スポンサーリンク

キリスト教の場合は香典ではなくお花料 郵送する際に気を付けたいこと

私が大変お世話になった方の奥様が亡くなりました。
時節柄、葬儀は近親者のみにて執り行われたそうなので、香典を郵送しようと思いました。

ところが、相手がキリスト教徒であるということを思い出しました。
そこで、キリスト教の場合の香典マナーについて調べました。

スポンサーリンク

キリスト教の場合は香典ではない

自宅にある香典袋を手に取り、表書きは「御霊前」か「御仏前」か?と考えた時、そういえばお世話になった方Aさんはキリスト教だった!ということを思い出しました。

キリスト教の場合は、「香典」ではなく「御花料」です。
そのため不祝儀袋の表書きも、「御花料」や「献花料」となります。

さらにカトリックの場合は「御花料」「献花料」「御霊前」「御ミサ料」が使われ、プロテスタントでは「御花料」「献花料」を使います。

Aさんがキリスト信者であることはわかっていても、カトリックなのかプロテスタントなのかわからなかったので、表書きは「御花料」と記すことにしました。

また、香典袋によく印刷されているハスの絵は、キリスト教式では大変失礼に当たります。
本当に気づいてよかった…と、思いました。

スポンサーリンク

キリスト教式の香典袋とは

では、キリスト教の香典袋に使われるものは何でしょう。

そもそも、香典とはお香や線香などの代わりにお供えするという意味がありますから、キリスト教の場合は不祝儀袋と呼ぶのがよいのでしょうね。

キリスト教の不祝儀袋には、十字架や白いユリの花が描かれた水引の付いていない白い封筒が適しています。
しかし、それらがない場合は白無地の封筒でも良いそうです。

ちなみに、十字架はイエス・キリストを象徴し、白いユリは聖母マリアを象徴するそうです。

この歳になっても、まだまだ知らないことが多すぎる…と、つくづく思いました。

御花料を郵送する

不祝儀袋の表書きは「御花料」。下段には名前をフルネームで記します。
これは薄墨で書くのがマナーです。

この不祝儀袋に現金を入れたら、現金書留専用封筒に入れて郵便局から送ります。
また、お悔やみの言葉を一言添えると丁寧でしょう。

死は祝福すべきもの

キリスト教の場合、死というものは神の下に召される祝福すべきものだとされています。
仏教では、縁起が悪いもの、悲しむべきものとして捉えられるので、大きな違いがありますよね。

だからAさんの奥様が亡くなったことは、決して悲しいことでも不幸なことでもないのです。
死は、神様の下で新しい人生が始まる節目を意味するそうですが、こういう考え方がとても素敵だなぁ…と思いました。

実際Aさんも「妻は天の故郷へ旅立ちました」とおっしゃっていました。

御花料を現金書留で郵送するさいも、「お悔やみの言葉」ではなく「安らかに眠られますように」と書き添えるのが良いでしょう。
となると、不祝儀袋というのもなんだか似つかわしくありません。

キリスト教の場合は、「お花料を包む袋」とでも言ったほうがよいのかな…?

なんにせよ、いろんな意味でとても勉強になりました。

 

コメント

  1. 白雪さくら より:

    おひさしぶりです、一応キリスト教の洗礼受けてる白雪です。
    真面目な信者ではない(そもそも毎週教会通ってない)のですが、ちょっと気になったので一言だけ…
    キリスト教では死は祝福すべきもの、というのは、さすがに違和感があります。
    死を喜ばしいこととしているわけではありません。
    キリスト教でも生命は尊いもの、その死は悲しいものです。
    ただ、死んだら終わりというわけじゃなく、死を超えた永遠のいのちがある、
    この地上で別れても天の国で再会できるから、
    死においても喜びと希望を見いだすことができる、ということです。
    よく葬儀で引用される聖書の言葉に「死は勝利にのみ込まれた」(新約聖書コリント人への手紙第一15章54節)がありますが、死そのものが勝利なのではなく、死に対して勝利する・死を克服する(打ち勝つ)ということです。
    天のふるさとへ帰るとか、神様のもとで新しく生きるとかいうのはその通りです。
    でも、死そのものが祝福ではないんですよ。
    地上の歩みが死によって途絶えても、天で新たな歩みが始まる。
    生も死も、すべて神様の御手の中にあるから、死を恐れる必要がないのです(と言っても、不真面目信者白雪は恐いですけどね)

    キリスト教のマナーとか、いろいろ言われるけど、教会や人によって一概には言えないというところがあります。
    私が上に書いたことも、「キリスト教会全体の絶対的」ではなく、あくまでいち不真面目信徒の私の意見です、なんかスミマセン
    そらはなさんが、Aさんがキリスト教徒だということをで仏教的な表書きや封筒を避けてキリスト教的に配慮されたこと、本当に素晴らしいです。
    日本とくに田舎ではマイナーな存在ですから、信仰を尊重してもらうことは本当に嬉しいことです。
    そういう、相手の立場を尊重し配慮する心遣いが、最高のマナーになるんだろなと思いました。

    • 白雪さくら より:

      白雪です、申しわけありません、
      読み返して、上の私のコメントこそマナー違反な気がしてきました…
      そらはなさん、ごめんなさい!
      神学論争挑んだり宗教勧誘したりするつもりはまったくありません、
      最後の小見出しに「?」と思ってコメントしてしまっただけなんです。
      不愉快に思われたら大変申し訳ありませんでしたm(__)m

      • そらはな より:

        白雪さくらさんへ♪
        貴重なご意見ありがとうございます(#^^#)
        全然不愉快だなんて思っていませんよ。
        むしろ、私の言葉足らずで、逆に白雪さんに不快な思いをさせてしまい、申し訳ありません。
        死というお別れは、誰だって悲しいし寂しいですよね。
        だから決して「祝福」ではないのはわかっています。
        仏教がどうこうというわけではなく、私自身の中では死は「忌むべきもの」であって、プラス感情があまりありませんでした。
        だからキリスト教の「神様のところへ旅立つ」という考えが、プラス思考でいいなぁ・・・と思ったのです。
        「死」というものをあれこれ考えるようになったのも、歳をとった証拠ですね。
        最期まで心穏やかに過ごせたらいいなぁと思っています。