母が施設に入所して、1年半以上が経ちました。
面会の帰り道、胸に残るのはいつも二つの感情です。
母が穏やかだったことへの安堵と、言葉にできない空虚。
認知症の母と過ごす時間は、もう会話ではありません。
今の母が穏やかに過ごせているかを確かめる、「確認」の時間になりました。
母の世界は、いつも同じ話へ戻る
母はもう、私のことを娘として認識できません。
それでも「自分に関係のある誰か」として迎えてくれます。
話題はいつも同じです。
・亡くなった姉夫婦が今も元気だという話。
・昔は肺病でみんな亡くなったと繰り返す話。
・今は何でもあるから幸せだという話。
私が違う話題を振っても、母はまたその三つの話へ戻っていきます。
それが今の母の世界なのだと、少しずつ受け入れるようになりました。
面会は「会話」ではなく「確認」の時間
今の面会は、母娘で思い出話を楽しむ時間ではありません。
母の表情や歩き方、体調を見て、「今日も穏やかに過ごせている」と確かめる時間です。
前回の面会から2週間ほど経つと、「そろそろ行かなければ」と思います。
会いたい気持ちがないわけではありません。
でも、私の中では義務感のほうが大きくなっています。
帰り道に残る二つの感情
帰り道はいつも複雑です。
元気な母を見て安心する一方で、私の言葉は母に届かず、一緒に思い出を共有することもできない。もう以前の母との関係には戻れないのだという現実が、静かに胸に残ります。
安堵と空虚。
その両方が、今の母との距離なのだと思っています。
介護の距離感は、愛情の薄さではない
介護で生まれる距離感は、愛情が薄れたからではありません。
自分の心を守りながら、母の「今」を受け止め続けるために必要な距離です。
会う頻度を決めることも、ときには少し距離を置くことも、見捨てることとは違います。
ゆっくりと別れに向かう時間を、お互いに生きている。
その現実を、少しずつ受け入れられるようになりました。

面会のたびに揺れる安堵と空虚。
その両方を抱えながら、私はまた施設へ電話をかけ、次の面会を予約するのです。
母が最初に入所したのは老健施設でした⬇️



コメント
そらはなさん、こんにちは。シナモンです。86歳の私の母も老健に入所して1年ちょっとになります。感染対策のため、面会は最大週1回20分(入所者に対して)です。私が新幹線で月に1度、クルマで1時間ほどの姉が月2〜3回が面会ペースです。
母はまだ、私や姉のことはわかってて、会いにいくと顔をみるなり「シナモンちゃん、遠いところありがとう〜」と言うとああ、まだ忘れてないんだとホッとします。
でも、記憶は少しずつ消えているようなので、名前を呼んでもらえない時が来るのかもしれないです。
母の一人暮らしが難しくなった3年ほど前にウチの子どもたちも就職や結婚で独立して夫婦二人生活です。それぞれ電車で1時間以上かかるところに住んでいますが、つい最近ふと、特に理由はありませんが、少しの時間でも、会いに行こうと思い始めました。ちょうど週末、用事ついでに数時間ですが、娘夫婦に会いに行ってきました。
普段はLINEなどで連絡は取っていますが、実際に元気にしてる姿をみるとホッとします。
シナモンさんへ
お母さまが「遠いところありがとう」と言ってくださる、その一言に救われますね。
記憶の変化に戸惑うこともあると思いますが、会いに行くたびに積み重なる安心があるのだと感じました。
娘さんご夫婦に会いに行かれたのも、良い時間になったことでしょう。
私も最近「いつでも会える」ということは、ないのだなぁと思っています。だからこそ!思い立ったら行動ですね!