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認知症の記憶障害 作話はどの段階で出現するのだろうか

認知症の症状に”作話(さくわ)”というのがあります。

記憶障害の一つですが、実際にあったことと自分で作り上げた話を混ぜて話すものだから、当然家族や周囲にいる人は振り回されることになります。

 

母は軽度認知障害で薬も飲んでいるのですが、それでもやっぱり母の話を半信半疑ながら信じてしまった出来事がありました。

 

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ある日突然母が言った

「隣のTさん、引っ越したんだよ」

母からそう聞いた時、驚いたのなんのって!

だってつい先日Tさんにお会いした時も、引っ越す話なんてひとつもしてなかったというのに。

 

母とTさんとは仲良しのご近所さんで、数十年来の古い付き合いになります。

Tさんのご主人は昨年亡くなったので、今年夫を亡くしたうちの母のことは、なにかと気にかけてくださっていたTさん。

母の近所の唯一のお茶のみ友達でもあります。

 

「えっっっ!!!?Tさん、引っ越したの!!!?」

驚いて問いかける私に、母は言いました。

 

離れて暮らす娘さん夫婦が定年退職し、地元に戻ってきて家を建てた。

実家で一緒に暮らすことも考えたが、新居のほうが何かと暮らしやすい。

なので、娘夫婦のところへ引っ越すことにした。

 

こんな内容だったのですが、ここまでは納得できます。

そうだよね。Tさんもご主人を亡くして一人暮らしをしてきたもんね。

でも高齢だから、これからは娘さんのところで一緒に住んだら安心だよね。

 

それにしても!!

引っ越ししてしまったなんて、あまりにも急じゃないかい?

「引っ越し先の住所は?」

そう母に聞くと「知らない」

「電話番号は?」

「知らない」

 

ええーーーっ!?そんなことってある?

こんなに仲良くお付き合いしてきたのに、引っ越し先も連絡先も何も告げずにいなくなる?

なんで連絡先、聞かなかったの?

母に問うと、首を傾げながら言いました。

「きっと、向こう隣のFさんなら、連絡先聞いてるかもしれないから、後で聞いてみるね」

うーーーーん。なんだか腑に落ちない話。

 

「いつ引っ越ししたのよ?まったく気づかなかったよ」

なおも母に質問をかぶせてみると

「この間、一生懸命荷物運んでいたもんねぇ」と母。

 

そうなんだ。

引っ越しの荷物を運んでいたのか・・・。

なんだか寂しいなぁ・・・、と思う反面、連絡先も告げずに引っ越したTさんのことを、ちょっと薄情だなぁ・・・と思ったのでありました。

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そんな話、初めて聞いたよ

町内の広報を配りにFさんのお宅を訪ねたさいに、聞いてみました。

「隣のTさん、いつ引っ越ししたんですか?」

 

Fさんの奥さん、ポカーンとしながら

「えっ?えっ?引っ越し?そんな話、初めて聞いたよ?」と。

そしてこうも付け加えました。

「ゆうべも家に灯りがついていたから、居るはずだけど・・・」

 

この瞬間、ピンときました。

ああーーーー、母の記憶障害か・・・と。

 

Tさんはいずれ引っ越すかもしれないけれど、まだこの話は公表しておらず、うちの母にだけした話だったのかも・・・。

だいたいTさんの娘さん夫婦が定年退職するとしても、3月じゃないの?

だからそれまでに家を建てて、引っ越すのは来春なんじゃないの?

 

にわかにそんなことが頭に浮かんできて、同時に、妙に焦って変な汗をかき出しました。

げげーーーっ!

Tさんがまだ公にしていない話を、私はここでベラベラしゃべってしまって、単なる近所のおしゃべり野郎になってしまったではないか・・・。

 

「すみません。最近うちの母、ちょっとボケてきてまして・・・。きっと引っ越しの話も勘違いだったのかもしれません」

するとFさんの奥さん、驚いたように言いました。

「ええー!?だってお母さん、とてもしっかりしているじゃないの!」

そして、ひたすら謝る私をみてFさんの奥さんも同情してくれたのか

「でも、こういうの(ボケ)って、家族しか気づかないことがあるっていうもんねー」

と、こちらの心情を察してくれたのでした。

 

母がボケてきているという話をFさんに言うかどうか一瞬迷ったのですが、いずれ母が本当に認知症に移行して何かあったときには、ご近所さんの目や力が必要になる時がくるかもしれません。

もちろんFさんのお宅が、よき理解者となってくださるお人柄だということがわかっていたからですが。

認知症の作話

認知症の記憶障害である作話とは、事実である話の所々の記憶が抜け落ちてしまい、つじつまを合わせるために自分で話を作り上げてしまうというもの。

妄想というのとは、またちょっと違うのですよね。

妄想は、まったくありもしないことを、あたかも自分で経験したかのように話すこと。

自分でしまい忘れた財布を「家に泥棒が入って盗んでいった」とか。

 

こういう突拍子もない話ならば、認知症の記憶障害だとすぐにわかり、受け流すことができるのですが(実際にそうなったときにはわかりませんが)、作話は半分は本当の話で半分は作り話。

なんかおかしいな・・・と思いながらも、それを鵜呑みにしてしまった私もバカだったのですが。

 

だって、広報を配りに行く私を見て、母がさらに付け加えたのですよ。

「Tさん(引っ越しして)いないけど、ポストに広報入れておいてちょうだい。時々、郵便物がこちらに届いてないか見にくるから」

これで完全に信じてしまいましたもん。

作話への対応のしかた

本人は決して嘘をついているわけではなく、記憶の欠如を自分なりに組み立てて作り話をし、矛盾をなくそうと努力している結果なのですよね。

だから、否定したり問い詰めたりしても無駄なだけ。

 

Tさんのお宅を訪ねてみると、玄関のドアはあいていて、でも家の中には誰もいない様子。

田舎では、鍵をかけないで外出することはよくあることなのでね。

玄関からざっと中の様子を見ましたが、Tさんのお宅はいつも通りの日常の家財道具が満載で、母が見たという「一生懸命荷物を運びだしていた」というのは、いったいどの荷物を出していたんだ?

アタマの中に疑問符はたくさん残ったままでしたが、家に帰ってから母へ伝えました。

 

「Tさん、まだ引っ越ししてないみたいだよ。ゆうべも家の灯りがついてたってFさんが言ってたよ。きっと娘さんのところに行くのは春になってからじゃないかなー」

不思議そうに首を傾げる母。

「この間、カップラーメンを持ってきたとき、引っ越すって言ってたから、てっきりもういなくなったと思ってた」と。

 

どうやらカップラーメンを持ってきたのも、引っ越しをするという話も事実なのかな。

でも、いつ引っ越すかという話は、記憶から抜け落ちてしまい、さらに仲良しのTさんが引っ越ししてしまうというショックから、母は混乱してしまったのでしょうね。

 

「Tさんが、引っ越し先の住所も電話番号も言わないで、引っ越すわけないじゃない」と母に言うと

「そうだねー。あとで電話して聞いてみる」とのこと。

どの段階で作話が出現するのだろう

私が一番気になったのは、認知症のレベルのどの段階で作話という症状が出現するのかということ。

母は、まだ日常の生活は一人で行えていて、簡単な料理もするし、お風呂も自分で入ります。

先日は、私の車の車庫に枯葉がたくさん吹き溜まりとなっていたのですが、なかなか掃除できずにいたら、母がきれいに車庫の枯葉を片付けてくれていました。

 

父の遺品も、少しずつですが整理して片付けています。(小さな細々としたものだけですが)

 

なので、母はまだ軽度認知障害だと思っているのですが、記憶力や判断力はかなり衰えてきているのはわかります。

認知症の薬を飲みだしたこと、父の死から時間が経過したこと、そして私自身も母への対応のしかたを考えるようになったことで、母の精神状態は穏やかで落ち着いていたのですが、作話という新たな症状の出現で、なんだか哀しくなりました。

 

認知症は治る病気ではなく、確実にゆっくりとではあるけれど、進行していくものです。

 

姉にすぐさま母のことを話すと←すぐに報告するヤツ

「本人は自覚がないから、いくら説得しようとしても無駄。そのうち変な妄想とか始まってこないだろうか・・・」

と、心配しておりました。

姉のお姑さんは、もはや自分の息子のことも誰だかわからないくらい、認知症が進んでしまっていて、姉は数年間にわかりお姑さんの認知症の進行度をみてきてるのですよね。

 

どんなに家族が一生懸命介護をしたとしても、認知症の進行は止められない。

そして、過去の楽しかった記憶も、家族のことも徐々に忘れていき、無償の愛を与えてきたわが子のことすら、記憶の中から消えてしまう。

 

なんて悲しくて切ない病気なんだろう。

 

母の作話で、認知症の進行がまた少し進んだかと思うと、これから先のことが不安になってみたり・・・。

いやいや、先のことは誰にもわからないのだから、心配してもしかたがない。

今できることを、やるしかないのです。

 

コメント

  1. とも より:

    そらはなさん、こんばんは。
    作話ですね。うちも良くありました。
    シリーズ物がありまして、北海道シリーズ、学校シリーズ、お寿司シリーズなど、など。
    初めて作話を話し始めた時は、ゲッっと驚いて、どうしようどうしようと狼狽してました。
    否定しないように気をつけていましたが、ここは家だよ。とか気長に説明すると、そうかと一応納得するのです。しかし、1時間後には、また自分が北海道にいると話し始めました。
    自分が小学生と思い、学校に行かなきゃと言ったり、歩けないのに寿司を買ってくると言い出したり。
    義父は93歳だったので、認知症になっても仕方ないと思えましたが、そらはなさんのお母様は、まだお若いですよね。身内が、だんだんと弱ってくるのを受け入れることは、とても辛いことだと思います。
    私も実父母がそうなったら、義父の時のように冷静に受け止めることは難しいと思います。
    今でも、母が何度も同じ話をしたりすると、私が不安になって、しっかりしてよ!とキツい口調になってしまいます。
    介護中は、仕方ない仕方ないの繰り返しでした。
    親の老いを自然に受け入れられるには、相当な時間と悲しみを経験しないとだめなのかなー?とまだまだ覚悟が要りそうです。

    • そらはな より:

      ともさんへ♪
      ありがとうございます。
      経験談は、なによりも心強いものですね。
      北海道&学校&お寿司シリーズ。
      人のお話だとおもしろいなーと思ってしまうのですが、実際にかかわっている家族はやっぱり大変ですよね。
      うちの母は、以前のように逆切れすることはなくなってきていて、「それちがっていたよ」とやんわりと否定すると、不思議そうに首を傾げるんです。
      母も自分の記憶が失われていくことを自覚してるのでしょうね。
      子育てが終わって、今度は親の介護。
      これも人間として成長させてくれているんだな・・・とポジティブにとらえていきたいところですが・・・。
      毎日、同じようなことがあると、やっぱりキツイなぁ・・・・(-_-;)