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高齢の母の洗うお皿は汚れている それが何か問題か?

母のところへ晩ごはんのおかずを取り分けて持っていくと、母はそのお皿を洗って返してくれます。
そのお皿がきれいに洗えていないということは、もうだいぶ前から気付いていました。
私はそのお皿を再度洗い直します。

高齢だから?認知症だから?
私もその歳になってみないとわからないことがたくさんあるのでしょうね。

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食器が汚い

80歳半ばの母は、物忘れは多々ありますが、基本的に日常生活は自立しています。
朝は7時頃には起床し、日中は新聞をみたりテレビを観て過ごし、夜は21時頃にはベッドに入ります。

うちは二世帯住宅で、親とは生活もまったく別に暮らしていましたが、父が亡くなってからも母は自分でできることは自分でやっています。
ただし、買い物はすべて私任せ。
入浴は数か月前から我が家のお風呂に入るようになりましたし、晩ごはんは私が仕事から帰ってから作ったものを取り分けて母へ届けます。
その時間には母はとっくに晩ごはんは食べ終わっているので、そのおかずは翌日のお昼だったり夜に食べたりしているようです。

母はお皿を洗って私に返してくれるのですが、そのお皿は汚れがこびりついていたり、ぬるぬるして油が付着していたりするので、私が再度洗いなおします。

実家の食器がなんだかうっすら汚れているなぁと気が付いたのは、今に始まったことではなく、もう何年も前の父が生きていた頃から。
お皿の裏側が黒っぽくなっていたり、コップがやたら曇っていたり、茶渋がひどくたい積していたり。

たまに私も実家の食器を漂白剤につけたりきれいに洗ったりもしていましたが、歳をとるとこういった汚れは気にならなくなるものかな・・・なんて思っていました。

しかし、この1~2年は、食器の汚れがさらにひどくなりました。
おそらく視力が落ちてきていたり、指先の感覚も鈍くなってきているのでしょう。
また、認知症が進むと、「お皿をきれいに洗う」という動作がどういう手順で行うのかわからなくなるとも言います。

いや。
それでも。

母が「お皿を洗ってから返す」という行動は、まだまだしっかりしている証拠だと認めてあげたい。

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モノを捨てない母の言い分

実家には、もう何十年も使っていると思われる古い魔法瓶があります。
白かったと思われるプラスチックの蓋の部分は黄ばみ、無数の傷がついています。
下の金属部分は錆ついていて、所々小さな穴があいています。

そして母は、今でもその朽ち果てそうな魔法瓶を使っています。

食器の汚れが見えない、または気にならないのと一緒で、母はこの魔法瓶の汚さも目に見えないのかもしれない。いや、気にならないのだろうか。
先日、母に「この魔法瓶、すごく汚れているし、見た目も悪いし、新しいのにしたらどう?」と問いかけてみました。

すると母。
「どんなに汚くても、古くても、まだ使えるよ。まだ使えるのに、汚れたからといって、はい、さようならと簡単に捨てたらかわいそうだよ」
そしてその後何度も
「かわいそうでしょ、かわいそうだよ」と繰り返しました。

 

モノが捨てられない世代

母は、子どもの頃戦争を経験しているので、戦中戦後のモノのない貧しい時代を生きてきました。
だからこそ、自分の身の回りにあるモノは自分が生きてきた証でもあります。
「もったいない」という精神は日本人独特のものだと言いますが、モノを大切に丁寧に扱うという気持ちは、とても大事なことだと思います。
ひとつひとつのモノには魂が宿り、それをぞんざいに扱ったり間違った使い方をすると、バチが当たるというのも、日本人特有の考え方かもしれません。

しかし、自分が使わないモノをいつまでもしまい込んでいては、それこそモノに失礼です。
モノは、使ってこそ活きるものですから。

「自分で買ったものなんてひとつもない」と言うのが母の口癖ですが、せっかくいただいたモノも、一度も日の目をみることなく暗い場所にしまわれていたら、やっぱりバチが当たるのではないかと思うのですよね。

父が亡くなったあと、実家にある大量の食器を半分くらい処分しました。
古い食器は捨て、しまいこまれていた食器をすべて出しました。
父にきれいなお皿でご飯を食べさせてあげたかったな・・・と、その時つくづく思いました。

死んでからでは遅かった 実家の食器の断捨離
実家の食器棚の中にあった食器の約半分を捨てました。 欠けたり汚れが目立つようになっていた食器はすべて捨て、一度も使うこと...

だけど、母にとって長い間使ってきたモノは、愛情が沸き「捨てるのがかわいそうだ」と言う。
私は逆に、いただいたモノを一度も箱から出すことなくしまっていて、それをいつしか忘れてしまうほうが、かわいそうだと思うのですが、この考え方の違いは、生きてきた時代背景の違いで、どうしようもなく埋められない溝なんでしょうね。

汚い湯飲みでお茶を出すなんて!

私が子どもの頃、近所に母が尊敬するご婦人が住んでいました。
その方は教師をしていて定年退職した方で、母は「〇〇先生」と慕っていました。
〇〇先生の言葉には一本筋が通っていて、聡明な方だというのは、子どもの私にも伝わってきていました。

ある日、母が彼女のお宅へ呼ばれて行ってきたときのこと。
家に戻ってきた母はびっくりしたように何度も何度も言いました。

「〇〇先生ったら、あんな汚れた湯飲み茶わんにお茶を出してきて、びっくりした。汚い茶わんだった!」と。

おそらく当時、〇〇先生は70代だったと思われるのですが、視力も落ちたのか、はたまたそんな汚れが気にならない歳になったのか、認知症が進んでいたのかは定かではありません。
しかし、あの時母が「汚い湯飲み茶わんだった」と言っていた言葉。

その状態が今の母であるのです。
母は〇〇先生のことなど、もう忘れてしまったのでしょうね。

素直な年寄り

食器が多少汚くても、母本人がそれについて困っているのでなければ、私が気が付いた時に黙って洗う。
これでいいのだと思いました。

そして朽ち果てそうな古い魔法瓶も、母が愛着を感じて使っているのなら、それでいいのだと思いました。

母のところへ訪ねてくる人が、「汚い魔法瓶」と思おうが、母が困っているわけではないので、それでいいのだと思うことにしました。

みんないつかは歳をとる。
歳をとるってこういうこと。

それでも。
私は、自分が心地よく暮らすために、まだ気力体力があるうちに、身の回りのものをスッキリ片付けていきたい。
皿が汚れているのに気が付かなくなるとしても、周囲の人の意見にはなるべく耳を傾けるようにしたい。

「お母さん、このお皿汚いから新しくしたら?」と、子どもたちに言われたら、素直に従おうと思うのですが、それを頑なに拒否してしまうのも、年寄りの特徴だったりするんですよねぇ。

うーん。素直なおばあちゃんを目指したい!

コメント

  1. るり玉 より:

    こんにちは。
    お母さんには、すっきりときれいな環境で暮らしてもらいたいものですよね。
    物が多いと危険もあるし。

    けれど、物のない時代を生きてきた親世代と、
    バブルを経験した私たちの世代が一番世代間ギャップがありますよね。
    価値観が違いすぎます。
    「物」に関しての執着は特にありますよね。

    私も近くに住む義母も物が多くて水回りの汚れが気になる。。。
    一度入院してる間に掃除したことがあるのだけど、すぐに元通り(笑)
    自立して暮らしているうちは義母の好きなように、
    火事や怪我がなければそれでよしとして、ただ見守ることにしました。
    (感情に蓋をしてます。。。笑)

    私たち世代が感じているこのもやもや感を、
    子供たちにはなるべく残したくないですよね。
    私たち世代と子供たち世代には、
    親世代との間で感じているほどのギャップがないのが幸いかな、と
    思います。

    私も素直で可愛いおばあちゃんを目指して頑張るぞー(*´∀`*)

    • そらはな より:

      るり玉さんへ♪
      なぜに使わないモノをしまい込んでおくのだ?という疑問はずーっと持ってます(^-^;
      処分しようとすると怒り出すし、もうほっとくしかありません。
      「私が死んだら全部捨てて」という母。その時がどんなに大変な思いをするかわからないのでしょうね。
      でもこれ以上ケンカするのも嫌だし、るり玉さんのおっしゃるように、危険のないよう見守るしかないのですよねー。

  2. とも より:

    こんばんは。
    洗い物がきちんとできてなくても、頂いたら洗って返す。そういう礼儀や思いやりを持ち続けることは、とても大事なことですね。素晴らしいです。
    さて、我が実母も帰省した時より物忘れがひどくなり、父からの電話の回数も増えてきました。
    先日、2日続けて、保険証と通帳の束が無くなったと大騒ぎ。警察に電話する、銀行に電話すると言って聞きません。電話したってダメなんですよ。だって、2つとも家の中にあるんですから。
    仕舞ったところを忘れてしまってるだけなんですから。一旦は諦めましたが、また夜中に思い出したらしく、とうとう夜中に銀行に電話をしてしまったようです。
    翌朝早くに父から聞いた時は鳥肌がたちました。
    1日も早く受診させなくては。しかし、母は自分はおかしくないし、ちゃんとできてると言い張ります。だけど、これだけ無くし物や忘れることが続くと生活に支障がくるよ。念のために調べてもらおうと説得し、受診してきました。
    まだ結果はでていませんが、先生のお話では元に戻ることはないけど、進行を遅らせることはできるとのこと。
    あと認知症の症状を理解していない父との生活は、お互いに大変だから私のフォローが必要だ。なるだけ帰省の回数を増やして欲しいと言われました。すごいショックでした。
    父、母、私と介護の三角関係になってしまいましたが、夫婦はやはり感情的になっているので、私は俯瞰しながら穏やかに過ごせるように気をつけなければと思ってます。
    お医者様が母に、認知症になったとしてもあなたはあなたで何の変わりはないんですよ、と仰いました。そうなんですよね。認知症は特別なことでなく、加齢からくる他の病気と同じなんだと。病気になったのが脳なだけなんだと。そう思って接していきたいと思います。
    尊厳を持ち続けるのは大切だけど、介護となるとそれが重荷になるなと感じてます。
    長文失礼しました。

    • そらはな より:

      ともさんへ♪
      よくぞがんばりましたねー。
      お母さんを受診させるなんて、すごい!すごい!
      介護保険制度もできてまだ年月が浅いですし、今、高齢の親をかかえる世代はいろんな意味で移行期であり、試行錯誤しながらやっていっている感がありますよね。
      将来、こんな時代もあったのよ・・・なんて笑って話せるよう、介護保険制度が充実してほしいですね。
      また介護は家族だけでは支えきれませんから、システムづくりも確立してほしいですよね。
      だけど、現実に親をみている私たちは、やるしかないし、やっていくしかないし。
      ネットで情報交換ができるのは、ほんとうにありがたいことだと感じています。

      • とも より:

        私もそらはなさんにコメントすることで、自分の頭を整理させてもらってます。
        本当はこれからどうなっていくんだろう?母の具合と遠距離介護。不安でいっぱいですが、やって来る課題を一つ一つ向き合うしかない!と思っております。これからもそらはなさん、コメンテーターの皆さんの情報を参考にさせて頂きますね。

        • そらはな より:

          ともさんへ♪
          そうそう、書くこと、アウトプットすることで、頭の中を整理できますよね。
          私もブログに書くことで、ずいぶん気持ちを整理できてます。
          こうやって情報交換できるのもありがたいですね。
          今後ともよろしくです(#^^#)

  3. しっぽ より:

    食器ってツルツルしてるから簡単に汚れが落ちそうだけど、力を入れて洗わないと少しずつ薄汚れてきますね。年をとると握力が落ちることも、汚れが落ちない原因かもなと思っています。

    食器ではなくタオルの話しですが、うちの母はタオルが薄汚れている上にゴワゴワでも平気。私ならとっくに雑巾のレベル。それを指摘したら、昔はこんなもんだったというのです。

    昔というのは昭和初期とかそんな頃、母が子供のころあたりでしょう。そう言えば、ドラマなんかでそのころの時代のは、薄汚れた感じの手ぬぐいを首に掛けてるような場面があるなあと思ったら、母の言うことも、案外言い訳ではないかもと思いました。

    その時代、石鹸も違うし、洗濯機でガンガン洗うこともできなかったかわけですから。

    私もあんまりきれい好きではないので、息子たちに汚いと言われないようにしないと、なんて思います(笑)

    • そらはな より:

      しっぽさんへ♪
      おっしゃる通りですねー。
      たしかに食器を洗うときは、ある程度力も必要ですもんね。
      うちの母も、キッチンにある布巾は、もはや雑巾レベル。
      でも使えるからといって、何度も洗って使っています。
      昔はそれが当たり前だったんですよね。
      同じく、私も子どもたちに汚いと言われないよう、気をつけよう(;’∀’)

  4. T M ♪ より:

    汚くなったからって、使えるのに棄てるのはかわいそう…
    と仰るのに、グッときました。

    その、〇〇先生のお茶碗のように
    お母様もそうですけど、
    老いた姿を身をもって教えてくだすったことを、
    教えとして受けとめられるようでありたいと思いました。

    頑なに自分の流儀を守るばかりでなく、
    時流による変化に若いうちから目配りしておくと自分が移行しやすくなるのかもしれませんね、「今はこうなんだな」と。
    それと、一度相手の身にもなって考えてみる…のは忘れずにいたいですね。

    若い人と接することが少ない私は、少しでもその感性や考え方に触れるべく
    NHK教育の『Rの法則』を見てます。
    先だって、その十代メンバーが劇団四季に体験入団?して、舞台を務めるというのをやってました。
    もちろん本舞台終演後、任意で残ってくださったお客様に、本番と同じものをお見せするという趣向でしたが。
    ダンスの振り付けはもちろん、例の母音発声?のトレーニングもやってました。
    宣伝効果と指導することが 団員にとってもチャレンジ!という狙いでしょう。
    自分の舞台より緊張した…と言っていました(笑)。その永野某という方はキャリアに『キャッツ』のマジック猫が入っていたので、踊りが ものすごーーーくできる方なのかな。

    四季繋がりでもう一件。
    テレビ朝日 2/18 日曜23:10スタート(関東?)
    『関ジャム 完全燃SHOW』
    ── 劇団四季 人気作品をロングランできる秘密に迫る
    です。経営面の話が主な様子でしたけどね。

    実はその前の時間帯の番組『音楽チャンプ』が面白くて♪
    人の心を打つ歌声って、一体なんなのか。興味深いです。
    前回のは、聴いていて思わず知らず不覚にも涙ぐみました。審査員や司会者、ゲスト方もそうだったので……なにかしら訴えかけるものを持っていたのでしょうね。高校生でしたが。
    私はオペラ歌手の歌声が好きで
    それとは対極の感じなんですけども(笑)それでも、でした (^_−)−☆

    • そらはな より:

      TM♪さんへ♪
      親が年老いていく姿は、自分の将来の姿でもあるんですよね。
      そう思えば、親に対しても静観することができるような気がします。
      「Rの法則」観ましたよ~(#^^#)
      私もその場にいたら、任意でもちろん残りましたとも!
      人が一生懸命やる姿は、いつだって美しい。
      『関ジャム 完全燃SHOW』も、劇団四季からLINEでお知らせがあったので、さっそく録画しましたよ(#^^#)
      銀行の受付や事務は、今後AI化されると言われ、近い将来無くなる職業というのもありますが、人間が表現する歌やお芝居、こればっかりはAIではできないことですもんね。
      人が一生懸命やる姿は、やっぱり感動を生むものだと思ってます。

  5. かめこ より:

    そらはなさん。
    自分の母が、どんどん違う人になっていく。とても悲しいけれど、その変わっていくのも、母なんですものね。自分が将来どうなってしまうのか、わからないけれど、できれば、子ども達に温かく見守ってほしいなあ、と、願うばかりです。

    • そらはな より:

      かめこさんへ♪
      こんにちは(#^^#)
      どんな風に変わっても、やっぱり自分を生み育ててくれた母に変わりはないのですよね。
      だからこそ、哀しさもあるし、寂しさもあるし。
      自分もこの先どうなっていくのかわかりませんしね。
      いつでも心穏やかでいられたらいいのですが・・・。

  6. おの より:

    日々、母との会話できなさにイライラしています。良かれと思いしてくれる事がほぼ全て受け入れられません。
    元々家事の苦手母。五年前に二世帯に建て替え、一昨年に父が急死。今思えば、父は、母が心配で同居を希望したのだと思います。世間知らずで家事が苦手、おまけに精神的に弱く…。
    日々の生活リズムが違うので、会話は、少ないですが、そんな中でも会話するたびにイライラ‼︎
    母は、なんとか自分の身の回りの事はできます。自室の掃除もなんとか、ワイパーでさっとやるようです。でも台所やトイレやお風呂などの掃除は全くしません。食器も別にしたのですが、たまに勝手に使い洗えてなかったり、勝手にパンを食べてしまったり…、イライラの原因はキリがないです。
    一番困るのは、地域のゴミ当番や掃除。高齢者の多い町なのに、自分は、足が痛いから参加しないとか、急に雨だから当番代わってとか。
    こちらの都合を無視してきます。病院受診も娘が同行するのがあたりまえ、医師の説明も聞いておいてね…
    他人への依存が強く、これから心穏やかにすごくのはどうしたらいいのでしょうか?
    このサイトを見つけ、どうせたの方がおられる事、とても励みになりました。何卒宜しくお願いします。

    • そらはな より:

      おのさんへ♪
      こんにちは(#^_^#)
      コメントを読んでいて、まるでうちのことかしら、と思うほど、状況がよく似ているので驚きました。
      うちの母の場合は、やはり父が急逝した直後は混乱がひどくて、私もしょっちゅう喧嘩しては泣き…を繰り返してたなぁ、と今になって思い出します。
      たまに、娘には何を言っても傷つかないなかな?とさえ思いますが、現状は変えられません。
      とても冷たい言い方ですが、私は母と関わる時は【業務】と思うことにしています。
      仕事と思えば、多少の嫌なことにも目はつぶることができますし、受け流すこともできます。
      だけど、母が亡くなったら、もっとこうしたら良かったとかこうすればよかった、と後悔することもわかっています。
      だから、できることはやって、できないことはやらない。あとは、良い出来事だけ母に伝え、余計なことは一切言わない。
      割り切って付き合うしかないと思ってます。

      • おの より:

        そらはなさま
        返信ありがとうございます。私もうちの事って思うくらい驚きながら読みました。勤務先の昼休みにこちらのサイトを見つけ、救われる気持ちで一杯になりました。ありがとうございます。
        やはり、そうですよね!業務として割り切って‼︎しかないですね。
        二世帯に同居した、しょっぱなは、「私は、同居なんかしたくなかったのに!」「そんなとこ、掃除して‼︎あんたも、足痛くなるよ‼︎」と言われ、イライラ続きでした。
        それからは、業務として対応するようにしています。
        身の回りの事を自分でてきて、デイに喜んで行くので良しとしています。
        でも、母は、いったい何を考えてるのか知りたいなとも思います。
        これからも宜しくお願い致します。