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実家のタンスに眠る着物を処分|母の言葉と祖母の記憶に向き合って

実家の納戸に、ひとつだけ残っていたタンスがありました。
その中には、ぎっしりと詰め込まれた着物の数々。

ずっと気になりながらも手をつけられなかったその整理に、ようやく重い腰を上げたのは、ごく最近のことです。

いざ始めてみると、作業そのものは拍子抜けするほど単純でした。
ただひたすら、着物を取り出して、ゴミ袋に入れていくだけ。
そして、ゴミの日に決められた場所へ運ぶ。
それだけのことでした。

それなのに、どうして今までできなかったのか。
──たぶん、それは、その着物たちが「私の持ち物」ではなかったからだと思います。

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祖母たちの着物と、記憶

タンスの中の着物は、母のものではなく、ほとんどが祖母たちのものでした。

納戸の中の最後のタンス

父方の祖母も、母方の祖母も、日常的に着物を着ていた記憶があります。

父方の祖母は、私が幼い頃、働いていた母に代わって、よく面倒を見てくれました。
厳しい性格でしたが、ごはんを食べさせてくれたり、きちんとしつけてくれたり。

幼稚園に上がる頃には認知症が進み、徘徊や弄便があったとも聞いています。

晩年は寝たきりになりましたが、それでも枕元の裁縫箱から、そっと10円玉や100円玉を渡してくれるような、どこか愛情深い人でした。

母方の祖母は、対照的に、穏やかでいつもにこにこと優しい人。
私のことをたくさん褒めてくれて、祖母の家に遊びに行くのが楽しみでした。

泊まりに来たときは、一緒に寝るのがとてもうれしかったのを覚えています。

そんな大好きだった祖母は、私が20代の頃に胃がんで亡くなりました。

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思い入れのない着物たち

二人の祖母の姿は、今も心の中にしっかり残っています。
でも正直に言えば、その着物たちには、私自身の思い入れはあまりありません。

見てもなんの感情も動かない着物たち

「リメイク」という方法も頭をよぎりましたが、柄も風合いも、今の自分の暮らしにはなじまず…。
たとえ小物にしても、きっと使わないまましまい込んでしまう気がしたのです。

それでも長年手放せなかったのは、母の言葉がずっと心に引っかかっていたから。

「私が死んだら、全部捨ててくれ」

片づけを託された子どもとして

母もきっと、自分ではどうしたらよいかわからなかったのだと思います。
だからこそ、「死んだらお願いね」と私に託したのでしょう。

たくさん着物を仕立ててもらったんだろうなぁ

けれど、母はすでに認知症が進み、今は施設で静かに暮らしています。
意思の確認もできなくなってしまった今、私は私の判断で、家の中を少しずつ整理しています。

自分が元気なうちに、できるかぎりのことをしておきたい。
使っていないもの、思い出だけが詰まったものは、少しずつ手放していきたい。
そうしないと、過去に縛られ続けてしまう気がしてなりません。

着物を処分して感じたこと

処分した着物たちは、長いあいだ、タンスの中で静かに眠っていました。
それをゴミ袋に入れて出した日、ふっと心が軽くなったように感じました。

家の中の空気が、ほんの少し変わったようにも思えました。

たくさんの記憶をありがとう。
たくさんの時間を重ねてくれてありがとう。

さようなら、祖母たちの着物。

これからは、私の好きなモノたちと、私らしく暮らしていきます。

 

コメント

  1. シナモン より:

    そらはなさん、こんにちは。シナモンです。
    去年の年末に、実家の母から、和ダンスに防虫剤を入れて欲しいと頼まれて(実家の2階に和ダンスのあります)、着物の整理しました。母の着物と近くに住む姉の着物が保管されています。うちの場合、大量ではなく、訪問着数枚ずつと喪服なので、タンス一竿のみ。
    姉の着物はしつけも取っていない状態です。私もですが、喪服以外着る機会がなかったです。

    私の二女が、自装はできませんが、着物が好きで、背丈が母や姉と同じくらいなので、譲り受ける予定です。(姉のところは男の子なのです)

    汚れを気にして着ないより、着てくれた方が、着物あつらえてくれた両親も喜ぶと思っています。

    • そらはな より:

      シナモンさんへ
      お孫さんが着てくれるなんて、お母様も喜びますね。
      私は祖母の着物は、活用できませんでしたが、祖母の思い出はしっかりと記憶の中に残しておきたいと思います。
      ちなみに、着物のダンスを開けた時に防虫剤の匂いに、昭和の香りを感じました。