認知症を認めることから始めよう だけどやっぱりむなしくて切なくて

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母の動きを目で追っていたら、思わず「ふふふっ」と笑ってしまいました。
笑ったといっても、もちろんこの場合はおもしろくて笑ったのではなく、「苦笑」のほう。
母の言動のこっけいさにとまどいの気持ちはありながらも、私は笑えたのです。
これは、私にとっては大きな進歩なんだと思いました。

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自分で書いたメモを覚えていない

「”〇日午後 Yさん宅へ”って書いてあるけど、コレなんだ?」
そう言いながら母が持ってきた1枚のメモは、母の字で書かれたもの。
「へっ?それお母さんが自分で書いたんでしょ?私、知るわけないじゃん」と、母に言ってみたものの、実は察しがついていました。

その日の午後、母の友人のYさんが訪ねてきました。
その時私は裏庭で、雑草と格闘中。
だけど、Yさんの声って大きいからすぐわかるんです。
Yさんと母は玄関先で話をしていましたが、30分も経つと急に静かになったので、どうやらYさんは帰ったのだということがわかりました。

”〇日午後 Yさん宅へ”と書かれたそのメモを見たとき、私はすぐにわかりました。
近所に住んでいたYさんが、少し離れた場所に新築の家を建て引っ越していったのが昨年のこと。
先月まで、家の周囲にコンクリートを敷き外装工事をしていましたが、ようやくそれも終わったので、新居に遊びにきてというYさんからのお誘い。
それが〇日の午後だったのです。

その時は、母も忘れないよう自分でメモに書き留めておいたのでしょう。
しかしわずか2~3時間後の夕方、母はYさんがさっき家に来ていたことも、Yさんの新居へ遊びにいくという約束もすべて丸ごと忘れ去っていました。

「私、コレ書いたのかしら?自分で書いてなんのことかさっぱりわからない」と首を傾げる母。
いくらヒントになる手がかりを本人が見たとしても、それはなんの役にも立ちません。
だって認知症は、その体験すべてを丸ごと忘れてしまうのだから、メモに残しても思い出す確立は極めて低い。

約束をすっぽかしたわけではない

私はいじわるです。
今日、Yさんが訪ねてきたことを知っていたのに、母へわざと問いかけました。

「〇日って明日のことだよ。今日Yさん、うちに来てたんじゃないの?それで明日遊びにきてっていう話になったんじゃないの?」
しかし母は「Yさんは今日来ていない」の一点張り。
そして自分で書いたメモを「なんのことだかわからない」と言って、ゴミ箱に捨ててしまったのです。

おい、おい。
それじゃあ、明日のYさんとの約束、すっぽかすことになるじゃん!

しかし、母にとってはYさんが訪ねてきたことすら覚えていないのだから、明日のYさんとの約束だってしていないのと一緒。
だから明日Yさんの家を訪ねなくとも、母が約束をすっぽかしたわけではないのです。

だけどYさんにしてみれば、明日の約束の時間になっても母が来なければ、「すっぽかされた」と思うでしょうね。

電話をかけた声はうれしそうに弾んでいた

Yさんとの約束をすっぽかしてほしくなかった私は、なんとか母を説得し、明日の訪問時間を確認するために、母へYさん宅へ電話を入れるよう話ました。
母は「あんたが電話してちょうだい」と言ったけど、いいえ、ここが断固として母に電話をしてもらいます。
まだまだ自分でできることは、自分でやってもらわないとね。

プッシュボタンをひとつひとつ操作し、母が受話器を耳にあてて数秒、Yさんが電話に出たようです。

「あ!もしもし?Yさん?私、〇〇です。まぁ~!お久しぶり!元気?どうしてるの?」
母の声はものすごく弾んでいました。
まるで久しぶりに旧知の仲の友人と話すかのように。

おい、おい。
さっきまでYさんと直接会って話をしていたやん!。
お久しぶり・・・って、2時間も過ぎればお久しぶりになるんかい!
元気?・・・って、さっきYさんの元気な姿見たやないかい!
どうしてるの?・・・って、さっき近況報告聞いたやないかい!

そんなツッコミを心の中で入れながら、私は母の電話の声を聞きながら、自分にも言い聞かせました。
これが認知症。しかたがない。

訪問先にて

次の日午後、母を車に乗せてYさん宅を訪ねました。
私もちょっとばかりYさんの新居へおじゃましました。

新しい家はすべてが快適に作られています。
Yさんに家の中を案内してもらい、ついついお茶もご馳走になりながら、Yさんとめちゃくちゃ話が弾みました。
Yさんは、うちの母より2~3歳下の80代ですが、踊りもやっているし寿大学へも通うバイタリティあふれる方。

会話も明瞭で打てば響くYさんの返し方に、私も楽しくてあれこれ話し込んでしまいました。
その間、母は私たちの会話にまったく入ってきません。
おそらく何を話しているのか理解できないのでしょう。

そして、椅子に座っていたかと思えば、立ち上がり、新居をグルグル歩きまわり、リビングの隣にあるYさんの寝室のドアの前で立ち止まり、必ずそこでYさんに聞きました。
「このお部屋はなに?」
3回は聞いたと思います。

そのたびに私とYさんで「寝室だよ」と答える。
Yさんはご丁寧に、毎回寝室のドアを開けて見せてくれる。

さらに、リビングに面した畳敷きのスペースには、数年前に亡くなったYさんの旦那様の遺影が飾られている仏壇がありました。
その仏壇に向かって、母は3回手を合わせていました。
その都度毎回、鐘を鳴らします。
チーンと3回目の鐘の音が聞こえた時、母を見ると財布から千円札を出して仏壇に供えていました。

「ふふふっ」
思わず笑ってしまった私。

その後、私は母を残してYさんのお宅を出ました。
2時間後、母を迎えに行ったとき、玄関先に出てきた母は
「あんたも新しい家、見せてもらいなさいよ」と言いました。

いやいやいや。
さっきまで十分見てまわったから。

その言葉を母がどう理解したかは不明です。
そして、私がYさんの家を出たあと、母は何回仏壇に手を合わせたかな?
チーンって何回響き渡ったかな?
まさか仏壇に千円札が何枚も置かれていないよね?
そんな心配もふと頭をよぎりました。

認知症と認めることとむなしさと

母の言動がおかしいなと最初に思ったのは、今から3年半前のこと。

親の老化に気づいたら 絶対にやってはいけないことを意識する
新年早々、ちょっと嫌なことがありました。実家の母が、自分の物忘れを私のせいにしたこと。それに対して、私が母を否定して怒ってしまったこと。アラフィフ世代は、教育費貧乏に耐えるとともに、親の老化についても真剣に向き合っていかなければならない時期なのですね。...

その後、父が急逝したことで、母の記憶力は顕著に低下しました。

認知症による物忘れは、新しい記憶がインプットされないため、今言った話を次の瞬間に忘れてしまいます。
父が亡くなった年は、母が何かなくすたびにすぐに私のせいにされ、私もむきになって反論したため、ものすごいストレスがありました。

その後、私も母への対応の仕方を学習し、母が怒りだすようなスイッチは極力押さないようにしてきたので、最近はお互いの間に静かでゆるやかな時間が流れ、平穏な日々となっています。

母は、もう昔の母のように、私に何かを教え導いてくれる存在ではない。
これからの母を導いていくのは、私なのだ。
そう考えを切り替えたら、以前よりも少しだけ気持ちが楽になったような気がします。

もちろん母にもプライドはあるので、人様に迷惑をかけるようなことや危険なことをしない限りは、黙って見守るくらいの懐の大きさも必要です。
仏壇で何回チーンと鳴らしたっていいじゃない。
Yさんのご主人もきっと喜んでいるでしょうよ。

そう思ったら、「ふふふっ」と笑えました。
だけどやっぱりなんだかむなしくて切なかったこの気持ちは、どう消化したらいいのだろう。
そんな母の最近の様子です。

 

コメント

  1. すず より:

    こんにちは。毎日しんどい暑さですね。

    <母は、もう昔の母のように、私に何かを教え導いてくれる存在ではない。
    これからの母を導いていくのは、私なのだ。
    そう考えを切り替えたら、以前よりも少しだけ気持ちが楽になったような気がします。

    この文章を読んで泣きそうです。。。

    時間の流れは誰にも止められないのですね。。。

    • そらはな より:

      すずさんへ♪
      日本全国猛暑の中、秋田だけは30度超えるか超えないかの気温なので、まだ過ごしやすいほうなんでしょうね。
      母が歳をとるように、私も歳をとるのですよね。
      時間は誰にでも平等に流れているのですから、いかに時間を有効活用するかは自分しだいでもあり、どう過ごすかも自分しだいなんですよね。
      毎日楽しく穏やかに暮らしていきたい・・・。

  2. あべま より:

    こんにちは。

    私の母は父の最期まで認知症を認めませんでした。
    今日家に来た人は誰?今日は何曜日?
    父の記憶を手繰り寄せようと何度も何度も確認の質問をしていました。

    父の失敗談を父の目の前で私に話しました。

    そのうちに父は無口になり、話をしなくなっていきました。

    私は認知症が進んだのだろうと思っていましたが、医療療養型病院に入院することになり、
    看護師さん、介護士さんに聞くとよく話をすると言っていました。
    夜勤の職員さんをねぎらったり、とてもやさしい方ですねと言ってもらえました。
    プロの方々なので接し方を心得ていたのでしょう。

    当時の母には認知症を認めたくないという気持ちもあったのでしょうが、
    なんだか残念なもやもやした気持ちが残ったままです。

    • そらはな より:

      あべまさんへ♪
      コメントを読んでいて、ものすごく切なくなりました。
      夫が認知症であることを認めたくなかったお母さんの気持ちも痛いほどよくわかります。
      そして、お父さんがだんだん無口になっていったというのも、なんだかわかります。
      娘さんであるあべまさんが、そんな両親の姿をみて、もやもやするお気持ちもよくわかります。
      記憶が失われていくということは、とても悲しいことですね。
      高齢化社会になった日本の、今考えなければいけない課題なんですよね。
      そして自分も、いつ記憶が失われていくかと思うと、本当に恐ろしい。
      だからこそ、毎日を一生懸命生きなくては・・・と思います。

  3. ゆきの より:

    はじめまして。
    義母はアルツハイマー型認知症で数年前に亡くなり、実母はレビー小体型認知症でグループホームで暮らし、私は現在脳血管型認知症の義父と同居し、介護、見守りの生活をしています。

    私も夫も義父の様子を夜話しながら笑うことが多々あります。
    笑えることではないのですが、笑うことで救われている面もあります。
    義母や母と接してきて、まだまだこれから先が介護本番なのだということはよくわかっていますが。

    義父は周辺症状があれこれ出てきていますが、介護者の気持ちが楽になると、要介護者も落ち着いてくると3人の親たちを見ていて感じます。
    介護はこちらの懐の大きさ、深さを試されているかのようですね。

    猛暑ですので、お母さま共々お体お大事してくださいませ。

    • そらはな より:

      ゆきのさんへ♪
      はじめまして(#^^#)
      ゆきのさんの介護生活、本当にたくさんのご苦労があったことでしょう。
      だから今は、むしろ余裕すら感じられて、それがたくましく頼もしく見えます。
      おっしゃる通り、介護者の気持ちが楽になると、介護される側も落ち着いてくるんでしょうね。
      接し方は、10人いればみんな違うように、自分で関わり方を見出していくことが先決でしょうねぇ。
      ゆきのさんのように、ゆったりどっしり構えて、私も母と接することができるようになるといいなぁ。

  4. ぷらちな より:

    導かなくて良いんですよ
    ちょっと寄り添ってあげるだけ

    もっと気持ちが楽になりますように

    • そらはな より:

      ぷらちなさんへ♪
      こんにちは(#^^#)
      そうなんですよね。
      ちょっとだけ寄り添う。
      それでいいのに、自分の親となるとなんだか構えちゃうのです。
      もう少し気楽にやっていきたいと思います。

  5. このちな より:

    そらはなさん、こんにちは!
    お母様のご様子、お友達も感づいていらっしやる事でしょうが、呼んで下さる方がいて有難い事ですね。

    私の方は義父と暮らしていますが、頭はしゃきしゃきですが耳が遠くて会話が成立しません。先日も一番下の孫がハイハイをして義父の部屋へ入るものですから、戸をキチンと閉めておいて、孫は自分では明けられないんだからと言ったのですが、私も毎日、朝早くから孫の世話をしているので、気が立っていたのでしょうね、キツイ口調で言ってしまったのですが、その後義父が、娘夫婦には出て行ってもらうなどと言い出したので、何回も今までにも言っていましたが、私もカチンとなって、娘達が出ていったら私も家を出るからと言ってしまいました。

    部屋に戸も閉めたくないそうです。自由にしたいんですって。
    何を話しても、不快になるばかりで、会話するむなしさ、いや喧嘩でしたね。
    あれは、喧嘩でした、義父は物凄く激高していました、私もかっとなってしまったので・・。
    出ていくといったら、「出ていけ、言った事を忘れるな!」と言われました。

    娘は嫁いだ身なので、この家の人間ではないそうです。
    しかし、娘と言うか最近の人で親と同居する人なんているんでしょうか?
    長男教の義父の価値観は今更、どうにもなりませんが、言い合いになってお互い傷ついて、全く不毛な会話をし、私はショックで3日間、家事が全く出来ませんでした。台所の横が居間でそこに義父が居ると思うだけで、台所にどうしても足が進みませんでした。

    長生きは地獄だと思います。

    3日たって、今は台所で家事をしています。小さな中古の家なら買えるし、マンションにも住めるでしょう。でも孫や娘達と離れて暮らすのは寂しいと思いました。せめて仕事でもしていれば別でしょうが。
    まだ、ここで夫や娘夫婦や孫の為にご飯を作ったり、洗濯をしたいと思ったのです。友達もいますしね・・。
    愚痴でした。すみません。

    • そらはな より:

      このちなさんへ♪
      お義父様とのやり取りが、手に取るようにわかって、なんだか私も胸がしめつけられます。
      お互いに声を荒げてケンカをするということは、エネルギーも要りますし、落ち込みますよね。
      「長生きは地獄」というのも、その通りだと思う反面、将来はもっと介護の道が開けてお互いが快適に暮らせる設備や制度が整うといいなぁ・・・と思います。
      自分が楽しく快適に暮らすことが目標ですよね(#^^#)
      花壇にお花、いいですね。
      お花を育てていると、一心不乱になれて落ち着きます。
      まだまだお互い先は長いのですから、心豊かに暮らせるよう、毎日の中にどんどん好きを見つけていきましょうね(#^^#)

  6. このちな より:

    続き、私は小さな花壇を今年、作りまして、そこでお花を育てています。
    種から育てたり、球根から植えたりしました。

    それらを捨てるのは忍びないと思いました。

    蛇足ですが長男は県外で結婚しており、長男との同居は全く考えていません。

  7. やじまっぷ より:

    そらはなさんへ
    ご無沙汰しております
    娘さん、進学されたのですね、おめでとうございます
    お家の状況が私と同じになりました(子供二人は県外へ、夫婦、実母との二世帯住宅)実母の状態は、そらはなさんのお母様の3年前位かと…
    頭では、わかっていてもなかなか『寄り添う』ことができません
    自分に余裕のない時は、尚…
    そらはなさん、皆様のコメントを読んで、今日は、とにかく体を動かそう、身の回りを整え、心を整えようと思いました
    毎日、暑いですね
    そらはなさん、ご自愛ください

    • そらはな より:

      やじまっぷさんへ♪
      こんにちは(#^^#)
      今年から子どもたちが全員家を出たので、時間的にはものすごく楽になりました。
      ただ、身体は年々衰えていくのよね・・・。
      やじまっぷさんのおっしゃるように、だんだん老いていく親のわけのわからない言動に、すぐに寄り添うなんてことは、難しいと思います。
      私はもう、淡々と接することにしています。
      育ててくれた恩はありますから、自分が後で後悔しないよう、やれることはやるし、やれないことはやれないですし。
      あとはひたすら、自分の身の回りを整える。これ、一番です。
      私は、黙々と庭仕事をしたいのですが、こう暑くては外にも出られません。
      父の遺品もそろそろ片付けていかないとなぁ・・・なんて思うこの頃です。

  8. とも より:

    こんばんは。
    読みながら、胸がズーンときました。
    全く同じ感覚になりました。
    頭の中で、いつから立場が逆転したんだろう?って考えてしまいました。

    自分の中では、両親にまだまだ頼りたい気持ちがあるのですが、ここ2、3年で、父も母も弱い存在になってしまいました。特に今春の認知症の件で、2人とも私を頼りにしてるんだと感じました。
    少々荷が重いですし、何度も忘れて話す母が可哀想になり、胸が詰まりました。
    一緒に過ごす時間がそう長くないから、2人には穏やかな毎日を過ごしてもらいたいと思います。しっかりしなくちゃね。

    • そらはな より:

      ともさんへ♪
      私も50歳をとっくに過ぎているのにね・・・。
      親は何歳になっても親だという感覚がいまだにあります。
      そして、親もすっかり弱くなったのではなく、口が達者(;’∀’)
      だからいろんな葛藤が生じるんですよねぇ。