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認知症の母に近所の方が亡くなったことを知らせなければよかったと後悔している

80代半ばの母は認知症です。
日常生活動作はまだ自力で行えているので、認知症の初期だと思うのですが、記憶障害は徐々に進んできています。
そんな母へ、先日近所の方が亡くなったことを話しました。
そして、母へそのことを伝えなければよかったと、今になって後悔しています。

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母の認知症の始まり

母の言動がおかしいなと思ったのは、2015年のお正月。
姉一家が元日に訪ねてくることを、私が母へ伝えていなかったと、母がすごい剣幕で怒ってきました。
もちろん母へは伝えていたし、姉も母へ電話で伝えていたんですけどね。

この時、母は認知症なのでは?ということが頭をよぎりましたが、日常生活で気になることは他になかったし、むしろ記憶力は父よりも母のほうがしっかりしていたので、老化による一過性の物忘れなのかも・・と思うことで、片付けてしまいました。

今思えば、あれは明らかに認知症の始まりでした。
年末に父と母が居間にいた時、「1月1日にお姉さんたち来るって」と私が伝えると、母は「その日はお父さんが午後から町内の用事があって、出かけるよ」と言い、父が「あれ?そうだっけ?」というおとぼけぶり。
「出かけるのは午後3時だから、いいけどね」などとそんな話もし、お昼ご飯は私が準備するからと母へ伝えると、「じゃあ、よろしくね」と母が言ったのです。
そんな具体的なエピソードを話して、母へ伝えたことを説明したのに、母はまるで覚えていませんでした。
そして何度も母は、私が伝えていなかったことを責め、私がムキになって「言ったよ!」と返すと、「アンタが忘れたんだよ!」と母も負けじと言い返し、相当嫌な気分で新年を迎えることになりました。

この時のことは、かなりモヤモヤしたので、旧ブログにも綴っています。

http://nettosyuunyuu2012.blog.fc2.com/blog-entry-860.html

今、読み返すと、私の認識の甘さが露呈しています。ガックリ。

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現在の母の状況

2016年5月、父が急逝してから、母の認知症は一気に加速しました。
と言っても、母の場合は記憶障害が著しい。

日常生活はまだ自力で行えていますが、新しいことは記憶としてインプットできないので、それが原因でこれまで母の怒りのスイッチを何度押してしまったことか。
母にはもう、余計なことは一切言わないことにしました。
なんでも知らせることが、母のためであると思っていましたが、判断力も決断力もなくなってしまった母にとって、それは困惑させ混乱させる種となり、結果母が怒りだすのがいつものパターン。

生死にかかわるようなことでもなければ、母には言わずに黙って処理する。
もっとこうやったほうが暮らしやすいのに・・・と思うことでも、母が平穏に暮らしているのであれば、余計なことはしないし、見て見ぬふりをする。

これが母と私にとって一番穏やかに暮らせることだとわかったのは、最近のこと。
だから母へは業務連絡のように、淡々と接しています。

近所の人の訃報

風の便りに、近所に住むYさんが亡くなったらしいと聞きました。
Yさんは、私の幼なじみのお父さんであり、Yさんの奥さんとは、母も昔は仲よくお付き合いをしていた方。

2年前に父が亡くなった時も、Yさんの奥さんは我が家に香典を持ってお水をあげにきてくださいました。
Yさんが亡くなったのであれば、お悔みに行かなければ。
母は足が悪く、外出するのは数か月に1度のかかりつけ医に受診する時だけ。
だから、母に代わって私が行かなければなりません。

一瞬、ためらったものの、母へYさんが亡くなったらしいことを告げました。
驚く母。
それから、そんはハズはないと言う母。

私の住む地域では、地元のローカル新聞に「死亡広告」を出すのが普通です。
それが地域の方々への訃報の知らせとなります。
新聞を読むのが大好きで、毎日全国紙と地方紙にくまなく目を通すのが、母の昔からの習慣ですので、Yさんの死亡広告を見落とすわけがないと、母は言いました。

しかし私は気づいています。
母がもう以前のように新聞を読んでいないことを。
視力が衰え、文字を追うのが大変になったというのもありますが、新聞を読む気力がもはやないのだと思います。

だから死亡広告を母が見落としていても、なんら不思議ではありません。

母の混乱が私を辟易させる

Yさんの訃報を知り、①母は最初にそれを否定しました。
次に、②亡くなったのはYさんではなく、お隣に住むYさんの親戚の人だと言いました。(生きています)
それから今度は、③父の葬儀の際に作った「香典一覧表」を引き出しの中からおもむろに出してきて、Yさんから香典をいただいていると、私に言いました。(知っています)
④「Yさんの奥さん、家にお水をあげにきていたじゃない」と母へ伝えると「まったく覚えていない」と母は言いました。
そして、⑤財布の中からお金を出し、Yさんへ(香典を)持っていってくれるよう、私に言いました。

①~⑤の言動を、10回くらい繰り返し、付き合いきれなくなった私は、母から預かった香典を手に「明日Yさんのお宅に行ってくるから」と、母の言葉を遮り部屋を出てきました。

しかし翌日、母はいっさいYさんのことは聞いてきませんでした。
昨日、あんなに何度もしつこく言っていたのに、忘れたんでしょうね。
この日私がYさんの家を訪ねると、Yさんの奥さんは不在だったので、結局香典を渡すことはできなかったのですが、このことは母には黙っていました。

その後、Yさんの親戚の方にお会いして話を聞いたところ、Yさんが亡くなったのは先月のことで、つい先日忌明けしたこと、Yさんの奥さんは現在施設に入っていて、自宅には娘さんが1人で住んでいることなどがわかりました。

母へこのことを伝えると、さらに大混乱。
Yさんは昨年、入院したんじゃなかった?(亡くなりました)
Yさんの奥さんはだいぶ前に亡くなったのは知ってるけれど。(生きています)
Yさんの土地は、昔〇〇さんから買ったものだ。(何十年前の話でしょう)
Yさんの奥さんはなんで施設に入っているの?(わかりません)
Yさんの娘さんは結婚していないから、娘がお母さんをみればいいじゃないの。(娘さんは結婚しています)

昔と今と、真実と妄想が入り混じり、それらの話が永遠とループし、何度も何度も同じ質問をしてくるので、さすがの私もYさんの訃報を母に伝えたことを、心底後悔しました。

昔、親子共々仲良くお付き合いしていた近所の方で、うちの父が亡くなった際には家までご焼香にきてくださった方の旦那様が亡くなった場合、認知症である母へは黙って言わないほうがよかったですか?

答えが、いまだにわかりません。

 

コメント

  1. やまこ より:

    お母様には何も伝えない方が良かったでしょうね、と経験から申し上げます。もし近所の人が教えてしまったら、しょうがないですが。そういう意味からも、そろそろ親しいご近所さんや親戚にも配慮をしてもらうべき時期かもしれません。それとなく、少しずつ。覚悟を決めてお母様を守って行くために。自分は社会的義務を果たしてないのではないかと言う不安、香典や医者への支払いなどの心配は認知症が進んでも根強く残りますから。

    • そらはな より:

      やまこさんへ♪
      そうですよねー。私も、あとになってから「言わなきゃよかった」と後悔しきりです。
      父が亡くなった時に、香典をいただいていたことが頭に残っていて、母へも伝えなきゃ!という気持ちになったのですが、母には言わないで私が1人で香典を届けにいけばよかったと、つくづく思いました。
      母は、出歩くことがほとんどないので、私が言わなければほとんど知らないことが多いと思います。
      今後、気をつけたいと思います。

  2. このちな より:

    そらはなさんこんにちは読んでいる間に私も胸が苦しくなってきました 果てしないループというのはこのようにして起こるのですね 記憶障害というものは本当に厄介なものだとつくづく感じました お世話されているそらはなさんのご苦労を 感じさせて頂きました さて話は変わりますが私の家の 義父のことですが 体もちゃんとしているし 頭もすっきりしているので 介護保険のサービスが一切受けられないということが判明しました ヘルパーさんに週に一回くらい 来ていただいて世間話でもしたり 部屋の掃除を少しだけしてもらいと思ったのですが 掃除は私が同居しているというわけで全く受けられません 体も元気なのでデイ サービス も受けられません でも 傾聴ボランティアさんは1月に一回だけ来てくださることになりました それだけでもよかったかもしれませんね だけど もう少しサービスが受けられてもいいと思うんですけどね

    • そらはな より:

      このちなさんへ♪
      認知症なんだからしかたがない・・・とは思っていても、延々と同じ質問、同じ話をされると、だんだん自分もそっけなく答えているのがよくわかります。
      そのつど、うん、うん、と笑顔で答えるなんて・・・家族であれば、家族だからこそ、できないですよねー。
      このちなさんのお義父さんは、身体も頭もお元気なのですね。
      それが一番良いことなのですが、
      ヘルパーさんなど、外部の人が家の中に入ると、気持ちもまた変化があり、刺激になりますよね。
      うちの母は週に3回のヘルパーさんに対しては、ものすごくシャキシャキして答えているようです。
      介護サービスも、もっと多くの方が利用できるようになればいいのですが、この先お年寄りが人口の半分以上を占めるようになると、いったいどうなるんでしょうね。
      私も、せめて頭だけはクリアでいたいものですが・・・(^-^;

  3. Kumakuma より:

    うちの義母も、V字回復したと思いこれが少しでも長く続きますようにって思ってましたが。ふらふらした歩き方が、しっかりしてきて、シルバーカーを押して、自分で、お金をおろしに行けるようになったのですが、その後、置き場を忘れたりしたことを、取られた盗まれたと大騒ぎ、自分はしっかりしてると、旦那、息子が取ったと、更に私は、義母の家には入らないのに、ペットボトルの空等、ゴミを置いて行く、皿を持ち出す(価値の有る皿でも有るのでしょうか?)って、喋りまくっているようです。手がかかるのも、時間の問題でしょうか?でも、作話が有りすぎて怖くてますます、足が遠のきそうです。

    • そらはな より:

      Kumakumaさんへ♪
      お義母さん、お身体は元気そうでなによりです。
      でも、妄想?作話が増えてくると、家族も気が気ではありませんね。
      特に、自分のことを悪く言われると、例え妄想だとわかっていても、気分はよろしくないですよね。
      足が遠のいて、いいんじゃないでしょうか。
      しばらくは、旦那様に対応をおまかせしたらどうでしょう。
      そのほうが、平和なような気がします。

  4. 白雪さくら より:

    そらはなさん、お疲れ様です。
    日々、どうしたらいいか悩みながら、一所懸命奮闘しているそらはなさんのご苦労が、いつか実を結びますように…。

    何が正解だったか、ということは、わからないんだと思います。
    伝えなかったら伝えなかったで、きっと、「伝えた方がいいんじゃないか」と悩み、後悔してたんじゃないかな~と思います。
    そらはなさんなりに、お母様のことを思って、必死で悩み考え抜いて伝えたことです。それでお母様がショックを受けたり混乱されたりして、そらはなさんも困り混乱されて…という今ですが、そらはなさんの決断(伝えたこと)が間違いだったわけではないと思います。

    けど、ブログ読んで私も考えてたんだけど、「風の便りに、亡くなったらしいと聞いた」段階では、伝えなくてもよかったのかもしれないなと思いました。
    人の訃報って、ショックです。
    Yさんの奥様も、施設に入っているとのことなので、自宅での生活が難しくなっていることなのだろうと想像します。お友達が施設に入ったっていうニュースも、お母様にはショックだと思います。
    よいニュースだったら伝えてもいいと思うけど、ショックなニュース、悪いニュースって、正直お母様によい影響を与えるのは難しいと思います。
    ご近所の方の訃報は大事なことなので、お母様を蚊帳の外に置いておかず伝えたそらはなさんの決断が、もう一度言いますが間違っていたというわけではありません。伝えなかったらやっぱり悩まれていたと思います。
    だから…すぐ伝えずに、もう少し時間を置いてはっきりしたことがわかってから、ケアマネさんに相談したりして、お母様の心の状態がそこそこよい時(でも、よい時に伝えて悪くなったら…怖いんですよね…)に、やんわりと伝えるとかでもよかったのかな。
    あるいは、亡くなったのが一ケ月前で、奥さんも施設に入っているということなので、だったらそれらも含めて「伝えない」という結論になったかもしれません。

    うちも地方紙に死亡広告を出す地域ですが、敢えて出さない(お悔み欄に名前だけ載せる、あるいは一切載せない)という選択をする人もいます。みんないろんな事情があるんだと思います。近所にはお悔みと葬儀日程の紙が配られるけど、新聞には出ないこともあります。
    だから、もしかしたYさんも、新聞広告出さなかったのかもしれませんね。
    昔深いおつきあいがあった人でも、今現在あまり交流がないのであれば、認知記憶障害の方には訃報を受け止めることが難しいかもしれません。
    お母様の「今の平穏」を最優先する、という方針を貫くなら、「伝えない」という選択が「答え」だったかもしれません。
    でも、(しつこく3度目ですが)伝えなかったら伝えなかったで、「これでよかったのか」という思いは尽きなかったんだと思います。
    だから…そらはなさん、お辛いと思うけど、どうか後悔に飲み込まれないでください。
    そらはなさんはそらはなさんなりに、最善を尽くそうとしたし、実際の選択が「最善」だったんです。
    そらはなさんがお母様のこと考えていつも一所懸命なのは、ブログ読んでて伝わってきます。
    今はお母様にはなかなかそれが伝わってなくて歯がゆいけど、お母様もそらはなさんがいるから安心して暮らせるし、甘えられるし、ぶつけられる(ぶつけられる方はたまったもんじゃないですけど)んです。そらはなさんがいなくなって一番困るのはお母様だし、お母様ご自身それは知ってらっしゃると思います。言葉や行動にはできないけど、お母様はそらはなさんを必要としているし、いてくれてありがたいと心の奥底では思ってらっしゃるんだと思います。
    起きたことをなかったことにはできないけど、少しずつ少しずつ、確実に前に進んでいますから、どうかあまり落ち込まないでくださいね。

    いつも偉そうにすみません。
    そらはなさんとお母様が心穏やかに過ごせるよう願っています。
    お母様にも、嬉しいことや楽しいこと、素敵なこと、笑えることがたくさんあるといいですね。

    • そらはな より:

      白雪さくらさんへ♪
      そうなんですよねー。そうなんです。
      私も、あとになって伝えなくてもよかったなぁ・・・と思っています。
      だけど、父が亡くなったときにわざわざ香典を持ってきてくださった方なので、さすがに母も覚えているよね・・・という気持もあっての、伝えた結果でした。
      実はYさんの死亡広告は新聞に載っていたそうです。
      だから余計、そのことに気付かなかったという申し訳なさもあり、母へも香典の件を含めて相談したかったのですよね。
      でも、そんなこと相談するなんて無駄なことだと、重々わかっていたことなのに、ホント私ってバカだよなぁ・・・と思いました。
      母も私も、願いは平穏に暮らしていくことなんです。
      もう昔のようにはできないけれど、私が少し配慮するだけで、心が穏やかでいられるのですから、今後も割り切った付き合い方をしないといけないのだなぁと、つくづく思いました。

  5. ななお より:

    何度かコメントさせて頂いているのですが、私の名前が違っていたら申し訳ありません。(前回の名前を忘れてしまいました)

    毎日の介護、大変ですね。特に身内の方の介護は本当に大変だと思います。そらはなさんの心身をまず第一に大切にされますように。

    心苦しくありますが、訃報はお伝えにならない方が良かったと思います。まずはお母様の心が安定していることが大切です。お母様の心が安定するためなら、嘘も方便。隠し事も仕方ないです。そして、そらはなさんは女優になったつもりでお母様と接することができたらいいですね。笑顔で、お母様の安心感を安定させるような言葉掛けができたらベストですが、できないからといってご自身を責めることはありません。できる範囲でいいのでお母様に優しく演技してみてください。

    お母様が忘れてしまうのは病気のせいでお母様のせいではありません(生来の気質もあるでしょうが)。そらはなさんもお母様もwin-winの交流が持てたらいいですね。応援しています。長文申し訳ありません。

    • そらはな より:

      ななおさんへ♪
      嘘も方便。まさにその通りだと思います。
      すべてを伝えることが良いことではないのですもんね。
      はーっ。
      笑顔で母に接するなんて、できそうにないですが、女優のようにふるまえたらどんなにいいかしら。
      嘘だろうと、本当のことだろうと、母と私がお互い心穏やかでいることがベストなのですから、今後は余計なことは言うまい!と、新たに誓ったのでありました。
      ・・・って、毎回そう思っているんですけどね(;’∀’)

  6. とも より:

    こんばんは。
    そらはなさんの後悔のお気持ち良くわかります。ループのスイッチ、入れてしまった。わかってたのに。まさかご近所の訃報でこうなるとは。などなどまさにそらはなさんの心もループになられたのでは?

    ここからは私の勝手な想像ですが、お母様に伝えたことは、そらはなさんはとても義理堅く、人の生死に関わることはスルーできなかったのだと思います。
    私も親子共に親しかった間柄なら、きっと伝えていたと思います。そして、お母様に対しても隠すのは申し訳ないと思われたから話したのでは?
    結果的にはループになってしまいましたが、お母様を尊重してのことなので、悔いることは無いと思います。私の母も時折、何度も同じことを聞いてきます。
    仏の顔も三度と言いますが、五度くらいは我慢しますが、それ以上は口調がキツくなってしまいます。自分の中で変わってしまった母を受け入れられなくなるんだと思います。
    母も素直にこちらの意見を聞いてくれると良いのですが、親というプライドなのか意固地になります。私が交わせば済むことでも、それができないのが親子なんですよね。しんどいし、難しいです。

    今月中旬にMICの専門医に受診することにしました。通院には少し遠いのですが、認知症に移行することを遅らせる認トレをされていると聞き、行ってみようと思います。
    はじめにかかった病院も専門医でしたが、様子見と言われ、このまま放置しておいても移行してしまう。それなら、ダメもとで受診してみようとなりました。なるだけ遠距離介護を遅らせることができればと願ってます。
    また何か情報があれば、ご報告致しますね。

    • そらはな より:

      ともさんへ♪
      たしかに、ともさんがおっしゃるように、亡くなったのが昔から仲良くお付き合いさせていただいていた近所の方でしたので、やはり母へは伝えなくては!と思ったのも事実です。
      亡くなったことを、このまま隠しておくことができませんでした。
      でもね・・・母がこんなに混乱するなら、やっぱり話さなければよかったと思いました。
      きっと自分の中では、どこか母に正気でいてほしいって気持ちもあるのだと思います。
      そちらのほうは、認トレなんていうのも積極的にやっているんですね。
      近いうちに訪れる超高齢化社会。
      自分が母の年齢になる頃には、年寄りが半数以上を占めているんでしょうねぇ。

  7. T M ♪ より:

    ご本人も、そうやって自分の記憶が辻褄合わなくなるのってさぞ不安でしょうね。困惑して繰り返し繰り返し確かめるけど、それでも頭の中にしっくり収まらないし記憶に残らない…。心痛みます。
    見守る家族もどんなにか苦しいお気持ちでしょうね。
    他になにか心が休まることがたくさん、
    空花さんに起こりますように。

    後期高齢者になった友人の変化を感じます。
    認知症ではないですが、
    時々、いろいろな経緯などがスコーンと抜けるんです。
    記憶や感情の容量が縮小していくと、
    自分を中心軸に遠いことになるほど
    どうでもよくなっていくのは自然なことですから。
    ただ、経緯を覚えていてもらわないと
    他者=私 の立場がなくなる場合もありまして…
    結果、懲りた他者=私 は、そういうことにならないよう関わり方を考えていくようになりますですね。他人ですから。
    結局残るは身内?? …と大親友???

    そうやって他人様を諦めるのも結構寂しいもんです
    どうしようもないことだけど。
    ましてや、お身内のことを諦めるのは……察しかねるほどです。

    ──結婚していない娘がお母さんを見ればいい
    お母様のこの言葉にギョッとしたのですが、
    私はすごくすごく少数派なのかもしれません。
    娘が結婚していようがいまいがそこのお家なりの事情ってあるもの…よそからはわかりません、と思ってしまいます。
    だから、記憶が繋がらなくなっても
    自分が新聞を読んでいないことを覚えていなくなっても
    こういうの残るんだ…ってことが、コワかったです。
    これこそ THE 世間の目 ???
    この 世間の目 が、日本人の道徳意識を高めるのにひと役買っているのもまた事実なのですが。

    なんとなく、無自覚なまま、親や身近な大人から引き継いだ価値観とか教えって誰しもあるでしょうね。
    そこは今現在の自分の身に照らし合わせて、取捨選択するくらいの気持ちでいていいかもしれない、と私は思いました。
    自分の人生なのだから。

    私は、空花さんがお母様を施設に入れても親不孝とは全く思いませんよ。

    • そらはな より:

      TM♪さんへ♪
      ああー、そうかー。
      身内であれば、どんなに記憶をなくしていっても、最後まで関りは必要ですが、友人知人の場合は、関係性に懲りてしまったら距離を置いて関わり方を考えていくものなんですよね。
      なんだか寂しいなぁ・・・。
      「結婚していないのだから娘がお母さんをみればいい」という、母の発言には、私もギョッとしました(^-^;
      施設に入っているというのも、母にとっては「最悪の事態」だと思うようで、母には「施設といっても、今は設備の整った快適な暮らしができる高齢者向けの住宅がたくさんあって、冬だって寒くないし、雪かきだってしなくていいんだから、最高だよ。今の施設って、別に行先がないから行くというわけじゃないんだよ」と、母には何度も説明しました。
      まぁ、母に言ったところで理解するわけもないのですが。
      私自身も、昔は「施設に入るなんて」という気持がありましたが、今はいろいろな選択肢があるので、むしろ自分で外出できなくなったら、施設で快適に暮らしたいという気持があります。
      自分の人生は、自分のためにあるものですよね。
      みんなが平穏に暮らせることが一番なんですけどね。

  8. ルビー より:

    初めてコメントさせて頂きます。
    そらはなさんのお父様と同じ頃、私の父も亡くなりました。
    私の父は脳梗塞で5年間の自宅介護と母が介護疲れで入院してからの2年間は施設にお世話になりました。
    父は介護3→5でしたが亡くなるまで頭はしっかりしていました。
    皮肉なもので、母の方が入院をきっかけに少しづつ様子がおかしくなりました。
    母は今年の初めに、アルツハイマーで介護1の認定を受けました。
    日常生活もお稽古事も問題無く行う事が出来ますが、著しい記憶障害と理解力が少しづつ低下している為、時系列がめちゃくちゃでスケジュール管理は出来ません。
    周りの方には、金銭面でご迷惑をかけない様に早目に周知してお願いしましたが、自分も馬鹿にされているとか実親の事を悪く言っていると思われるのか、本当に理解して頂けず、子供が親の世界に立ち入り過ぎている、世話を焼き過ぎではとまで言われ何度も心が折れそうになりました。

    周りの方からは、毎日通って母の身の回りの雑用をしている事を大変だと同情されますが、そんな事より母の変化を目の当たりにした時に(あまりの予想以外の出来事や段取りを完全にひっくり返された時等)自分の母に対する行動(話もせずにだまって帰る、声を少し荒げる)に落ち込み自分を責めて眠れない夜を過ごし、いつしかそんな出来事さえ忘れている母を受け入れての毎日に終わりは無く、答えなど出せるはずもなく、それがつらいのですよね。

    今回の事も、そらはなさんの行動がどちらでも答えなど無いと思います。
    私も父の葬儀の事、本家の母の役割、地元の風習等、まだ少し当たり前の母との距離感が難しく、気付かれない先回りと後付けのフォローに頭を悩ませています。
    優しく笑って接する事が良い事等誰でも知っています。でも、笑う度に私の心が壊れる音がする。そして母とのやり取りで心から笑える時にマイナスの心を少しだけ埋める。
    感謝しながら世話したら心が楽になる?なりません。
    主人との生活と仕事、義両親への申し訳なさの中、無理矢理にでも心に折り合いを付けて毎日を過ごしています。

    そらはなさん、重くなってすみません。
    先日、母のお稽古事のあまりに過密スケジュール(この秋3つの発表会とそれに伴う稽古とリハが13回、場所時間帯不定期)に来年からの事を関係者に相談したところ、私が母の唯一の楽しみを奪っているかの様に言われ、当日パニックになりご迷惑をかけない様にと懇願しましたが理解して頂けず、私が死んで母の世話をしなくなったら解ってもらえるのかな。
    でも、そしたら母はどうなるんだろう。その時私が通わなくなった事に気付くだろうか・・・と車を運転しながら号泣しました。
    母自身、介護5の父を抱えて二人で死のうと抱き合って泣いたと言っていました。

    こんなコメントを送ってよいかと迷っております。
    でも、そらはなさんの介護の記事を毎回涙しながら読ませて頂き、多様なコメントに誠実にお返事されているのを読んで、そらはなさんにどれだけ力をもらって私が頑張っているかをお伝えしたいと思いました。
    どんな本より、立派なコメンテーターの話より、そらはなさんの丁寧な生活と介護の日々のブログが私には心に響きます。本当に感謝しています。
    長くなりましたが、感情のままに書かせて頂きました。不適切な言葉がありましたらお許し下さい。

    • そらはな より:

      ルビーさんへ♪
      はじめまして(#^^#)
      そして、コメントが表示されずに申し訳ありませんでした。
      自分でもよくわからないのですが、たまーにいただいたコメントがスパム扱いとなっていて非表示となることがあります。
      特に禁止ワードなど設定していないのですけどね。
      今後、もしもコメントがすぐに反映されなくても、しばしお待ちください。
      さて、ルビーさんもお母さまとの関係性に大いに悩んで苦しんでいることが、文章からよく伝わってきました。
      本当に、お気持ちよーくわかります。
      これはもう、そういう場面を経験したことのない人には、わからないのかもしれません。
      認知症の本には、接し方など記載されていますが、あの通りできるのは職業で割り切って付き合えるヘルパーさんや介護士さんであって、家族は絶対に無理だと思うんですよね。
      ましてやルビーさんのお母様は、お稽古事など勢力的に行っているので、周囲の人は記憶障害があることもわからないですよね。
      なのに、勝手にああしたらいいとか、こうしたらいいのでは?なんて、言葉だけならなんとでも言えますって。
      私も、母のことを好きになれない自分をものすごく責めたし、自己嫌悪だらけでした。
      だけど、母の懐に踏み込めば踏み込むほど、お互いが傷つくということがよくわかりました。
      だから今は、「業務」です(笑)。
      いずれ母が亡くなった時に、せめて私はやれる範囲でやれることをやったと思えるように、淡々とやっている・・・って感じですかね。
      私もルビーさんのコメントで、気持がわかってくれる方がいて元気づけられました。
      ありがとうございます。
      お互い、まだまだやりたいことがたくさんありますから、前を向いて歩いていきましょう!(^^)!

  9. とくこ より:

    私の母もアルツハイマー型認知症です。
    物とられ妄想がひどくて、悩んでいるときにこちらのブログを見つけました。
    通帳印鑑や財布、保険証など自分がしまった所を忘れて、いつもの場所にない=泥棒となり、何度も電話、家捜し、再発行です。今は私が預かってますが、早く返せ返せと言われています。
    他にも書類を勝手に持って帰ったと言われたりで腹もたつし、疲れてしまってます。
    認知症の人は季節の変わり目がふあんていになるそうです。デーサービスで聞きました。
    今がまさに不安定です。

    ところで、私の母は冠婚葬祭など義理堅い人だったのですが、そんな話を聞いてもへーと言うだけ。仕方ないですね。
    私がわかるはんいでお世話になった人には、私が対応しています。

    • そらはな より:

      とくこさんへ♪
      こんにちは(#^^#)
      お母様も認知症なのですね。
      物盗られ妄想は、本当に家族にとってはキツイですよね。
      うちの母は、まだ自分で通帳を持っています。
      私が余計なことを言うと怒るので、そっとしておいています。
      季節の変わり目に不安定になるのかぁ・・・、なるほど、納得。
      冠婚葬祭のお付き合いも、私が対応できるものは私がやって、母にはいちいち言わないことにしました。
      これが一番、家の中が穏やかでいられることですかねぇ・・・。