1月2日の夕方、母が新聞を手に持ってやってきて、言いました。
「今日は何日なんだ?」と。
今日は1月2日だよ、と話すと、不思議そうな顔をして手に持っていた新聞を見つめています。
『今日が何日かわからない』といった症状は、認知症の中期に入ったサインでもあると、以前読んだ本には書かれていましたが、母は本当に日にちの認識がわからなくなってしまったのでしょうか。
今日は何日だ?
うちでは新聞は、地方紙と全国紙の2紙を購読しているのですが、それらを読んでいるのはもっぱら母。
夫や私も時間があれば目を通しますが、今はスキマ時間にスマホでニュースをチェックできるようになったので、新聞を読む機会は以前よりもかなり減りました。
昔から母は新聞を読むのが大好きで、毎日、新聞は隅から隅まで読んでいました。
昨年、ケアマネさんが訪問に来た時も
「私は新聞を読むのが大好きで、毎日それだけが楽しみなの」と母が話していたので、まだ文字を読む意欲は衰えていないのだな、と少し安心していました。
しかし最近、母の部屋へ行くと、新聞が広げられていて読んでいる形跡はあるのですが、中身を読んでいるのか、それとも昔からの習慣で『新聞を広げている』という形だけなのか、わからなくなってきました。
「今日は何日だ?」
1月1日元日、母は何度も聞いてきました。
目の前に新聞が広げられているのだから、新聞の日付を見ればわかることなのに、何度も聞いてきました。
新聞と一緒に挟まれていた用紙に『1月2日は新聞はお休みします』と書かれていたことで、さらに母は混乱したようです。
1月2日?今日は1月2日なの?
なら、ここにある新聞はいつのもの?
今日はいったい何日なの?
おそらく母の頭の中は、こういう問いかけがグルグル回っていたことでしょう。
実家に遊びにきていた姉にも何度も問いかけ、そのたびに私と姉が
「今日は1日だよ。だから明日新聞は休みなの、明日は新聞こないからね」という旨のことを話しました。
電話をかける術は知っている
翌日1月2日の夕方、母が不思議そうな顔をしながらやってきました。
「今日は何日なの?」
手に持っているのは昨日の新聞。そして
「今日、新聞来なかったのよ」と。
さらに手に持っている新聞を差し出し、「これは今日の新聞?」とも聞いてきます。
今日は1月2日。
新聞が休みの日だよ。今日は来ないの。
その新聞は昨日のものだよ。
母にそう言うと、母は少し安心した顔をして言いました。
「あらー、そうかー。今日は新聞休みなのね。新聞来てないと思って(販売所に)電話をかけたら、誰も出ないもんだから・・・」と。
ぎょっ。電話したんかい!
今まで何十年と新聞をとってきて、1月2日が休刊日だってことも長年の経験でわかっていることなのに。
わざわざ昨日の新聞に「2日は休みです」という案内が入っていたにもかかわらず、しかも私が何度も「明日は新聞来ないよ」と言ったのにもかかわらず。
しかたがない。これが認知症なのです。
とはいえ、新聞が来ないと即座に電話する行動は、昔から身体に染みついていたことで、そう言う行動は忘れていないのですね。
今日の日にちはわからなくとも、電話をかける術は知っている。
これが認知症なんです。
アルツハイマー型認知症がたどる過程
アルツハイマー型認知症は、10年くらいかけて初期から中期、そして後期症状へと進んでいきます。
【初期(2~3年)】
・単なる老化か認知症かわからない程度のもの忘れ。
・本人も家族も次第にもの忘れが気になってくる。
・家庭の中で「言った言わない」「置いたはずのものがない」「盗られた」などのトラブルが起こる。【中期(3~5年)】
・季節の見当がつかない、今日が何日かわからない、自分の年齢が言えないなど。
・昔のことはよく覚えているが、過去と現在を混同した会話をすることもある。
・徘徊が問題になる。
・服の着方がわからなくなる、箸が上手に使えなくなる。
・トイレの場所がわからなくなる。【後期(5年以降)】
・会話がかみ合わなくなる。
・歩行が緩慢になり、転倒するリスクが高まる。
・立ったり座ったりが難しくなり、移動に車いすを利用することが増える。
・食事を飲みこむとむせることが増え、誤嚥したり、誤嚥性肺炎になって全身状態が悪くなる。“これでわかる認知症”(成美堂出版/杉山孝博監修)より
もちろん個人差はあるので、発症から緩やかに進行する人もいれば、急激に悪化する人もいるでしょう。
ただし、アルツハイマー型認知症がたどる過程がわかっていれば、もし家族がおかしな言動が現れた時も、早期に対応できるのではないかと思います。
私も、母の言動が変だなと最初に思ったのは、今からちょうど3年前のお正月のこと。
あまりにも腑に落ちなかったので、その時のことをブログに記しています。
母は認知症の中期に入ったのか
認知症がたどる過程にあてはめてみると、なるほど、母の場合も当たっているんです。
母の言動のおかしさが気になるようになったのが3年前ですが、もっとさかのぼって考えてみると、母の料理がおいしくなくなっていったのが5~6年前。
さらに10年前には私に「仕事を辞めて家の中のことをやりなさい」と言うなど、母らしからぬ言動がありました。
認知症の発症のひきがねになるアミロイドβという物質は、25年前から脳内にたまり始めると言いますから、10年以上前に不可思議な言動が見られてもおかしくないのですよね。
その時はなにか変だなと思いながらも、その他の行動は普通なのですから、当時はそのまま流してしまっていました。
今日が何日かわからない。
今日の新聞を手にもっていてもわからない。
いよいよ母も認知症の中期に差しかかったのでしょうか・・・。
お年玉
ところがです。
1日の朝、母は早々にやってきて、帰省している次男と高校生の娘に、お年玉を手渡しにきたのですよ。
数日前から「孫たちにお年玉をやらなくちゃ」と言いながらも、「私はもうわけがわからないから、あなたが適当にやってちょうだい」と、私に振ってきた母。
私が適当に?子どもたちに?おばあさんからのお年玉だと言って渡す?
私こそ、わけがわからなかったので、そのままスルーしていたら、母がちゃんとポチ袋にお金を入れて孫たちに渡しにきたんです。
こういうところは変にしっかりしていて、不思議なんですよね。
認知症が緩やかに進んでいっても、孫たちへのお年玉を1月1日に手渡しする。
それなのに「今日は何日だ?」と聞いてくる。
1月1日だから、お年玉を渡しにきたんじゃないのかーいっ!
母の言動の不思議さに思わず笑ってしまうほど、私も余裕を持って母を観察することができるようになった新年の始まりでした。
認知症のことをいろいろわかってくれば、以前のようにイライラすることも少なくなってきたなぁと感じています。
母の言動は、今年も私に認知症についての発見と気づきと、少しの笑いを届けてくれることでしょう。
・・・たぶん。
きっと。
コメント
明けましておめでとうございます。
今年も、そらはなさんのブログ楽しみにしております。よろしくお願いいたします。
お母さまのこと、余裕をもって受け止めていく気持ち、新年早々清々しい!
一人で向き合うと、私ばかりがなぜ…と思いがちでお互い暗くなりますが、周りの人を巻き込んで助けてもらうのも大事ですね。みんな公平に年をとるし、明日は我が身、順番ですから。
今年も明るくいきましょう(^_^)ノ
ルイコさんへ♪
あけましておめでとうございます。
そうそう、そうなんですよねー。
みんな公平に歳をとるし、みんな必ず亡くなるのだし。
だから、今を楽しまなくちゃソンですよねっ!
今年もよろしくお願いします(#^^#)
明けましておめでとうございます。
私は今年44歳になりますが、33歳(厄年の年)の時に、実母を亡くしました。兄嫁もおりましたが、やはり実娘に面倒(介護)をみて欲しいと言われ、3年ほど身の回りの世話をしました。まだ母も60歳を過ぎた辺りで認知症ではありませんでしたが、病気の為寝たきりに近い状態で、トイレやお風呂の介助など…。娘も幼稚園でまだまだ手のかかる年頃。当時は心に余裕がなく、かと言って他人に相談するなんて恥ずかしいと思ってました。最期は病院のお世話になりましたが、未だに「あの時こうしていれば…。」などと思ってしまいます。そらはなさんは、すごく余裕をもった対応をしてらして素敵です。これからも頑張ってください。
来週はセンター試験ですね!
頑張ってください!
みさコアラさんへ♪
こんにちは(#^^#)
お母様、そんなに若くして亡くなられたのですね。
その当時は、まだ介護保険法などなかったでしょうから、いろんな負担がすべて家族にのしかかっていたのかなぁと思われます。
よくがんばりましたね。
私も、子どもたちが手を離れた今なので、母へはいろいろ試行錯誤で対応していますが、今後はどうなっていくかわかりません。
でも、考えてもしかたがないので、今できることをやるだけですかねぇ・・・。
ああー。センター試験ですね。
その先のことがまったく予測がつきませんが、とにかくセンター試験を万全の体調で受けることができればいいなぁと思っています。
そらはなさんあけましておめでとうございます!!今年もちょこちょこ遊びに来るのでよろしくお願いします(^_-)-☆
読んでて・・・施設に入所してる義母【84才)を思い出しました。同じことを繰り返す症状あったなぁ・・・と。家族が一番心配してたのは徘徊です。ふと思いついたら早朝でもなんでもかまわず印鑑買わないと!!と印鑑屋さんに向かって自宅を出てふらふら・・・たまたま見かけたヘルパーさんが連れ戻してくれなければきっと数時間歩き回ってたことでしょう。この先にニトリがあった!!と何度言っても言い張り延々と歩くのに付き合わされたと義姉も言ってたことがありました。年を重ねていくのは誰しも当たり前のこと、でも共働き夫婦で親の行動、言動を見張るのは(言い方きついかも?)不可能に近いと思います。核家族化の現代。これから先、私自身も実母を見ないといけない日が必ず来ると思っています。その時、今は会話が楽しく私の仕事や家事の愚痴も聞いてくれる母がそうではなくなったとき、私は強い心で迎えることができるだろうか?と日々自問自答しています。肉親の変わっていく姿、時には暴言も吐かれるよと友人も言っていました。通帳どこにやった?返せ!と相談してマンションを購入、一緒に住んでた叔母に言われて落ち込む友人もいました。他人事では確実になくなってる今日この頃、覚悟を決めるその日が少し怖いです。さみしさにも打ち勝てるでしょうか・・・
すずさんへ♪
お義母さんは、足腰が丈夫な方なのですね。
認知症になっても、足腰が丈夫だと、今度は徘徊の心配があるんですよねぇ。
その時、その時で対応していくしかないのでしょうけど・・・、付き合う方は疲れますね、ホントに。
すずさんのお母様はまだお元気な様子でなによりです。
いずれ必ず歳を取り、身体が健康でも頭の老化が始まるとしたら、身体の寿命が先か、脳の寿命が先か、どっちがいいのかよくわからなくなってきました。
私は、実母のことだけではなく、自分がどうなっていくのかも怖い・・・(^-^;
家族にだけは迷惑をかけないようにしたいものですが、これだってどうなるかわかりませんものね。
超高齢化社会を迎える日本人の課題ですね。
記憶が繋がらなくなり、
知っていることも頭の中で繋がらなくなる…つまり論理は成り立たない、ってことなんでしょうかね。
難解な文献を読んでいて、字面は読めても内容が頭の中で繋がっていかない、頭が回らない、っていうときのモヤモヤすることったら…
日常全てにああいった感じなんでしょうか。
つらいですね。
ご聡明だったとのこと、尚のことおつらいでしょう。どこまでおわかりなのかは知る由もないですが、私はもうわけがわからない…と仰っているのだから、何かしらの自覚はおありなんですよね。
それでもお年玉を持ってきたお母様のことを思うと、
ちょっと涙ぐんでしまいました。
強い記憶になってるのは、お孫さんたちが大喜びしたからなのかなあ。
認知症にならないようにと思って気を配ってきました。
映画も努めて観るし(←元々好きですが(笑))
テフロン加工も使わずがんばった!(←真偽のほどはわかりません)
たっぷり睡眠もとってます(←元々よく寝る、まだまだよく眠れる!)
計算だってやっちゃうぞ(←一時試しました(笑))
楽器も始めてみる???
それらは保証ではないですものね〜。
恩返しとして 夫よりたとえ1日でも長く生きて、看る決意ですが
いざ独居生活に入ったら
認知症の定期検診を自分に課すことにしようかしら。
早期発見で進行を緩くできたら、
最期まで自立を保てる可能性が出ますもんね。
病状が進むお母様を、日々お相手なさるご心労は察しかねますが、
空花さんなら、きっとうまく切り抜けられますね。
TM♪さんへ♪
文字は読めても、内容が繋がらないって・・・、どんなに勉強してもちっとも理解できない状態ですよね(^-^;
ガックリくるでしょうね、そりゃ。
記憶というものは、毎年恒例だったお年玉や、恒例行事などはよく覚えていても、身近なものから忘れていくという、ちぐはぐな感じになっていくのでしょうね。
TM♪さんは以前から認知症予防なるものをされてきたのですね。
私は、母がこうなってから・・・本当に最近いろいろ考えるようになって。
でも、今からでもできることはきっとありますよね。
認知症の定期健診って、いいですね。
いずれ、市の健康診断に加わる日も遠くないのでは・・・?
人間の最大の尊厳は、やぱり最後まで自立できるということなんでしょうね。
もちろんいつからでもできますよ〜〜^ ^
空花さんの検索力をもってすれば、いろんな情報をとって取捨選択し、
ご自分の生活に合わせてカスタマイズできるでしょう。
初期で気づき徹底した生活改善をして、
以降十数年にわたり進行を遅らせ自立して
穏やかに暮らしている例をNHKでやっていました。
再放送もされたから反響大きかったんでしょうね。
予防的な意味でも生活習慣の要素は見過ごせないようですが、
ご一緒に暮らしていてもお父さまは罹患なさらなかったという事実…
生来の好奇心旺盛で大らかなご性格と
庭仕事など身体を動かしていらしたことが
プラスに働いていたからかな…なんて下衆の勘ぐりをしておりました。
空花さんはお父さま似なんだろうな、とも。
上の世代は、周囲に勧められても
認知症外来に行きたがらない人も多い気がします。
恥と思うのでしょうか。
いろいろなことがわからなかった時代の扱われ様も見てらっしゃいますものね。
早期治療の効果を知る我々世代は、
プライドなんてかなぐり捨てられるんじゃないかと思うんです。
恥じゃない。
老いと向き合って生活の質を少しでも維持する有効な手段だから。
TM♪さんへ♪
おっしゃる通り、私たちの親世代は認知症を恥だと思っている方が多いような気がします。
それは、昔「痴呆」とか「ボケ」とかいう言葉で表現されていたことも関係ありますかねぇ。
医学の進歩で身体寿命が長生きになった分、脳の老化という症状が著明になってきたのですから、それを受け入れて積極的に治療するような時代に移行しつつあるんでしょうけどね。
私も「老い」とまじめに向き合っていかなければ・・・。