最近の母はとても落ち着いているので、これが本当に認知症の始まりなのか、それとも高齢による物忘れなのか、よくわからなくなってきている私です。
父が亡くなってから、母は同じ話を何度も何十回も繰り返すようになったのですが、最近ある変化に気が付きました。
不思議だなぁ・・・、おもしろいなぁ・・・と思った母の言動について、私も忘れないように書き記しておこうと思います。
何度も同じことを聞く
父が突然亡くなってしまったことで、私ですらこの2か月間は、なにがなんだかわからないけれど、とにかく目の前に課せられたことを黙々とやるのみ・・・ということに徹してきました。
80歳を過ぎた母は、さらにわけがわからなかったでしょうね。
ただでさえ加齢による理解力、判断力が低下しているのに、次々と考えなければならないことが山積みで、精神的にも疲労困憊だったと思います。
とはいっても、母は自分で考えることをほとんど放棄してしまったので、疲労困憊はアタシだよっ!と、毒づきたかったのですが、誰に吐けるわけでもないので、こうしてブログに淡々と綴っているわけです。
さて、この2か月間で母が何十回も同じことを聞いたり話したりしたことを思い出してみました。
何度も聞いてきたことは山ほどありますので、何十回も聞いてきたことのみにします。
明日新聞に載るから
うちは田舎なので、亡くなると地元のローカル新聞に死亡広告を出します。
死亡日時、原因、喪主、家族の名前を始め、火葬と葬儀の日時をお知らせするのです。
それをみた地域の方々が、火葬や葬儀に参列するというわけなのです。
新聞社の方と死亡広告の校正をし、新聞の掲載は明後日となりました。
「明日新聞に載れば、みんな(亡くなったことを)わかるでしょ」と言う母に、何度も「明日じゃなくて明後日だよ」と訂正するのですが、そのたびに
「明後日なの!!?」と驚いたように大声で聞く母。
「そうだよ、明後日なの」と、1日の間に50回くらい答えたと思います。
お布施はいつ渡すのか
葬儀が終わり自宅に戻ってから納骨までの数週間の間に、何十回、いや何百回と聞かれたことが
「お坊さんにお布施はいつ渡す?いくら包む?」という言葉でした。
「葬儀が終わってすぐにお母さんがお坊さんに直接渡したでしょ」と言うと
「全然覚えてない」という母。
翌日にはまた「お坊さんに戒名料渡さなきゃならないね」と言うので
「葬儀のあとお布施と戒名料と一緒に渡しにいったでしょ」と言えば
「全然覚えてない」という母。
コントのように母と私の毎日の会話でした。
葬儀費用や、お寺費用などをまとめて書いたものを母へ渡していたのですが、まったく効果がありませんでした。
「戒名をつけてもらわなきゃならないわね」とも言われた日には
「もう!戒名あるべ!!ちゃんとお金払ってつけてもらったべ!!」と、大声で返してしまいました、私。
納骨の日の朝も聞かれました。
「お寺さんに、葬式のお布施はいつ払うの?」
「とっくに払ったよ!!!」
この時は、母のことをボケてきているけれど、まだ認知症かも・・・とは認めたくなかったんですよね。
記憶障害
認知症の初期にみられる症状で、ほんの数日前、数分前のことを忘れてしまうという記憶障害。
母にとっては、その都度初めて話していると思っているので、私が「何回も言ったでしょ!」と答えると、母は単に不快な気持ちだけが残ってしまうのです。
初めてのつもりで話している母は、私がうんざりしたような態度や怒って話す言葉に対して、不満や不安がどんどんつのっていくのですよね。
この不安な気持ちが、さらに症状を悪化させてしまうのです。
もちろん私も、同じ話をしてしまうことがあります。
でも、話している途中で「あ・・・?この話言ったよね」と思い出すのは、単なるボケ。
認知症の場合は、その体験自体がすっぽり記憶からなくなっているので、何度も聞いたり同じ話をしたりするのです。
母への対応を変えた
次々とやらなければならない手続きを、私はその都度母へ確認し、その都度母へ報告していました。
市役所関係の届け出、年金関係の手続き、公共料金引き落としの名義変更、車の廃車手続き、税金関係の手続き、預金の相続手続きなどなど、めんどうでわけがわからない手続きを、母へ話したところで、母だってわかるわけがありません。
預金の相続手続きを終えた時、金融機関の方から金利のいい定期や保険などを紹介され、お金をどこにどう分けるか・・・という話を次々に母へ伝えた時に、突然怒り出した母は、私を「相続争いをする泥棒」だと言いました。
この時になって初めて私は母のことを「認知症」だと認識しました。
図書館へ行って、いろんな本を読み少しだけ認知症について理解できるようになった時、私は母への対応を変えました。
https://soratohana.com/ninchisyou20160707
この日以来、母とは衝突することもなく、母もとても落ち着いています。
冴える頭と体
母は何度も同じことを繰り返し聞いてきても、その用件が過ぎると母の頭の中で記憶として定着されていくような気がしています。
死亡広告が実際に新聞に掲載されたという事実を知った時。
納骨という一区切りの法要が終わった時。
それ以降は、母が同じことを聞くことがないのです。
ならば、繰り返し言う言葉と、それを体験した事実は、きちんと認識されているではないですか。
これは、父が急逝したことによる一時的なパニック症状だったのでしょうか?
もうひとつ、母の言動をみておもしろいなぁ・・と思ったことがあります。
私に対しては「なんにもわからない」「なんにも覚えていない」と、何もできない年寄りアピールをするのに、時々実家に顔を出す姉の前では、意外とシャキッとするのですよ。
先日も、父の中学時代からの友人が家に訪ねてきたのですが、びっくりするくらいの機敏な動きと、ハキハキした口調で
「どうぞ、上がってください」「どうぞ、遠慮なさらずに」
なーんて、話すのです。
まるで気の利かない娘(私)に代わって、母が取り仕切っているような感じで。(←私、被害妄想的)
めっちゃ、冴えてるやん!!
めっちゃ、動けるやん!!
うーーーむ。
これはいったいどういうことだろう。
母は、加齢と父が急逝したことによる精神的ショックで、一過性のマダラボケになったのか?
それとも、やはり軽度認知障害、もしくは認知症の始まりなのか?
姉が言っていました。
お嫁さんが姑の言動がおかしいと訴えて、離れて暮らしている実娘が実家に帰ってくると、姑はいつになくシャキッとしていて、実娘が「お母さんはどこも変じゃないじゃない!」と、お嫁さんを責めて帰っていく。
そういう現象が起きるのは、こういうことなんだな・・・と。
母が今後どうなっていくかわかりませんが、とりあえず不安材料はすべて除去して接することで、今はまぁまぁそこそこうまくいっているような気がします。
認知症って、不思議だなぁ・・・。
なーんて、まだ他人事のように思える私は、本当の大変さを知らないからなんですよね。
コメント
こんにちは
振り返る余裕が出てきたようで良かった!!!です。
双方が硬いと傷つけ合うってCMでも言ってますもの。
今日のお話を伺って、お母様の気掛かり事項というか重要度のプライオリティを懐かしく感じました。
昭和を思い出したんです。
今は何事もネットだし、人間関係も個人にウェイトが置かれプライバシーとかで他者との関わり方が違ってきていますから。
折り合いがつくようになられて画面のこちらもなんとなくほっとしました。あと数年は区切りがありますが、そらはなさんがいらっしゃれば心強いことでしょう。
おれんじさんへ♪
毎日、いろんなことを考えさせられます。
それは、今までなんでも自分でやってきた父へすべてをまかせていたせいで、私がいかに実家のことを知らないで過ごしてきたのかがよくわかります。
なんとなく・・・父が「お母さんと仲良くやっていきなさい」という機会を与えてくれたのかなー・・・なんて、今思っています。
そらはなさん。こんにちは。
お母さまのこと、シェアしてくださってありがとうございます。
私の実母(84歳)も似た感じです。
以前のブログ読ませていただいたときも、母娘の感じも似てるな~と勝手に思ってました。
覚悟はしていても、悲しくなってしまう時もあります。
そらはなさんの記事もだけど、コメントされる方の意見にもワタクシまで慰められたり教えられたり…こちらで輪が広がってるような気持ちになっています。横から盗み見してるみたいですね。勝手にひとりでゴメンナサイ。
でも、経験しないとわからない、わかってもらえないことが何かと多いのでホッとします。これからもよろしくです!
Copan0403さんへ♪
そうなんですよー。
これが現実だと思っても、やっぱりどこか切なくて悲しい気持ちにもなります。
でも、それを受けれいてやっていくしかないのです。
そして、どうせ同じ時を過ごすなら、考え方を切り替えて、少しでもおもしろおかしく生きていくほうがずーっといいのですよね。
私も、コメントでたくさんたくさん勇気と知恵をいただきました。
感謝、感謝です。
認知症の方が、お医者様や面会に来られる方の前ではシャキシャキとお元気な頃と変わりが無いように振舞われる事はよくありますね。
不思議ですよねぇ。
何かスイッチが入るんでしょうね。
ねこさんへ♪
本当に不思議だなーと思いました。
脳内の伝達物質が急に活性化されるとか?
このしくみを研究したら、認知症の特効薬ができるんじゃないかしら・・・(^-^;