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お義父さんが亡くなって離れて暮らす親とのかかわり方を考えた

「夜、爪を切ると親の死に目に立ち会えない」
子どもの頃、そんな話を聞いたことがあります。

そんな迷信、どちらかといえば私はあまり信じないほうなのですが、だけど世の中、親の死に目に立ち会える人なんてどれくらいいるのでしょう。

夫のお父さんが亡くなったことで、高齢の親と離れて暮らすということはどういうことなのか、あれこれ考えました。

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離れて暮らす親が亡くなった時

お義父さん(夫の父親)が亡くなったという訃報を聞いたのは、平日の夕方のこと。
夫も私も仕事中のことでした。
詳細は省きますが、自宅で具合が悪くなり、救急車の中で心肺停止となり、病院で死亡が確認されたとのこと。

夫と私は翌朝、夫の実家のある町へ車で向かいました。
片道4時間はかかる距離です。
車中、夫とお義父さんとの思い出話でもしていこう、なんて考えていた私ですが、結局夫の実家に到着するまでの4時間、ほとんどお義父さんの話をすることはありませんでした。

夫が悲しみに暮れて、話ができる状態ではなかった?
いいえ。ちがいます。

私が運転する車の助手席で、夫は職場や仕事の取引先である相手と、ずーっと電話をしていたからです。
急に休まなければならなくなった夫は、今後の仕事の段取りをあちこちに連絡する必要がありました。
そして、何も知らずに仕事の電話をかけてくる取引先にも、事情を説明しなければなりません。

車中で夫と2人きりなのに、夫は私以外の誰かとずーっと電話で話をしているという状態でした。
そんな夫をみていて思いました。

親と遠く離れて暮らすということは、こういうこと。
親の死という現実があっても、夫には夫の暮らしがあるのです。
高校を卒業し大学に進学した夫は、以来35年もの歳月を親と離れて暮らしていたのですから、いつか訪れる親の死というものも、どこかで割り切っていたのかもしれません。

親の死に目に会えないということは、離れて暮らす以上覚悟はしておかなければならないことなのだと思いました。

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親の死に目に立ち会えないという意味

子どもの頃、「夜に爪を切ると、親の死に目に立ち会えないんだって」と友だちから聞き、それに驚いた私は、怖くて怖くてしばらくの間夜に爪を切ることは、やめました。
もっとも、そんなことはまもなく忘れてしまい、お風呂上りの夜に爪はジャンジャン切っていたのも私ですが。

「そんなことをしていると、親の死に目に立ち会えないよ」という言葉は、素行が悪い時の戒めとして使われているのだと思っていましたが、実は本来の意味は、私が思っていたのとちょっとだけちがいます。

「親の死に目に立ち会えない」という意味は、「親よりも先に死ぬな」ということで、親の死をきちんと見送ってあげることこそが、最大の親孝行なのだということ。
そんなことを、ずいぶん後になってから知った私は、そりゃそうだよね、と納得したのを覚えています。

だって、遠くに離れていようが、同居していようが、親子共々それぞれの生活があって、24時間親を見守っていることは不可能なんだもの。
例えば、役者さんは親の危篤の連絡を受けても、これから始まる舞台に出演しなければならず、すぐに駆け付けることができなかったという話も聞きます。

夫は役者ではないけれど、夫を取り巻く日常があり、その中で何十年と生きてきたのですから、突然の親の訃報にも案外淡々としていました。

それは、いつかは必ずやってくる親の死というものを意識していたからでしょうし、今ある現実を最優先させるのは当然だと思いました。

離れて暮らす親とのかかわり方

万人に必ず訪れるのが死というもの。
どんなに大切な人でも、いつかは必ずこの世を去る時がくるのです。

例え、父親の死に際に立ち会うことができなくても、親の死を悼みつつがなく見送りしてあげることこそが、子どもとしての最大の務めでしょう。

そして、自分が今生きていられるのも、すべては親がこの世に生を育んでくれたおかげですから、自分の人生を大切に全うしようと思えば、親に対しては感謝の気持ちでいっぱいになるはずです。

また、高校や大学を卒業し親元を離れた時から、いつ、どのような形で親との別れがやってくるのかは予測困難ですから、時々は親のことを思い出して、時々は連絡を取り合って、たまにでいいから会いにいく。

離れて暮らす親とのかかわり方は、夫をみていて、それでいいのだと思いました。

葬儀後、夫の実家に立ち寄ると、家中を占拠する物、モノ、ものであふれかえっていました。
どこの家も、おんなじだ・・・。

 

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コメント

  1. あっこ より:

    こんにちは!
    親を24時間見守るのは不可能…のお言葉に深く頷きました。
    最近、年老いた親の存在に押しつぶされそうな自分がいます。
    少しでも時間があるなら、自分のことより、親の様子を見に行かなきゃ、といつも頭の中に親がいます。
    でもでも、私の50代(笑)の時間も大切にしたい!しなきゃ!とあらためて思いました!

    • そらはな より:

      あっこさんへ♪
      結局は、自分の気持ち次第なのだと思います。
      親のところへ足を運んで、それで気持ちがおさまるのなら、それでいいと思います。
      でも、キリがないですよね?
      だから割り切り上手になる必要もあると思います。
      お互いに、二度とこない50代ですから、楽しむときは大いに楽しみましょう!(^^)!