁ・・・と、白雪さくらさんのコメントを何度も読み返して、つくづく思いました。