スポンサーリンク

現在進行形の出来事も忘れていく母へストレスをためずに接する方法

約束通り、朝9時にTさんがやってきました。
今日は、実家の壊れたボイラーを新たなものに交換設置する日。
取付工事をしてくれる業者のTさんが来ることは、当日まで母には言いませんでした。

なぜって?
前もって話すと、母は普段と違う出来事に不安でいっぱいになり、それから何度も、何十回も同じことを聞いてくるからです。
前もって言ったところで忘れてしまうのですから、ならば新たな出来事は直前に話す。

こうすることで、私のストレスは幾分緩和されるのです。

スポンサーリンク

新しいことは覚えられない

認知症になると、記憶力が低下するのはよく知られていますが、中でも最も衰えるのは「記銘力きめいりょく」だといいます。
記憶は、覚えたことを保存する把持力はじりょくと、それを再生する想起力そうきりょく、そして新しいことを覚える記銘力から成り立ちますが、何度も同じことを聞くというのは、今の出来事からどんどん忘れていってしまうからなのです。

母が、認知症の症状が顕著になったのは、父が亡くなってからなのですが、完全に忘れてしまうのではなく、まだらに覚えていたり、また、昔の記憶ほどよく覚えていたりするので、それが私のストレスになっていたりもします。

いっそのこと全て忘れてしまって、全部私にまかせてほしいと思うことも多々ありますが、まだまだ母の目は黒い(笑)。
そんなわけで、なるべく母が平穏に平凡に日常生活を送れるように、日々淡々と過ごすことを心掛けています。

しかし悲しいかな。
時々予期せぬ出来事がやってきたりするのです。

スポンサーリンク

母の記銘力

実家のボイラーが壊れ、新しいものに交換することになりました。
母へは1週間ほど前に、ボイラーを新たに付け替えなければならないことを話しました。

ボイラーの不具合で業者のTさんが見に来てくれた時、さすがに「なんでもない」と押し通すことはできません。
ボイラーは、母のキッチンのすぐ横の勝手口のところに設置されているのですからね。

その時も母は何度も「ボイラーなんて必要ない」と言い、そのたびに私が説明して納得するのですが、数分後にはまた同じ言葉を繰り返すのです。
しかしその「何度も」は、30分もすれば落ち着きます。
いや、おそらく「落ち着いた」のではなく、「忘れてしまった」と言うほうが正しいのでしょうね。
母の記銘力はせいぜい10~20分ほどということでしょうか。

その後、母へはボイラーの話は一切することなく、ボイラー取り換え工事の日がやってきました。

現在進行形の記憶力

業者のTさんがやってきたところで、母へは「今日、ボイラーを直しにくる」ということを伝えました。
「ああ、ボイラーね」と言った母の表情を見ると、おそらく覚えていないだろうなと察しがつくけれど、母なりに一生懸命話を合わせようとしているのがわかりました。

私が実家の勝手口で10分ほどTさんとあれこれ話をしている間、母は隣のリビングで私たちの会話を聞いていました。
いや、聞いていたというのは間違いで、母は話の内容は理解できないのですから「聞こえていた」に過ぎません。

旧ボイラーを撤去し、新たにボイラーを設置するのに半日ほどかかるというので、あとはTさんにおまかせして、私は自分の部屋へ戻ってきました。
母へもそのことを伝えると、「はい、わかったよ」という返事。

ところが、です。
30分後、母が私の部屋へやってきて言いました。
「Tさんが見えてるよ、ちょっと挨拶して」と。

うそでしょう?
ボイラーの設置工事でずーっと物音はしているのですから、母がそれらの出来事を忘れてしまうわけはないのですが、まさか朝の私の一連の行動が母の記憶からすっぽり抜け落ちていたなんて!

ボイラー工事はずっと続いている現在進行形でも、その前の私の行動は、すでに母の記憶からは消し去られていたのです。
あるひとつの出来事も、連続した時間の流れとはとらえることはできないということです。

母の頭の中は、おそらく秒単位での記憶の断片が、現れては消え、時折保存もするけれど、それも断片として抜け落ちていく・・・そんな感じなのかもしれません。

一緒に生活していると受け流すことがストレスになることも

認知症の母を見ていると、今この瞬間がすべてだということがよくわかります。
そして、昔のことほどよく覚えていたりするものですから、言動がチグハグになり、それに合わせなければならない私は、とてもストレスを抱えることになります。

認知症の人と接するときは、その人の言動を丸ごと受け入れて、それを受け流すことが大切だと言うけれど、日常生活を共にする家族にとっては、そんなのキレイごとじゃん?と思ってしまいます。

そんな私がなるべくストレスをためないようにしている方法は、母との会話をすぐに切り上げること。
母が何度も同じことを聞くのに付き合っていたら、私の心が持ちません。
仏の顔も三度までと言いますから、私も3回めまでは同じことを答えます。
そして、4回目を聞かれる前に、さっさと母の部屋から出るようにしています。

母が心穏やかに過ごすことは大切なことだけど、私も自分の心を守らなければ。
介護は、割り切ること!
これが一番です。

さて、ボイラーも新しくなりました。
旧ボイラーの影からホウキが出てきて、「これどこから出てきたの?」と母に聞かれましたが、4度目には「知らない~!」と言って、さっさと部屋から出てきました。

 

コメント

  1. あっこ より:

    こんにちは
    分かります分かります!
    うちも母が突然、「薬、新しく増えたんだね。」と。いやいや もう半年はその薬飲んでますけど。毎日朝晩。
    ウソでしょ〜と笑ってしまいましたが、もちろん母は大真面目。
    ちょっと前は私も深刻にとらえていましたが、やめました。「歳取ったらみんなそんな感じだよ」と言ってあげたら安心したようでした。
    同じことを何回も聞かされることも
    私も聞こえない振りとかしてます(笑)
    自分の心を守る!大切ですよね!

    • そらはな より:

      あつこさんへ♪
      わかっていることですが、いつも母の言動にはびっくりします(笑)
      いいかげん私も慣れないと・・・(^-^;
      聞こえないふりって、お互いにとってとても有効なコミュニケーションのひとつだと思っています。
      お互いが嫌な感情が残らなければいいのですからね(#^^#)

  2. でぶねこ より:

    記憶を保持する時間、うちは5分だったりします(笑
    同じことを何度も聞かれると、ほんとに心が折れます^^;
    自分の気持ちを大切にしないと、介護は続きませんから、それが正解でしょ♪
    「日常生活を共にする家族にとっては、そんなのキレイごとじゃん」→ほんとにそう!!!
    言い過ぎて自分が嫌になったり、反省したりしながら、どうにか生活をしている家族の気持ちを考えたら、キレイごとは通用しないでしょ^^
    私も返答が嫌なときは、すっとどこかに逃げます、するとすぐに忘れてしまうのですから、あれこれ考えすぎないのがベスト。
    お正月、義弟家族と食事にホテルに行ったとき、返答するのが嫌で聞かないふりしたら、義弟家族に変な顔されましたが、24時間365日対応している家族にとっては、365日で2時間くらい対応を任せても、なんら問題ないはず。
    介護は手を抜かないと、やってられません、仕事でお金もらってやるのとでは、まったく別。
    キレイごとを言う人は、家族の介護、やったことあるのかしら?(笑

    • そらはな より:

      でぶねこさんへ♪
      うちも5分くらいかもしれませんねー( ;∀;)
      母は耳が遠いせいもあり、いつも母と会話するときは私が大声で話さないとダメで、それがまたストレスだったりするんですよねぇ。
      大声で言うと、なんだか怒っているようにもなってきて、その上会話のキャッチボールは成り立ちませんから、自分で本当に嫌になります。
      義弟さん家族は、たまにしか会わないから、日常の些細なことはわかりませんよね。
      ほんと、お金でももらえるならもっと割り切って介護できるのにね・・・。