実家の母は認知症です。
2年前に父が亡くなったことで、母の記憶障害は顕著になりました。
それでも、心のどこかでは母が認知症であることを認めたくない気持ちもあって、だから対等に母と接すると、たいてい自分が傷ついて終わります。
そして「認知症だからしかたがない」と結論づけることで、自分の気持ちを納めようとします。
最近、やっぱり母は認知症なんだよなぁ・・・と改めて思ったエピソードについて。
記憶のリセット?トイレ直ったよと4日間報告にきた母
先日、実家のトイレがおかしいと、母が騒ぎ立てました。
便座が、「飛び上がるほど冷たかった」と言ったかと思えば、今度は「ヤケドするほど熱かった」と言う母。
さらにウォシュレットの温水が真水になったと言い、帰省している孫たちの誰かがスイッチをいじったからだと言い始めました。
結局、急に真冬の寒さになり、便座やウォシュレットの温水がいつものように温まらなかったのが原因だったのですが、それを「孫の誰かが勝手にいじった」と思い込んだ母が、自分で設定スイッチをわからないのにあちこち押しまくりました。
そして便座が冷たくなったり熱くなったり、ウォシュレットの温水も調度いい温度にならなかったようなのです。
母に、そのことを何度も説明しても、理解できるはずもなく、怒りはどんどんヒートアップするばかり。
最終的にはトイレが壊れたということにして、業者にみてもらうと説明したところ、ようやく母は落ち着きを取り戻しました。
その翌朝。
私が出勤前の支度をしていると、母がやってきて言いました。
「今朝は、ちゃんとトイレの水が温かかった。きっと温まるまで時間がかかったんだね」
やれやれ・・・と思いながら「そりゃよかったね」と言いました。
ようやくこの問題もこれで終わりだ、と思いました。
ところが、母はその翌日も同じように朝、私のところへやってきて、前日と同じセリフを言ったのです。
「今朝は、ちゃんとトイレの水が温かかった。きっと温まるまで時間がかかったんだね」
なに?
デジャブ?とは思いませんでした。
だって母は認知症。
トイレが壊れてしまった記憶は、どうやら強烈にインプットされたようですが、その後直ったという記憶がすっぽり抜け落ちているのです。
3日めの朝も母は私のところへやってきました。
また来た・・・。と思うと同時に、さてこれはいったい何日間続くのだ?と、なんだか笑いがこみ上げてきました。
そして4日目の朝もやってきました。
すごい!記録更新です。
しかもセリフまで同じ。
「今朝は、ちゃんとトイレの水が温かかった。きっと温まるまで時間がかかったんだね」
しかし、残念ながら記録は4日めの朝でストップしてしまいました。
そしてわかったこと。
認知症でも、4日間同じことを繰り返すと記憶は定着するものなんですね。
ご飯なんて炊かないのに計量カップがなくなったと言う母
「計量カップ、買ってきてちょうだい」と、母が言いました。
お米を計る計量カップがなくなったと言うのです。
そして、
「ヘルパーは計量カップ、どこにやってしまったんだ」と付け加えました。
週に3回来て下さるヘルパーさんは、母のお昼ご飯を準備してくださいます。
時々、ご飯を炊いて、それを小分けにラップに包み、冷凍保存してくれます。
父が亡くなって、最初の半年くらいは母も自分でご飯を炊いていたのですが、次第にそれもやらなくなったので、私が炊いたご飯をラップに包み、母の冷凍庫へ入れていました。
現在は、ヘルパーさんがご飯を炊いて、冷凍保存してくれています。
そして、計量カップがないのはヘルパーさんがどこかにやってしまったからだ、と言い出した母。
もちろん私は、ヘルパーさんがどこかにやってしまったなんて、思っていません。
だけど、それを言ったところで母が納得するわけではないので、私が持っていた計量カップを母へ渡しました。
だって母が
「冷凍庫にご飯がないから、これから(自分で)ご飯を炊く」と言うですからね。
今までご飯なんて炊いたことのない母がですよ?
いったいどうしたというのでしょう。
翌日、仕事から帰宅した私が
「ご飯、炊いたの?」と母に聞くと
「私なんてごはん炊いたことないよ!ヘルパーがきて勝手にやっていくからね」
だって・・・。
自分でご飯を炊こうとして、計量カップを欲しがっていたのは、なんだったんじゃいっ!
ふぅ・・・。
しかたがない、これが認知症です。
あんたはいったい何を鳴らしているんだ?
夜9時。
いつもなら母がベッドに入っている時間帯に、母が私のところへやってきました。
そして開口一番
「あんたは、いったい何を鳴らしているんだ?なんで呼び出ししてるんだ?」と。
はっ?
いつもなら、母の不可解な言動にも、だいたい察しがつくのですが、この時ばかりはなんのことやらまるで見当もつきません。
母の話を聞くと、母のベッドサイドで「何かが鳴っている」そうで、それは、私が以前呼び出し用に置いたブザーだと、言うのです。
母の居間と寝室には、呼び出し用のボタンを置いていて、それを押すと私のリビングに置かれた本体が鳴る仕組みなのですが、今までそれを使ったことは一度もありません。
それに、本体が鳴っていないのに、呼び出しボタンが鳴ることはないので、それは明らかにちがうよな・・・と思いながら、母の寝室へ行ってみると・・・。
音が鳴っていたのは、母のベッドサイドテーブルに置かれた目覚まし時計のアラームでした。
おそらく、母がベッドのライトをつけようとして、アラームボタンに触れたのでしょう。
目覚まし時計のアラームが鳴っても、それを止める術もわからず、何が鳴っているのかわからない母。
そして、音の出所は目覚まし時計だと思わずに、真っ先に私が置いた呼び出しボタンだと思うことで、突如鳴りだした音を私のせいにするあたり。
ああ・・・、やっぱり母は認知症なんですよね。
切り替え上手 割り切り上手
こんな母の言動にも、最近ようやく動じなくなったな・・・と思うようになりました。
1年前の私なら、
もぉーっ!何言ってんの?
なんなのさ!
と、イライラしていたでしょう。
母が認知症であることを、認めたくない一方で、「認知症」というキーワードは、割り切り上手にさせてくれるナイスな言葉だと思っています。
コメント
こんばんは、そらはなさん。
亡くなった義母が認知症になったけれど、そんなに接しないうちに施設入所したので、大変なことはあっても短期間でした。認知症の人にはとにかく否定しないというのが一番です。すぐ忘れてくれるので、嘘も方便というし。
毎日の相手、精神的に大変ですね。私は介護をしてる人のブログを読んでウンウン、そうそう、と気晴らししてました。
実家の両親は80を超えてまだ元気で頭もしっかりしてますが、だんだん忘れっぽくなり、夫の親と自分の親とはやはり違うなと思います。夫は一人っ子なので私が介護をしてましたが、どこかで夫の親は他人と思っていたのでしょう、夫の気持ちが今はわかります。自分の親がだんだんと衰えわからなくなって行くのを見るのは辛いですね。認知症だから仕方ないと気持ち切り替える方が自分を守るためにいいかもしれません。実家の近所の105歳のおばあさんのお祝いに先日行ったのですが、介護度1だとか。長寿の秘訣やどうしたらボケないでいられるのかという問いに、徳を積むという答えでした。ちょっとゴミを拾うのでもいいのだそうです。本人の努力もあると思いますが。認知症になるくらいならそんなに長生きしなくてもいいから、そこそこ元気でいて、いつかは孫の顔も見たいな、なんて思うこの頃です。長文失礼しました。
ちかちかさんへ♪
嘘も方便・・・って、本当にその通りだと思います。
徳を積むという生き方は、理想的だなぁと思います。
元気で、ボケないで、得を積む生き方は、本当にすばらしいですね。
私も、母が生き方を教えてくれているような気がするこの頃です。
認知症でも記憶は定着する、私もそう思います。
先日孫の結婚式に出席し、家に帰って30分後には孫の結婚式のことを覚えていなかったのに、新しい薬の飲み方はなんとか覚えられたのです。(コップに溶かして飲むタイプや注射針をセットして腹に自分で打つタイプ、毎日体の違う部分に貼る薬など、時間はかなりかかりましたが。。。)
トイレのボタンや洗濯機のボタンなどは、覚えられなくなったり、誤って押してしまったり、時計の目覚ましボタンを間違ったり、エアコンの暖房を冷房を押してしまったり。。。
そらはなさんが以前されていたようにテプラで書いても、覚えられないのに、少しだけきつい言い方をすると、義母は覚えるんだということに、気が付きました。
人間、嫌なことはよく覚えているといいますよね、たぶんそれなんだと思うんです。だから自分が義母に嫌われても、少しきつい言い方をすると、怒りから記憶が定着するんだなあと学習しました^^;
でぶねこさんへ♪
そうなんですよ!
何回か繰り返すうちに、覚えていくんですよね。
日常生活の中ではそれも可能ですね。
だけど、離れて暮らす孫たちのことを、母は徐々にわからなくなってきているように思います。
メモを見ながら、一生懸命わかっているふりをする母をみていると、それも切ないです。
怒りの感情は長く残るといいますもんね。
そういうのをうまく利用する策もアリだなぁと思いました。