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【認知症】記憶障害のある母に昨日の出来事を追求してはいけない

記憶障害は、ほとんどの認知症の人にあらわれるといいます。
中でも、新しい出来事を覚える「記銘力」が最も衰えるものです。

ヒントを与えて思い出すことができるものは、単なる物忘れ。
いくらヒントを与えても記憶を思い出すことができないのが認知症。

だから、認知症である母に、昨日の出来事を確認したり追求したりすることは、やっても無駄なのです。

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認知症の母の最近の出来事

お風呂やめてくれ!と言った母

「お風呂入っていいよ」と、母に声をかけると、母は突然あわてたように言いました。
「お風呂入れないでくれ!お風呂やめてくれ!」と。

あまりの母のあわてぶりに私は戸惑い、瞬時に頭の中であれこれ考えを巡らせました。
認知症が進むと入浴を嫌がる場合もあると聞いていたので、これまで2日に1回は入浴していた母が、いよいよ入浴拒否をするようになったのか、とさえ思いました。

しかし、母に話を聞いてみると、それは別の理由からだとわかりました。

灯油がなくなったと言う母

うちは、屋外に灯油タンクを設置していて、灯油が少なくなると配達店に電話をして給油にきてもらいます。
冬場は月に1度。
ストーブを使わなくなる春から秋にかけては数か月に1度。

その灯油タンクの目盛りがほとんどゼロになっていたので、今日あわててお店に電話をしたという母。
しかし、時間も遅かったらしく、明日配達に伺うと言われたそう。

だから、灯油を燃料にしてお湯をわかす我が家で、今お風呂を入れたら完全に灯油がなくなってしまう・・・という理由から、母は「お風呂やめてくれ!」という発言になったのです。

「ああ、そうなんだ」と言って、私はいったんお風呂の給湯を止め、それから母に言いました。
「ごめんね、私も灯油タンクの目盛りをちゃんと確認してなかったもんね」

母は「私はもう歳なんだよ!あんたがちゃんと見てくれないと困る」とブツブツ言っていたのですが、その言葉を全部聞かないうちに、私は屋外の灯油タンクを見に行きました。

たしか2週間前にタンクは満タンにしてもらったはずです。
もう冬でもないのに、いくらなんでも灯油が空になるほど使うはずがない。
そんな確信があったので、すぐに灯油タンクの目盛りを見てみたのです。

案の定、タンクにはは3/4以上灯油が入っていました。

すぐに電話をしてちょうだい!という母

灯油タンクにはまだ灯油がたくさん残っていることを母に伝えると
「じゃあ、今日来れないって言ってたけど、さっき来てくれたんだね」と母。

いやいや、そうじゃなくて、最初から灯油はたくさんあったんだよ、2週間前に給油してもらったばかりだから、そんなに減ってないよ、と母に何度も説明しました。

「目が見えないからメモリがよくわからないもの」と、母が自分の視力のせいにしたことも別にかまいません。
実際、母の視力も落ちてきていますし。

その昔、我が家では本当に灯油タンクが空になって、給油パイプに空気が入り、大々的に修復することになったという経験もあるので、母はその時のことを鮮明に覚えているのでしょう。
だから灯油タンクの目盛りはとても気にしていて、いまだにお店には自分で電話をかけて給油にきてもらっています。

「じゃあ、明日は給油に来てもらわなくてもいいね」と母に言うと、
「すぐにお店に電話してちょうだい。私は電話番号見えないから、電話かけられない」と母。

(今日お店に自分で電話かけたやん。)
と、母に心の中で突っ込みながら、私はお店に、明日来なくてもいい旨の電話を入れました。

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昨日の記憶も覚えていない

こんな出来事があった翌日、お昼に仕事から帰った私は母に確認のつもりで声をかけました。

「昨日電話したから、今日は灯油入れにこなかったよね」と。

薄々わかってはいましたが、母は昨日の出来事をまーったく覚えていませんでした。
昨日の流れを一通り説明しても、母は「そういえばそんなことがあったような」という返事。

最近の母の記憶障害は、ますます進んだようにも思います。
以前は、何度も何度も同じことを聞いたりしていたのですが、最近はその聞くことすら忘れているような感じがします。

新しいことが覚えられないのが認知症ですが、この3年間母と関わってきて、私もちょっとだけ上手に対応できる術を学びました。

認知症の母と上手に関わる方法

毎日同じことの繰り返しで、何事もなく平穏に過ぎていれば、母は穏やかに暮らすことができます。
しかし、変則的な何か(今回は灯油がないというパニック)があったとき、突然怒ったり相手を責めたりする母に対して、落ち着かせる方法をこの3年間で学びました。

まずは母のおかしな言動も「認知症という病気のせいだ」と、自分に言い聞かせること。
割り切ることで、一呼吸でき私自身も落ち着くことができます。

そして、母に対しては「〇〇だったけど、私が〇〇したから、大丈夫」と、何度も「大丈夫だから」と言い聞かせます
私が何度も「大丈夫」と言っていると、母も不思議と「そうなの?大丈夫なの?」と落ち着いてくるのです。

認知症の記憶障害による不可解な言動を、いちいち追及したり確認したりしても無駄なこと。
だって、母は出来事自体をまるごと忘れているのですから。

たとえ母の言っていることが間違っているとしても、聞き流す、受け流す、しつこく聞かない、これでお互いが穏やかに暮らせるのなら、簡単なことです。

3年前の私は、これがまったくできていませんでした。

認知症の始まり?私を泥棒だと言った母・・・そりゃないよ
抑えようとしても込み上げる嗚咽は、父が亡くなった時とはまた別の感情が入り混じっていました。 悔しさ、悲しさ、情けなさ・・...

 

 

コメント

  1. でぶねこ より:

    昨日は母の日でしたね^^
    糖尿病でもある義母の血糖値コントロールがうまくいっているので、握り寿司とケーキを買って食べました。義母は寿司、てんぷら、揚げ物、甘いものが大好き(苦笑

    そらはなさんが言うとおり、「聞き流す」「受け流す」が大事だと、私も同居して2年で悟りました。機嫌が悪かったり、怒りだしたりしても、翌日には忘れてしまっているのですから、変に追及しないのがお互いのためによいことだと、理解できるようになりました。
    普段一緒にいない主人はまだ「なんか考え事してる」とか言うのですが、それを追求したり詮索する必要はないのかなと思っています。
    義母の場合、こちらが真剣に聞く姿勢をとると、次から次へと話し出し受け答えするのが大変になるので、悪いなあと思いながらも適当に聞き流すようにしています。

    個人に差はあるものの、そらはなさんのお母様と我が義母も同じ認知症、似た部分も多々あり、とても共感できるし、いろいろ葛藤して同じような道のりを歩んでいるのだと、少し心強く感じます。私の実母の認知症のほうが進んでいるのですが、離れて暮らしているので心配はありますが、仕方のないことだと諦めもついてきました。ただ、後悔のないようにしたいとは思っているので、できる範囲で顔を出したい、今はそう思えます。

    • そらはな より:

      でぶねこさんへ♪
      お義母さん、おいしいものが食べられてよかったですね(#^^#)
      「適当に聞き流す」って大事ですよね。
      ちゃんと返事をしながら、それを受け流し聞き流す。
      これが慣れないうちは、とてもストレスでした。
      うちの母も、今日は父の命日について何度も何度も何度も何度も同じことを聞いてきて、疲れちゃいました(^-^;
      でも、以前のようにイライラはしません。考え方次第なんですよね。
      私がまだ自分の好きなことができて、あちこち出かけられるのも、母が元気に暮らしてくれているおかげですから、少しでもこの状態を保てるといいなぁと思っています。

  2. Kumakuma より:

    こんにちは、うちの義母は、怖い形相で、何で、おれの服持って行くのよ‼️って、突っかかって来ました。私が義母の服を持っていってどうすればよいのよ!って言ったら、理屈言って!って、なんとか、家に入って来ないでくれ!って言われました。私は、家に入ってないし、これからも勝手に入ることはない!って言いました。
    でも、後から思い出したんですが、秋頃、私の服を義母のタンスに勝手に入れているって、突っかかって来たことが有りました。持ってけって言われて、私のじゃないと思うよ!じゃあ、捨てるよって言われ、はい、どうぞって言った事が有りました。季節が代わったときに、前の自分の服を忘れ人のと思い捨てたんだったろうな。それで、今、思い出して今度は無いってなって人のせいにする。色々な物を探して、かき回し、また、違う記憶で、誰がこんなにぐちゃぐちゃにした!って、痴ほう症、困った病気ですね。かわいそうでもあり、私や旦那なったらどうしよう等、色々考えてしまいます。これ以上、早く進まない事を願っています。

    • そらはな より:

      Kumakumaさんへ♪
      情景が目に浮かびます。
      言われた時は、いくら相手が認知症だとわかっていても、人間だもの、腹が立ちますよね。
      私も今日、母が何度も何度もしつこくて(汗)、つい「昨日から何回も言ったでしょ!」と母に言ってしまいました。
      母にとっては、初めてのことなのにね。
      わかっているけど、あまりにもしつこいと辟易してしまいます。
      私も、いつかこうなっちゃうのかなぁ・・・と思うと、ほんと、母にはやさしくしないとなぁ・・・なんてことも思うわけです。