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認知症の法則を理解すればきっとイライラしない 母と私は合わせ鏡

母をサポートしてくださっていたケアマネさんから電話がありました。
今月いっぱいで退職するので、その挨拶と次のケアマネさんへ引き継ぐといったお話でした。

「お母さまの様子はいかがですか?」と聞かれ、特に大きな変化はないものの、細かいことを話したらキリがなく、ケアマネさんも急いでいる様子だったので、「相変わらずです」とだけ答えておきました。

母は軽度認知障害なのですが、毎日接している私にしかわからない不可解な行動がたくさんあります。
以前はとてもストレスに感じていましたが、最近は接し方のコツがわかるようになり、客観的に見つめられるようになったと思っています。

 

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母の不可解な言動

母の言動がなんだかおかしいなと感じたのは、2~3年前なのですが、その時は年相応による物忘れなんだろうなと思っていました。
お正月に姉一家が遊びに来たとき、母は血相を変えて「(来ることを)知らなかった!」と言い、「あんたが何も教えてくれなかった!」と私に対して鬼の形相で怒りました。

もちろん私も姉も母には伝えていたのですが、母はその記憶がすっぽりと抜け落ちていたばかりか、それを私が悪いとばかりに責めました。

http://nettosyuunyuu2012.blog.fc2.com/blog-entry-860.html

 

昨年、父が亡くなってから母の不可解な言動は顕著となり、毎日母の言葉に振り回されました。

認知症についての本を図書館で読むことで、私も少しずつ母の言動を理解するようになったのですが、最近読んだ本でストンと腑に落ちた内容がありました。

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認知症の九大法則・一原則

認知症患者に共通してみられる特徴をまとめた「九大法則・一原則」というのがあります。
杉山孝博医師原案なのですが、これを知ることで認知症について理解できるようになり、適切な対応ができると言います。


1.新しいことは覚えられない

母は、まだ日常生活は自立しているので、認知症に移行する前の軽度認知障害なのだと思われますが、なるほど、九大法則に当てはまることがいくつか見受けられます。

記憶というのは、①新しいことを覚え、②それを保存し、③思い出すという3つで構成されています。
認知症になると一番に衰えるのが①の新しいことが覚えられないというもの。

父が亡くなったあと、父の通帳のお金をどこに移してどのように活用または運用するのかという話しをしていたら、母はパニックになりました。そして私のことを「財産争いをする泥棒だ」と言いました。

母のためにと、なんでも事細かに報告することが母を安心させる手段だと思っていたのですが、新しいことを覚えられない母は、逆に不安となりパニックになったのです。
「泥棒」だと言われた私は、ものすごーく深く傷ついたのですが、翌日母は自分が言った言葉は覚えていませんでした。

父が亡くなって数か月は「この通帳のお金はどこにやったのか」と、何度も何度も何度も何度も同じことを聞いてきました。そして説明するたびに、母は怒っていました。その日によって怒りのスイッチの入りどころが変わるのですが、そのころ私は家に帰るのがとても辛かったです。

記憶障害は認知症の初期症状でもあり、これはずーっと続いていくものです。

しかし、ある時気が付きました。
新しい出来事は覚えられない母ですが、毎日繰り返し話しをし、母自信も自分でメモするということを繰り返していると、少しずつではありますが新しい記憶も覚えることができるのです。
これは、母がまだ軽度認知障害だからなのか、飲んでいる認知症の薬(レミニール)の効果なのかは不明です。

 

2.身近な人にほど不可解な症状を表す

認知症の人は、身近で世話をする人に対して暴言を吐いたりして困らせますが、たまに来る客人などにはいたって普通に話します。
これは「子ども返り」をするからではないかと言われています。
小さな子どもが一番信頼する母親に対して、駄々をこねたりわがままを言って困らせるのと似ています。

たしかに母をみているとそれは当てはまるのですが、毎日接しているからこそ、ちょっとした言動の違いに気づきやすいというのもあるのかなと思っています。

時々遊びにくる姉の前で、母はよくおしゃべりをします。
訪ねてくるお客さんに対しても、ハキハキとよくしゃべり、笑顔でお世辞なんかも言います。
そんな母をみていると、とてもボケているなんて思えませんが。

 

3.自分に不利になることは認めない

母は、モノがなくなるとまず最初に私のせいにします。
「勝手に捨てた」とか「どこに片付けた」と聞いてきます。
そのモノの存在すら知らない私に向かって。

先日、父が参加していたとあるサークルの方から電話があり
「感謝状贈呈式はどなたが参加してくださいますか?」と聞かれました。

へっ?感謝状?
えっ?贈呈式?

なんのことかさっぱりわからない私に、そのサークルの代表者は
「先日お宅に訪ねたさいに、お母さんのほうへ文書で渡して説明したのですが」と言うではありませんか。
父が長年関わってきたサークルで、その功績をたたえて感謝状を贈りたいので、家族のどなたかが出席してほしいというものでした。

母にそのことを問うと、一瞬キョトン顔。
それから思い出したのか、電話の横に置いてあった封書を指さして
「あんたにそれを渡したら、そこに置いていったでしょ」と言うのです。

おい、おい。そんな封書は初めて見たのに。
「見てないよ。初めて知ったよ」と母に言うと
「あんたにやったでしょ!見せたでしょ!」と、鬼の形相で怒ってくる。
母は自分に不利になるようなことは絶対に認めないのです。そればかりか、一気にヒートアップして怒ってくるのだから手に負えません。

 

4.まだら症状

先日、私の知人が家に訪ねてきたさいに、応対した母は相手を気遣いながらにこやかにシャキシャキと話しをしていました。

後日、知人から聞いた話。
母は「内孫は2人で大学生と高校生」だと言い、知人が驚いて「一番上のお兄さんは、社会人なんですよね」と聞くと「そうねー、A市に住んでいたかしら?B市だったかしら?もう孫がたくさんいるからわけわからないわー」と話していたそう。

しっかりしている部分とおかしい部分が混ざり合って存在するのも認知症の特徴なんですよね。

 

母への対応の仕方

母が認知症なのではないかと思うようになってからは、最初は私もどのように接したらよいのかわからずに、むきになって母に言い返したりもしました。
しかし、認知症の人との接し方は、相手の世界観を否定せずに理解するというのが大前提。

例え母の言っていることが間違っていても、「そうなのね」と受け入れる。
だけどこれって、仕事として関わるのなら私にもできますが、家族として関わるのは、相当きつい。
こっちがストレスで病んでしまいそうになります。

先日の感謝状贈呈式の件で母が怒り出したときも、以前の私ならば「知らないよ!見てないよ!」と母と同じテンションで言い返していたと思うのですが、この時私は静かなトーンで母に言ったのですよね。

「ねぇ。なんでそんなに怒って言うの?ふつうに話せないの?そんな風に怒られたら、私だってとても傷つくのにな・・・」と。

すると、それまでカッカと怒っていた母が急に無言となったではありませんか。
それから少しして、母からは信じられない言葉が返ってきたのです。

「私が勘違いしてたのかもしれないね」と。

この時、思ったのです。
認知症の人と関わるときは、時には自分の気持ちも素直に伝えるべきなんではないかと。
それは、決して相手と同じようにヒートアップして言い返しても効果はなく、静かに穏やかに伝えることで、相手へも穏やかな気持ちが伝わるのではないかと。

 

認知症の法則に「作用・反作用の法則」というのもありました。
認知症の人とその家族の間には鏡があるようなもの。
こちらがイライラして接すると相手もイライラし、穏やかに接すると相手も必ず落ち着いてくると言う合わせ鏡のようなもの。

母が怒っているときは、きっと母の目に映る私も怒っていたのかもしれないなぁ。

 

ちなみに、私がとても素直に母へ気持ちを伝えられたのは、劇団四季を観て帰ってきた後でした。
感動する心は、日常を豊かに彩り穏やかに暮らせる糧となるのかも・・・なーんてね。

 

コメント

  1. ハンナ より:

    私にも思い当たることがたくさんあります。
    ゆるゆるとつきあっていくより方法はないのかなあと、、、

    • そらはな より:

      ハンナさんへ♪
      ゆるゆると付き合う・・・って、なんかいいなぁ・・・と思いました。
      イライラしてもなんにも進展はしないのだし、こちらもゆったり構えていられたらいいのですが。
      なかなか現実はそうもできないのですよねぇ・・・。

  2. とも より:

    おはようございます。
    私もこの本を読んでみたいと思いました。

    観劇のあと、穏やかに優しくなれた。それってとーっても大切なことですよ。
    介護をしていくと、毎日同じことの繰り返しなので、自分がその中に取り込まれてしまいそうな気持ちになります。
    私も義父の排泄の世話が始まった時、一日中細切れに介護することになりました。
    1日が家事と介護だけになり、子育てと違って、いつまでこの状況が続くかわからないと、ホントに孤独で、朝が来なければと何度も思いました。
    ケアマネさんから、外出時や疲れが溜まったら、不定期でもヘルパーさんに来てもらう提案を受け、それからは気分的に楽になり、優しく接することができました。
    介護は期限がありません。だからこそ、自分の時間、楽しみの時間はしっかり確保してくださいね。その方が、お互いに気持ち良く過ごせますよ。

    • そらはな より:

      ともさんへ♪
      ともさんもお義父さまの介護で大変な思いをしたのですね。
      おっしゃる通り、介護はいつ終わるのかという期限がわかりませんものね。
      子育ては、「できない」ことから「できる」ことが増える成長がみられますが、介護は、「できない」ことが増えていくのですよね。
      精神的にも辛いですね。
      それでも向き合って、付き合っていくしかないのですから、上手に息抜きができるようにしたいものです。

  3. T M ♪ より:

    介護なさる方のお気持ち、たいへんさは察するしかできないですけど、
    どうかご苦労が報われますように…

    お若い世代ではどうかわかりませんが
    我々世代くらい迄の “ 主婦 ” “ お母さん ” って
    自分のことを後回しにして、目先のやらなくてはならないことを優先しがち…
    自分を優先するのに後ろめたさを感じたりして。
    仰る通り、自分が満たされたら、余裕を持って人に接しやすいですよね。
    自分自身を満たすことも、大切。大切にしましょう!

    芸術・文化って “ お腹を満たす ” ことはないけれど(笑) 心の栄養になりますよね。
    私もね、ずいぶんなオトナになってから…
    若い頃のギラギラの即物的な欲を経てね(笑) その値打ちに再会しました(#^.^#)

    • そらはな より:

      TM♪さんへ♪
      昔は、主婦は家族のために尽くす的な感じがありましたよね。
      今の家族はもっとドライなような気がします。
      私も家族は大切ですが、結局死ぬときは一人なんだし、自分の人生は自分で歩いていきたいな・・・。
      もともとブランドものやアクセサリー類にはほとんど興味がなかったのですが、東日本大震災によりモノの価値の見方がずいぶん変わったと思います。
      「モノより思い出」ってCMありましたよね。
      あれ、本当だなぁ・・・って、今この年になったからこそ、しみじみわかります。
      心の栄養って、何よりも大切ですね!