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「記憶にございません」と認めた母 記憶になければ真実ではない?

認知症になると、新しいことを覚えられない「記銘力」が最初に衰えてくると言われます。
なので、母へ何か伝える時は、あまり前もって話をしていてもすぐに忘れてしまうため、前日に話しをします。
さらに当日の朝にも話しをするという二段階法をとっていますが、最近はいよいよこれも怪しくなってきました。

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体験をまるごと忘れる

仏壇の前に置かれたお菓子の詰め合わせを見て、母が言いました。
「これ、誰が持ってきたの?」

「お姉さんだよ。お盆に来たとき持ってきたでしょ」と私が話すと、なんと母は姉一家が来たことを、まるで覚えていませんでした。

「〇子、来てた!?いつ?」と驚いたように聞く母を見て、私のほうがもっと驚きました。
だって昨日も、このお菓子を見ながら、母が聞いてきたからです。
ただし、その時はお盆に姉が来たことは覚えていて
「箱に名前が書いていないから誰が持ってきたのか、わからないじゃない!」とブツブツ文句を言いながら、箱に姉の名前を書いていたんですよ。

なのに、翌日になったら姉一家が来たことを忘れてしまった母。
自分の字でお菓子の箱に姉の名前が書かれていても・・・です。

認知症は、体験したことを丸ごとごっそり忘れてしまいます。
これを「全体記憶の障害」と言い、思い出せるように手がかりやヒントを与えても、まったく無駄なんです。
仏前に供えられたお菓子を見ても、母は姉が来ていたことを思い出すことができませんでした。

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記憶にございません

お盆に姉一家がきて、みんなでお昼を一緒に食べたこと。
そのあと、一緒にお墓参りに行ったこと。
母には、その時の様子を詳細に伝えましたが、「全然わからない」そうで。

そして、何度も話は振り出しに戻り、何度も何度も母が聞いてくるので、私も同じ回数だけ説明しました。

「お盆の時のことは、ぼんやりと霧がかかったようにみえて、はっきりわからない」と母は言いました。そして
「私もボケたんだね。〇子が来ていたこともわからないもの」と、困惑する母。

「いいんだよ、忘れたんでしょ。それは年なんだからしょうがないよ。忘れていいんだよ」と、私が話すと、
「忘れたんじゃない!記憶にございませんって状態なんだよ」と言い返す母。

田中角栄かっ!
とツッコミたかったけれど、確かに母の言う通り。

忘れたことは、ヒントを与えれば思い出すことができるけれど、記憶にないことは、もうどうすることもできないもんね。

以前の母ならば、覚えていないことでも適当に話を合わせたり、最後につじつまが合わなくなると「私は知らん!」と逆切れをしていたところでしたが、初めて「記憶にない」ということを認める形となりました。

記憶になければ真実ではない

認知症は、体験したことを丸ごと忘れるわけですから、記憶になければ真実ではないと認めてあげることも必要だそうです。
これが、認知症の人と関わる心得だっていうけれど、本当にそうなのかなぁ。

母のように、認知症の初期(と思っている)で、時にまともなことを言うこともあれば、記憶が曖昧なこともあるまだらの症状のうちは、記憶にないことも、聞かれたら私は事実を答えます。

例えば、目の前にあるお菓子の箱を見て、「これは誰が持ってきたのか」と聞かれたら、「姉が持ってきた」と答え、「いつ来ていたのか?」と聞かれたら「お盆」と答えるように。

「お盆に姉一家が来たことは記憶にない」と言われても、やっぱり私は「姉たちが来ていたんだよ」と答えます。

ちゃんと言ったよ!とむきになることが一番いけない

お盆に姉一家がきて、みんなで一緒にお昼を食べ始めた時のこと。
母がなかなか食べようとしないので、聞くと「もうお昼ご飯を食べた」と言うではありませんか。
そして、「あんたが(姉一家が)今日来ることを言わなかったから」と、私が悪いと言い出しました。

うっそ!
私、昨日も今朝も言ったよね?

と、どんなに母に言ったところで無駄なこと。
だって覚えていない、記憶にないんですからね。

挙句の果てに「あんたは言ったつもりでいるかもしれないけれど、一言も言ってないから」との母の捨て台詞に、ワナワナと震えましたもん、私。

言ったつもりなんじゃなくて、ちゃんと言ったわ!
そっちがみんな忘れてしまったんだよ!

姉が間に入ってくれて、なんとか私も重い鉛の塊を呑み込んだかのような気持ちで、それ以上母に言い返すのはやめにしましたが、こうやってムキになって言い返すのが一番いけない。

本当は、こんな時こそ「あー、私言ってなかったね、ごめん、ごめん」と言って、母の記憶にない事実を認めてあげればいいのですよね。

って!できるかいっ!

今後の対策

お互いが嫌な気持ちにならないよう、心地よく暮らせることが目標なので、今後どうしたらよいか考えました。

姉は「言っただけじゃ(母は)忘れるんだから、ちゃんと紙に書いて渡しなさい」って言ったけど、私が書くのは絶対に嫌なんです。
だって私の字で書いたら、「こんなの知らない」って言われるに決まっています。
だから、私が伝えたことは母が自分の手で記録するということが大事なんです。

母もこれまでメモに残すようにはしてきましたが、最近はそれも書き忘れることも増えてきました。

また、認知症になると自分に不利なことは認めない、本能的な面が露呈するようになります。
だから、意固地で頑固になってしまうのですよね。

だけど今回母が「記憶にございません」と認めたことは、ちょっと前進したような気がするんですよね。
「記憶になくていいんだよ、忘れてしまっていいんだよ、何回聞いてもいいんだよ」と母に言ったところ、安心したような表情になって母は言いました。
「そうだよね、私も年だもんね、覚えていないことがあっても、なんにも困らないし、あんたに聞けばいいんだしね」

そうなのよ。
何回でも聞いていいのよ。
だけどお願いだから、なんでも私のせいにすることはやめてくださいね。
それが認知症だと言われたら、相変わらず受け入れられないでいるのは私なんだけどね。

先日、ケアマネさんに言われました。
「お母さま、こうやって一人で一生懸命自分のことやろうとして、えらいですよ」

はい、わかっております。
私が日中仕事に行けるのも、時々どこかに遊びにいけるのも、まだ母が一人で留守番できる状態だから。
この事実を認めることが、一番の解決策ですかね・・・。

 

コメント

  1. るり玉 より:

    そらはなさん、おはようございます。
    ちょっとご無沙汰してました。

    介護って、介護を受ける方、介護を担う方、
    それぞれの人生の延長にそれぞれの関わり方があって、
    正解も不正解もない、手探りで悩んだり葛藤したりの繰り返しですね。

    義母が先日また肺炎で入院。
    その上腸閉塞になって緊急搬送、あれよあれよという間に人工肛門になってしまいました。
    80歳を過ぎて、目も手もおぼつかなくなってからの人工肛門のケア、
    退院して果たして一人でできるのか?
    土曜日に手術したばかりで全く先が読めませんが、不安でいっぱいです。
    その日は、広島でアイスショーがあったの。
    大ちゃん、織田くん、小塚くん、町田くん、佳菜子ちゃん、美姫ちゃん、
    そしてプルシェンコ様も。
    娘とずっと楽しみにしてて、いよいよ当日。
    チケットを切って会場入り、並んでいよいよ席に、というタイミングで病院から連絡が。。。
    とんぼ返りで緊急手術に立ち会いました。
    今年は東北の旅行も、東京行きも、いつも入院と重なってことごとくダメになって、
    こういう年回りになったんだな、と実感する年になりました。
    今後は予定は立てられない。。。
    介護をしながらも、ささやかでも楽しみは見つけていきたいけれど。。。

    そらはなさんもお母さんとの関わり方に悩んで色々工夫されて頑張っていらっしゃいますね。
    何とかお留守番していただけるうちに、たくさん楽しんできたらいいよ!
    私も今まで好き勝手に楽しませてもらったから今はちょっと我慢できる(笑)

    そういえば、オペラ座、チケット取れましたか?

    • そらはな より:

      るり玉さんへ♪
      お久しぶりです(#^^#)
      なんとなんと!アイスショー直前での呼び出しですかー((+_+))
      本当になんといっていいのやら。
      でもお義母さん、無事に手術を終えられたのですね。よかったです。
      年をとるたびに、親の介護が重なり、本当に予定が立てられなくなりますね。
      私も今が一番自由に動ける時なのかもしれません。
      オペラ座のチケット、とりましたよー。
      11月ですが、それまで何事もないことを祈るばかりです。

  2. るな より:

    認知症への対応力で大事なのは よりそう心

    1年365日あるけど、今 何月何日か定かでない。いつの地点の母なのかわからない。
    臨機応変にしないといけない。

    記憶は残らないのにその時体験した感情だけは残ること。
    怖いと思われたら怖い人と認知される。

    • そらはな より:

      るなさんへ♪
      おっしゃる通りです。
      だけど、毎度毎度これが繰り返されるのは、キツイと感じてしまいます。
      もっと適当に受け流せばいいのでしょうけどね。
      介護は未知の世界なので、難しいですね・・・。

  3. おれんじ より:

    るなさんではないけれど・・・
    「受け流す」じゃなくて「寄り添う」では?

    アグレッシブな方のような印象から、自分に引き寄せて考えるタイプとしたら
    相手に合わてものをみるのはなかなか難しそう
    よく似ていらっしゃるから親子でぶつかるのかもしれないですし
    思考の癖を意識してみられては?
    ストレスは受け流して、心穏やかに日々送られますように。

    • そらはな より:

      おれんじさんへ♪
      私は、どうもムキになってしまうところがあるので、もっと楽に受け流せたらいいのにな・・・っていつも思います。
      今の自分の課題は、受け流して、それから寄り添うことかなぁ。
      頭ごなしに怒られた時、まずは受け流すすべを身に着けたいです。

  4. 白雪さくら より:

    そらはなさん、お疲れ様です、こんにちは☆彡

    そらはなさんのお母様の認知症とは少し違うけれど…
    以前、事故で記憶障害を負った方のドキュメンタリーを見たことがあります。
    事故より前の記憶はあるんだけど、事故に遭ってから、記憶が蓄積できなくて、一日が過ぎて就寝して次の日起きると、事故以前の記憶しかない。事故後に過ごす毎日は、毎日消えてゆく。
    だから、その方は朝起きて、毎日毎日同じようにとても戸惑っていました。そこから何とか一日過ごして(起きてる間の一日は記憶をつなぐことができる)、でも寝るとまたすべて消えて、朝頭を抱える…。そんな毎日を必死で生きていました。
    時の流れに取り残されるってどんなに大変だろうか…。自分が過ごした一日が自分から消えてしまうってどんなに空しくて辛いだろうか…。想像しようと思っても、私には思いもつかなくて、ただ胸が苦しくなりました。
    だけど、その方は、それでも毎日を大切に生きていました。ご家族も、今日の記憶は明日にはなくなることを知っていても、いっしょに過ごす一瞬一瞬を大切にしていました。忘れてしまうからと言って、毎日の生活が無駄なわけでは決してないんだと思いました。
    そのご一家がそこまでたどり着いたのは簡単ではなかったと思うけど、試行錯誤しつつ諦めないで一緒に生きてきた結果であり過程なんだろうと思います。
    そして…そらはなさんもお母様も、前よりも今、そして今から後はもっと、少しずつだけど状況に対処する方法を進歩させてると思いますよ。ずっとブログ見ててそう感じます。
    いつかきっと、もっとずっと楽になって、お互い笑って楽しく過ごせる日々が来ますように。

    「忘れた」んじゃない、「記憶にございませんという状態」なんだ!というお母様。
    なんか、自分の世界を必死で守ろうとしておられるんだな~と、いたわしく感じました。
    外の世界と自分の世界がずれている、外の世界は自分を置いてどんどん進んでいて、自分の記憶にないのに事実はあーだこーだいろいろあったんだよと言われる戸惑いや不安、プライドの高いお母様にはお辛いことでしょうね。
    お姉様一家が来ることは知らなかった、だからご飯を食べてしまった。来ると聞いてたら一緒に食べたかったのに…と残念に思って、その無念さをそらはなさんにぶつける悪い癖が出てしまったのでしょうね…。その上「ちゃんと言ったよ」と言われて、聞いてない!言ってない!!って…
    ぐっと堪えたそらはなさんのお気持ち、お察しします。ご自分労わってあげてくださいね。

    >本当は、こんな時こそ「あー、私言ってなかったね、ごめん、ごめん」と言って、母の記憶にない事実を認めてあげればいいのですよね。
    いえいえ、そこまでする必要ないですよー!
    敢えて言うなら、「そっか、(あなたの記憶では(←心の中でつぶやいて))私言ってなかったか。じゃあ知らなかったね。あなたは悪くないよね。」くらいかと思うけど、そんなのよっぽど修行積んだプロじゃないと難しいですよ。
    いわゆる健常者同士でも、言った言わないは水掛け論ですもの。
    でもね…何かあると一方的に頭ごなしに「アナタのせいだ!」と責められたら、嫌だしムキになって反論したくもなりますよ。
    そこで我慢してるそらはなさん、本当に偉いと思います。
    ケアマネさん、お母様も頑張ってるけど、そらはなさんもものすごく頑張って、とっても偉いんですよーと言いたい!
    親の衰えや欠点を認めるって難しいですね。親は尊敬できる立派な存在であってほしいし、いくつになっても親に認められ褒められるのは嬉しく、否定され怒られると傷つく。人間って不思議なものですね。他人だったら割り切れるのに、親子だと…。
    でも、衰えても、何もできなくなっても、欠点が目立つようになっても、その人自身の尊厳は何も変わらないんですよね。外に表れるいろいろな言動に振り回されないで相手を受け容れるのが理想なんでしょうけど、ホント悟りの境地ですよねきっと…。
    プロのカウンセラーだって自分の家族とはムキになって言い合いすると聞いたことがあります。きっと介護の達人だって自分の親の介護は難しいんじゃないかな。

    いっつも偉そうなコメントですみません~(◎_◎;)
    お盆明けたのに暑いですねー!
    金足農業高校野球部の皆さんの健闘と秋田の皆さんの熱気でこの夏一番の暑さになったかと思うくらい(^^)
    どうぞお体にお気をつけてお過ごしくださいね。

    • そらはな より:

      白雪さくらさんへ♪
      毎日を一生懸命生きるってすばらしいことですね。
      だけど、その記憶がどんどん失われていくということは、とても恐ろしいことでもあり、寂しいことでもあり。
      子育て中に、子どもの気持ちに寄りそうことができるのは、自分が通ってきた道だから。
      でも年老いていく親になかなか寄り添えないのは、自分にとっても未知のことだから。
      最近そんな風に思います。
      お互いが歩み寄り、心地よく接するには、やはり言葉って大事だなぁと思います。
      母は、私以外の人にはとても物分かりのよい明るい人としてふるまっているのですが、だからといってわが娘に何を言ってもよいわけではないですよね。
      母娘であるがゆえの葛藤ですかねぇ・・・。
      いつも丁寧なアドバイスありがとうございます(#^^#)

  5. とも より:

    お久しぶりです。
    そらはなさんのイライラよーくわかります。頭では十分に理解できていても、感情が着いていきませんよね。
    それが毎日のように繰り返され、2年以上続いている。元の状態にならないこともわかっている。余計にストレスが溜まりますよね。私は離れて暮らしているけれど、父はずっとそばにいる。母もですが、父のメンタルも心配です。
    老人病棟で働く友人に、認知症の人の看護たいへんだねー。と、話したら、私達は、勤務時間が終われば、気分が切り替えられるけど、在宅介護のご家族は、切れ間がないから、ずっと大変だよ。と、話してました。全部を全部対応していたら、身が持ちません。テキトーが一番!なんて思います。
    先日テレビで軽度記憶障害のことをしていて、症状が母と同じでした。日常生活は問題ないけれど、とにかく忘れる。
    元記者の男性患者さんも、予定を忘れたりで軽度記憶障害の診断でした。しかし、筋トレのリハビリで改善されました。血流の悪さが症状を進ませるとか。今は以前と変わらぬ生活だそうです。
    母も脳の萎縮もあるので、投薬とかリハビリで少しでも進行が抑えられるとよいのですが、今はそのままの状態です。
    なんせ、本人は病気とは思っていないから、色々と試したくても、説得するのが至難です。
    「お母さん、物忘れ大丈夫?」
    「うん、私は何ともないよ。字も書けるし、計算もできる。何にもボケてないよ。」
    そして、電話の初めに話した同じ話がまた始まるのです。初めてはなすように。

    • そらはな より:

      ともさんへ♪
      「テキトーが一番」まさにその通りだと思います。
      だけど、これが自分の親だと難しい。
      うちの母は波があって、ものすごくクリアで機嫌のいい時もあれば、その逆もあるわけで、それにいちいち振り回される私もいい加減、慣れろよ!と自分に言いたい・・・。
      ともさんのお母さんのことは、お父さんがすべて見ているんですよね。
      長い間つれそった伴侶だから、うまくかわしたり受け流したりできるといいのですが・・・。
      私も、もっとテキトーにやっていきたいです。
      ただ、先日夫とも話をしたのですが、うちはまだ母が1人でなんとか暮らしている分、幸せだよね・・・って。
      自分の置かれた環境をもっと楽しんでやっていきたいと思っています。
      PS.
      たまーになのですが、ともさんのコメントがスパム扱いとなって別のボックスに入っていることがあります。
      理由は・・・うーん?なぜだろう?
      コメント送信してすぐに表示されなくても、ちょっと気長にお待ちください。
      私もすぐにコメントに気付けなくて、ごめんなさいね。

      • とも より:

        了解です。気長にお待ちしております。

        怒る親の対応、難しいですよね。
        振り回されて、嫌な気分に。私の場合は、幼い頃からの考え方の癖があり、それが余計に自分を苦しめます。
        周りから見たら、どーってことない出来事も、私にとっては受容できない。耐えられない。楽な心持ちで過ごしたいです。