100均で毛玉取りを買いました。
電池で動くタイプのものです。
老健で暮らす母の洋服の毛玉を取ろうと思ったからです。
毛玉取りをほとんど使ったことがない私
普段、私は毛玉取りをほとんど使いません。
自分の服は毛玉ができにくい素材が多く、気になった時はT字カミソリでササッと取る程度。
それで特に困ることはありませんでした。

ダイソーで毛玉取り購入 単3電池2本使います
でも、母の服は違いました。
母の洋服についた毛玉
老健から持ち帰った母の洋服。
袖口やズボンの尻部分には、毛玉がたくさんついていました。

擦れる場所には毛玉が多い
小さな塊が、なんだかとても気になりました。
母が家にいた頃、洋服の汚れには気を配っていましたが、毛玉には目を向けたことはありませんでした。
外出はほとんどせず、よそ行きの服が毛玉だらけになることもなかったからかもしれません。
普段着には、おそらく毛玉がたくさんついていたのでしょう。でも、そんなことを気にかける余裕が、私にはなかったのです。
母のため?それとも私のため?
今、老健で暮らす母の洋服の毛玉をせっせと取っています。
母が恥ずかしくないように、身なりを整えてあげたい。

毛玉取りを使えばあっという間に毛玉が取れる
でも、本当のところ、母には毛玉なんて見えていないでしょう。
視力も落ち、記憶も薄れつつある母には、もはや洋服の細かな部分まで気を使うこともないでしょう。
それでも、私は必死に毛玉を取ります。
それは、母が少しでもきれいな姿でいてほしいから。

想像以上に毛玉って取れるのね
けれど、母がそれを喜んだりすることはありません。
母は、もう何も気にせず、その時々の自分の世界で生きているからです。
私がしていることは、母のため?それとも私のため?
毛玉取りをしているとき、ふと気づきます。
それは、母のためではなく、私自身のためだったのだということに。
母が老健に入る前のように、私が母を世話している実感を持ちたかったから。
私はその自己満足を求めて、毛玉を取っているのかもしれません。
母がそれに気づくことはなくても、私はずっと母のことを考え続けています。
母は私を覚えているだろうか
母はもう、私のことを覚えていないかもしれません。
母が目にする世界は、もう私たちとは全く違うものになっていると思うのです。
わが子(私や姉)のことを思い出すこともなく、ただその瞬間を過ごしているのでしょう。
でも、面会時には、私や姉の名前をフルネームで呪文のように繰り返します。
記憶の断片を必死に手繰り寄せる母の姿。
目の前にいる私が、自分の娘だと認識することも難しいのだろうと思います。

洗濯して毛玉も取ってきれいになった!うれしい
母の洋服を洗濯しているのも、毛玉を取っているのも、誰だか分からないのでしょう。
それでも、私はその手を止めません。
それでも私は、母の服をきれいにし続けます
毛玉取りの小さな音が、静かな部屋に響きます。
リズミカルに響くその音が、ふと私に気づかせます。
母のためにしていることが、実は自分のためだった…ということに。
その気づきが、あまりにも切ない。
母は、もう自分の姿を気にすることはないのに、私はそれを求めている。
母がわからなくても、私は母をきれいにし続けることが、どこかで私を癒しているのだと思います。
コメント
そらはなさん、お疲れ様です
昨年12月に老健に入所した私の母ですが、誤嚥性肺炎で系列の病院に入院しました。
当然、老健は退所です。
肺炎は徐々に良くなってきていますが、また今後のことを一からやり直し。
病気せず穏やかに過ごして欲しかったけど、なかなか思うようにはいきませんね。
そらはなさんのお母様に対する思いは、私と同じです。
離れて暮らしていても、なにか母のためにしてあげたい・・・
自分のためであってもいいじゃないですか。
私も「自己満足だな~」と思いながら、完全看護の病院へ通っています。
いろいろ悩んで心配して・・・もう十分がんばっているのですから^^
ひろさんへ
お母様、入院されたのですね。
高齢になると、誤嚥性肺炎になることもありますもんね。
施設で安全安心な環境であっても、何が起こるかわからないですね。私も心に留めておきます。
親のことで、悩んで、心配して…結局は自分が安心したいからですが、これでいいのですね。
ありがとうございます。
こんにちは、そらはなさんのブログを読んで泣けました。気持ちが伝わってジーンとしました。
お母さまはとても穏やかに過ごしていらっしゃるようで何よりです。
介護する中で大変な事が沢山あっても
親にしてもらった事を思うとまだ何か出来たのではと思ったりします。母の見舞いに行くと(心不全で入院中)今でもその時だけは唯一子供に戻れる気がして(還暦なのにね)
健康に日常を楽しみながら過ごしましょう。
パインさんへ
こんにちは。
パインさんのお母様は入院中なのですね。
時々、介護ってなんだろう?って思ってしまいます。
自分の体裁を取り繕っているだけではないか?とも思ってしまいます。
それでも、後悔しないよう、今自分ができることを淡々とやっていくしかないのでしょうね。
そらはなさん、こんばんは。
綺麗になったセーターを着たお母様を周りの人は、似合うよとかいいねとか声をかけてくれるのではないでしょうか♪ 笑顔に繋がっていたらいいですね。
私の父親は、今年86歳になります。会話もトンチンカンな内容になったり携帯の操作もおぼつかなくなってきました。わたしもイライラすることが増え、時に反省しています。いつも、そらはなさんのブログ拝見して、学ばせてもらったり元気をもらっています。これからもよろしくお願いします。
ここさんへ
こんにちは
「笑顔に繋がればいい」って、本当にそのとおりだと思いました。母にはわからなくとも、記憶に残らなくとも、その一瞬でも笑顔になることが増えればいいなぁ。
お父様、86歳で携帯の操作ができるって、すごいですね。できなくなっていくことは増えていきますが、またできることもたくさんあるんですよね。
私も、母のできるところだけを見つけていきたいなぁ。
そらはなさん初めまして。ブログ読み胸がギュッとする思いでした。
私の母も認知症でした。(昨春亡くなりましたが)
きれい好きでおしゃれだった母が片付けができなくなり、着たきりすずめになってしまい…私のことは家事をしたりお風呂に入れてくれる親切な女の人くらいの認識だったと思います。それでも通い続けたのは私が後悔したくない思いが一番強かったからです。会話が成立しなくとも笑顔を向ければ母も笑顔で返してくれました。その表情に救われ、かつての母を重ねる自分がいました。
認知症だからこそ「快」「不快」は敏感に感じ取ります。
そらはなさんの優しい思いはお母様にずっと届いていますよ。
ご自身のお身体も大切に、お母様も健やかに過ごせますように。
あみさんへ
こんにちは。
あみさんのお母様も認知症だったのですね。
親子であっても、相手の本心はわからないものですよね。
だから、最期は母が望むことを叶えてあげたいと思うのですが、それがわからないから苦しくなるのかもしれません。
でも、あみさんがおっしゃるように「笑顔を向ける」ということが大切なんだと思いました。
ありがとうございます。
そらはなさん、同じ記事に2度目のコメントごめんなさい
ダイソーの毛玉とり、ここで拝見して私も買いました。
すっごく役立ってくれています。
お安くていいものを教えて頂いてありがとうございました^^
・・・私は自分の服の毛玉をせっせと取っていますけど(笑)