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母らしからぬ言動 今だからこそあれが認知症の始まりだったのではと思うこと

アルツハイマー型認知症は、物忘れという症状から始まり、徐々に進行していく病気とされています。
母のように、配偶者の死が引き金となり、記憶障害が顕著になる場合もあります。

何度も同じことを聞く、数分前に話したことをまた言う、怒りっぽくなり暴言が増える、などといったことが繰り返され、ようやく私も母は認知症なのではないかと思うようになったのが、昨年のこと。

しかし、今思えば、母の言動に違和感を覚えたのは、今から10年前のことでした。

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共働き世帯

私が物心ついた時から、母は外で働いていました。
母に代わって私の面倒を見てくれていたのが祖母であり、私が、当時としてはめずらしい3歳で幼稚園に入った時も、祖母に手を引かれ幼稚園バスに乗った記憶があります。

共働き世帯について寂しいなどと思ったことは一度もありません。
なぜなら、それが私にとっては当たり前であり、普通のことだったから。

しかし、私が5歳か6歳になる頃には、祖母の徘徊や粗相がひどくなっていきました。
当時は「認知症」などという言葉はありませんでしたが、周りの大人たちの会話から、祖母はボケてしまったのだということが、幼い私にもわかりました。
祖母の介護のため、母は仕事を辞めました。

私が小学校に入学して1年が経とうとする頃、祖母は亡くなりました。
そして母は専業主婦となりました。
「お母さんが、家にいるとうれしい?」と母に聞かれ、「うん!」と即答する私に、「どうして?」と理由を聞く母。
「だって、おうちに帰った時、部屋が暖かいから」
そんな風に答えたのが、今でも不思議と記憶に残っています。

そして1年後、母は仕事を再開しました。
冬は、家に帰ると一人でストーブに点火し、部屋が暖かくなるのをじっと待つ私。
当時は煙突式のストーブで、マッチを擦って火を投下し、火が消えないことを確認してから、ストーブの送風スイッチを入れる・・・という、非常にやっかいな方法でしたが、それを小学校4年生で習得していたのだから、昔の子どもは本当にたくましかったんですよね。

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実家に戻る

そんな母を見て育った私なので、結婚しても子どもを産んでも、仕事はずっと続けるものだと信じていました。

夫は転勤族で、結婚後は引越しも何度かしました。
幸い職場環境にも恵まれ、引っ越し先でも仕事を見つけては働いていた私。

実家では、父と母が2人暮らしをしていましたが、「実家に戻ってきてほしい」とか「家を継いでほしい」などと、両親に言われたことは一度もありません。
ただ、姉は離れた場所に嫁いでいたため、自分の中で漠然と、実家の両親の面倒をみるのは私なんだろうな・・・という気持はありました。

なので、結婚当初から「いずれ私の地元に戻る」という予定は、長男が転校によるストレスで体調を崩したことで、決意することとなりました。
その時、実家の父は75歳。
男性の平均寿命が80歳でしたから、あと一緒に暮らせるのも5年かぁ・・・と思ったのですが、結局父とは10年以上暮らすことができたんですね。

いつ仕事を辞める?

私の地元である町に戻ったのが、10数年前。
長男小学校高学年、次男小学校低学年、そして娘は保育園。
そして私もすぐに仕事を始めました。

夫は単身赴任だったので、私一人で子どもたちのことをすべてやらなければならなかったのですが、専業主婦という選択肢はありませんでした。
これからかかるであろう3人の教育費のことを考えたら、私が働くのは当然のことでしたが、それ以上に家の中にいるよりも、私が外で社会とつながっていたかったから。

私が働くことに父も母も協力的で、当時は娘の保育園のお迎えをしてくれていましたし、子どもたちが熱を出して早退するようなときは、父が学校へ車で迎えに行ってくれたものです。

ところが、そんな生活が2年続いたある日、母が突然言いました。
「いったい、いつまで仕事続けるつもり?」と。

一瞬、わが耳を疑いましたよ。
へっ?今なんて言った?

「そろそろ仕事を辞めて、家の中のことをやってほしい」とも、母は付け加えました。

母の言葉は信じられませんでした。
私が子どもの頃、「これからは女性も働いていかなければならない時代だ」と話していた母。「女性も社会の中で仕事をし、社会とつながることで生きがいも見いだせる」と話していた母。

だから私も、子どもを産んだ後も、遠く離れた見知らぬ土地でも、仕事を続けてきたというのに、「そろそろ仕事を辞めろ」?「家の中のことをやれ」?

「なんで今、仕事辞めなきゃならないの?私は、仕事が大好きで、今までもずーっと仕事をしてきたのに。なんで家の中にいなきゃならないのっ?」
気が付くと目から涙があふれ、言葉も嗚咽でうまく話せない。

「わたし・・・私は、仕事辞めないから!」
そう話すのが精一杯でした。

あーあ。
顔色ひとつ変えずに
「私、仕事辞めないので」と、大門未知子並みに言えたら、どんなにかっこよかったかしら。

母の不安

アルツハイマー型の認知症は、アミロイドβという脳の老廃物がたまっていくことが原因で、発症の引き金になるといわれています。
このアミロイドβは、認知症を発症する25年前から出始めるというのですから驚きです。

80歳を過ぎると5人に1人が認知症になる世の中ですから、55歳ではすでにアミロイドβが出始めるってことですよね。
こうしている間にも、私の頭の中にはアミロイドβが出ているのかもしれない。ああーっ。
「あれ」とか「これ」とか単語が出てこないのは、すでにアミロイドβに侵されている証拠なんじゃないだろうか。

と、自分のことを考えて小鹿のように震えるわけですが、もしかしたら母も10年前には、「もの忘れ」が気になるようになり、いろいろな動作が不安になってきた時期なのではないだろうか。
だから自分の行動に自信が持てなくなり、私に仕事を辞めて傍にいて欲しいと思ったのではないだろうか。

結局母が「仕事を辞めろ」と言ったのは、その時1度だけだったのですが、何年経っても、それは違和感でしかありませんでした。

実は、この時の母のことは、姉も
「いつだったかお母さんが、『〇〇(私のこと)は、いったいいつまで仕事するつもりだ』って言っていた時期があって、すごいびっくりした」と、後になってから私に教えてくれました。

身近な高齢者が、ある日突然「その人らしからぬ言動」をとるようになったなら、注意してみていく必要があります。
私もその時は、不思議に思いながらもそのまま流してしまっていたのですが、今思えば、認知症の序曲が始まっていたのかもしれません。

母が認知症の薬であるレミニールを飲み始めて1年半が経過しましたが、精神的には穏やかで落ち着いています。
そして、以前は「使い方がわからない」と言って使っていなかった洗濯機を、先日母が操作しているのを見てびっくりしました。

なんだろう?認知症が良くなっている?
記憶の引き出しが、思いがけず開いた?

まだまだ不思議なことだらけの認知症の、いろんなことを発見しながら、私はこれからも母と向き合っていかなければなりません。

脳内のゴミとなって蓄積されたアミロイドβは、睡眠によって洗い流す能力が高まるということが、最近の研究によってわかってきたそうですよ。
寝るのはとても大事。
そして、寝るのが大好きな私は、アミロイドβが毎日きれいさっぱり洗い流されていると信じたい。

 

コメント

  1. 乙女座の乙女 より:

    そらはなさん、こんにちは!
    私もそらはなさんと同じ二人姉妹の次女ですが、両親のことは近くに住む姉夫婦に任せっきり。ですが、最近両親に会う度・電話で話す度?な言動が多くなってるなとは思いつつ、何もしない私が口出しするのもなぁーって気づかないフリしていました。
    が、お正月に会った際には、そらはなさんの記事を参考に言葉を選びながら話をしてみようと思いました。
    私も寝ること大好き人間ですが、やりたい事が沢山あって、ついつい夜更かししがち。そらはなさんの記事を読んでドキドキ。これからは睡眠時間タップリとらないと…今からでも間に合うかな?

    • そらはな より:

      乙女座の乙女さんへ♪
      こんにちは(#^^#)
      お姉さん夫婦が実家の近くに住んでいると安心ですね。
      遠く離れていると、結局できることは限られていますから、お姉さんのお話を聴いてあげるだけでも助かると思いますよ。
      私も認知症についていろいろ調べていると、あらためて「睡眠」って大事なんだなーって思います。
      私もやりたいことがたくさんあって、ついつい夜更かししちゃうんですけどね(^-^;

  2. とも より:

    こんにちは。今年もあと1日ですね。
    色々と為になることをブログに綴っていただきありがとうございました。

    さて、実は実家の母も少々心配な状況になってきました。父から時々お母さんちょっとおかしいよと、電話がありました。
    内容を聞くと、確かに??な行動です。
    週に2日定期的にかける電話で母と話しますが、受け答えは的外れでなく、今までと変わりはないようです。
    離れて暮らしているので、表情や行動は細かく確認できませんし、元々おっちょこちょいなので、??な行動はあったのですが。
    今夏、実家に帰った時に、ちょっと記憶が留まらないなとは感じました。
    そらはなさんにいつも、あれこれとコメントをしてますが、身近な問題となるとやはり精神的に余裕が持てないですね。
    今の課題は、父と私の心配を払拭するためにも、一度は母に専門医を受診させることです。
    色んな科を受診している母は、病院嫌いではないのですが、認知症の科だけは抵抗があるようです。
    もうひとつは、短気な父の不安を受け止めることですね。これが難しいです。不安と情けなさで、母を叱責することもあるようですが、私が冷静に対応しなければなーと思ってます。
    私も短気で、一緒に舞い上がってしまうタイプなので。お正月に帰って、じっくり観察してきます。
    また来年もブログ楽しみにしています。
    寒いお正月になりそうですが、ご自愛くださいね。良いお年を〜。

    • そらはな より:

      ともさんへ♪
      こんにちは(#^^#)
      高齢の親がもしかして認知症かも?と思っても、病院を受診させることって、なかなか難しいですよね。
      本人に自覚があればまだいいのですが、本人はいたって自分は大丈夫と思っていることが多いので。
      うちの母は、認知症の薬を飲んでいますが、本人には「血圧の薬」だと話しています。
      もっとも、なんの薬なのか、本人もいちいち考えることはしないので、そのまま黙って飲んでいますが、最近は薬の飲み忘れも目立つようになってきました。
      やはり身近にいる家族がいろいろ気づいて、対応していくしかないのだと思ってます。
      ともさんのお父様の負担が大きくならなければいいですね。