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「お父さんは全部自分ひとりでやってきたんだよ」という親の呪縛を解き放つ

親から言われた言葉って、自分でも気が付かないうちに心の奥底に根付いているものです。
いい意味でも悪い意味でも、親の言葉に縛られて、私は身動きとれない状況になっていたんだなぁと思いました。

親の影響力ってすざましい。
だからこそ、我が子には自分の生きる道を自分で考えて歩いて行ってほしいと思っています。

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庭木の剪定をプロに依頼

庭にあるほとんどの木の剪定を、造園業者さんに依頼しました。
昨年は、塀にそって生えていたカイヅカイブキを剪定していただいたのですが、やはりプロが行うのはお見事の一言に尽きます。
思いっきりメタボ化したカイヅカイブキは、内側が枯れこんでいて、素人ではどこをどう剪定したらよいかわからなかったのですが、プロは上手にやってくれるものだなぁと感心しました。
一度剪定してもらえば、数年間は自分でちょこちょこと剪定できるので、管理が楽になります。

一度下見にきていただいて、剪定してほしい木を決めていきましたが、その時造園業者さんから「この穴はなんですか?」と聞かれました。

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庭の大穴

我が家の庭の片隅には、大きな穴が掘られていました。
それは父が掘ったもので、昔はそこに残飯や落ち葉を捨て、そこに土をかぶせて混ぜ込み、肥料として畑にまいていたようです。

私は残飯は市の燃えるゴミとして処分していましたが、実家の母はいつもその穴に残飯を捨てていました。
それは父が亡くなってからも続き、何度か母に
「穴まで捨てにいくの大変だから、残飯は市のゴミに出したらどう?」と言ったのですが、母は頑として首をたてにふることはありませんでした。

「昔からここに捨てているから」
それが母の理由でした。

父が亡くなった年の夏、膨大な手続き関係をこなしながら、仕事へも行き、休日は庭木の剪定や草取りに追われ、私も心身ともに辟易していました。
もちろん夫も庭仕事は手伝ってくれるのですが、なんせ休日はほとんど不在。
なので、大半のことは私がやるしかなかったのです。

「畑の草刈りしてほしい」
真夏のある日、母にそう言われました。
生ごみを捨てる穴まで続く道が、雑草だらけになっていたからです。

もう生ごみ捨てにいかなくていいよ!
心の中でそうつぶやいたものの、母が「うん」と言うわけがありません。
母の筋肉や認知機能を保つためには、できることはどんどんやらせたほうがいいと思い、私は汗だくになって草取りをしました。

その時の2年前の画像です。
これでも草取りをした後なんです。
それだけ我が家の庭は、草ボーボー状態だったのです。
この先に、残飯を捨てる大穴がありました。

認知機能を保つため高齢の母のボケナシロードを作る
黙々と草刈りをすること2時間。 額から汗がつーっと落ちてくるような運動をしたのは久しぶりです。 母が自分でできることは、...

大穴を埋める

造園業者さんには、この穴の所以を説明しました。
昔は残飯を捨てていたこと。
その後、私たちも剪定した枝をこの穴に捨てていたこと。
現在は、大きな木はすべて伐採してしまったので、もう枝葉を捨てることもないので必要ないことなどなど。

すると、造園業者さんが
「この穴、塞いでしまいましょうか」と言うではありませんか。

えっ!塞ぐ?この穴を?
長い間、庭の隅に大穴があいている状態を小さい頃から見てきた私は、それを塞ぐという発想がまったくなかったのです。
「塞げるんですか!?」
なんて、プロの方に失礼な言い方をしてしまいましたが、中の枝葉や土を全部掘って破棄して、それから埋めるということでした。

いつかこの穴の枝葉を、自分で全部出してそれを短く切り刻んで、市のゴミ袋に詰めて出さなきゃいけない・・・そんなことを想像しただけでも、気の遠くなるような話だったので、今まで見ないふりをしてきました。
だけど、造園業者さんならばやってくれるのです。
当たり前だけど、私はプロに依頼するのは最終手段と考えていたので、思いもよりませんでした。

二つ返事で庭木の剪定とともに、大穴も塞いでもらうことにしました。

ちなみに、母がこの穴に残飯を捨てていたのは、父が亡くなったその年だけ。
翌年も、私はせっせと母の”ボケナシロード”を開通したのですが
「草刈りしたから残飯捨てにいきやすくなったよ」と母に言ったら
「あんた、まだ穴に残飯捨ててるの?」と言われ、ガックリきたのが翌年のことでした。
母はとっくに生ごみを市のゴミへ出していたんです。

 

大穴のあった場所は、憧れの砂地となって生まれ変わりました。
昔伐採した大きな栗の木の横には、大きな穴が掘ってあり、その周辺は雑草天国となっていて、近づくのも嫌な場所でした。

お隣の敷地は空き地なのですが、境にも竹で垣根を作っていただきました。
ああ、ここでBBQしたいっ!

「お父さんは一人でやってきたんだよ」という呪縛

父は、晴耕雨読の人でした。
晴れた日には畑に出てせっせと土を耕し、雨の日には家の中で読書をする。
町内会や趣味のサークルにも所属し、同級生たちとも旅行を楽しんで、おそらく老後は自分のやりたいように一生懸命生きたと思われます。

その父が突然亡くなり、私は父の呪縛にとらわれることになります。

「草刈りが大変だ、木の剪定が大変だ、虫に刺されてもう嫌だ」
鬱蒼と生い茂る庭木が嫌で、母に何度も言いました。
管理できない庭なら、管理できるように変えていくしかないのです。

そのたびに言われた母の言葉。
「お父さんは一人で全部やってきた」という言葉は、私の足かせとなって重さを増していきました。
私も夫も仕事をしているんだから、お父さんのように毎日庭仕事はできない!と言うと
「お父さんは現役の時から庭を全部やってきたんだ」と言われ、足かせは鉛のように重く重くなっていきます。

私はいつの間にか、父がやってきたことを、同じようにしなければならないという呪縛にとらわれていたのかもしれません。
庭仕事は嫌いじゃないけれど、春がきて庭木の勢いが増してくると、少しばかり憂鬱になっていたのも事実です。

子どもに見せるのは背中だけでいい

子どもは親の姿を見て育ちます。
親がやっていることを、知らず知らずのうちに真似て、親の言葉に知らず知らずのうちに影響を受けている。

親の影響力ってものすごいと思います。
親のようになりたくないと、反面教師にする方法もありますが、それだって親をバリバリ意識しているからこそ。

父のように、毎日楽しく朗らかに暮らしていきたいと思っていたし、母には不自由なく育ててもらった恩も感じています。
だけど、今まで父や母に面と向かって、自分の意見を押し通したとこなんてありませんでした。
親の意見は絶対で、親には従うものだと育てられたのでしょう。

父が急逝し、母も急速に記憶障害が著明になりましたが、自分でできないことをいつも私に押し付け、最後には「お父さんは全部ひとりでやっていたことだ」という決め台詞。
これを言われた日には、もう何も言い返すことができなかった私。
それが知らず知らずのうちに、重く重く心の奥底に沈み込んでいました。

今だからこそ思うことですが、子どもにはいちいち「お父さんやお母さんはこうだった」と言わなくていいのだと思っています。
親の生きざまは、子どもの頃からずっと見てきていますから、よくわかっています。
しかし、親の価値観は親自身のもので、その子どもの価値観は子どものもの。
だから、親と同じようにする必要なんてないのです。

子どもに見せるのは「親の背中」。
言葉はなくても、伝わると思っています。
そして私は、我が子たちにも自分の意見は押し付けないようにしていきたい。

父が亡くなってから

母に、きちんと自分の意見を言えるようになりました。
最初の頃は、母がすぐに怒って意見を交わすこともできなかったのですが、何度も何度も母へは自分の気持ちを伝えてきたつもりです。

そんな風に怒って言われたら、なんにも話し合いにならないよ。
なんですぐ怒るの?
私だって傷つくよ。

庭木の剪定のことも、事前に母に伝えて了解は得ているのに、後になってから「あんたが勝手にやっている」と言われ、とても悲しい気持ちになったことも何度もありました。
しかたがない、母は認知障害があるんだから。
そう自分に言い聞かせても、母の言動には悲しくなりました。

それでも母の機嫌を伺っては、庭をメンテナンスしやすいように作り変えたいと訴えてきましたが、「土に草は生えるもの、誰の迷惑になるわけでもないのだから、そのままにしておけばいい」と言って聞く耳を持ってくれない母。
いや、母にとっては庭にコンクリートを流したりレンガ敷きにするという概念がないのですからしかたがないのかもしれません。

この2年間で、少しずつ少しずつ母を説得しながら、庭木を伐採してきました。
そのたびに文句は言われましたが、次の日にはケロッとしていて何も言わない。
だったら、どんどん進めちゃおう、と造園業者さんに依頼して、ようやく庭の木のほとんどすべてを剪定してもらいました。

 

樹齢70年と思われる椿の木。
剪定してもらったら、椿の花が一斉に咲き始めました。
今までは、鬱蒼と生い茂る椿の葉っぱしか見えなかったのですが、初めて庭の椿の花が美しいと思えました。
鳥も椿の木に頻繁にやってくるようになったので、今年は害虫も減るかなぁ・・・?

庭を見て「スッキリしたね」と喜ぶ母。
おまけに「門のところの木も根元から切ってもらいたかった」とも。
はい、来年はそうします。
ちゃんと自分の言った言葉、覚えておいてね!

 

コメント

  1. もも より:

    剪定してもらうと綺麗になりますね。
    剪定が大変なので、植木や木がない
    新しい家が多いですね。
    それもありだと思います。
    しかし、まだ四月なのに暑いです。
    夏はどうなるのかしら。
    秋田は何が美味しいですか?
    あの、夏は暑いのでしょうか?

    • そらはな より:

      ももさんへ♪
      一度プロに頼めば、本当にすっきりきれいになるので、後は自分でもできるようになるんですよね。
      なぜもっと早くこうしてなかったのかと悔やまれます。
      秋田の美味しいものですかー?
      きりたんぽ!と言いたいところですが、この歳になるとその時期にしか食べられない旬なものが一番おいしいと思っています。
      夏も、昔に比べたら暑くなりましたね。
      子どもの頃は、エアコンなんてなくても夏は過ごせたものでした。
      今は無理です(+_+)

  2. オコジョ より:

    そらはなさん、こんばんは。
    私の両親は、子供だった私に価値観を押し付ける事なく、比較的自由に育ててくれたと
    思っています。ところがそんな私でも、気がつけば親と同じような事を言っていたり、
    同じような事をやってます、無意識のうちに(苦笑)

    私も完全な人間ではないので、子育てしている時に自分の価値観を強く出し過ぎるのは、
    ちょっとこわいなと思ってました。それでなくとも、子供は親を見ていますから。
    娘が進学で家を離れた時、これから沢山の人に出会って、色々な経験をして多様な価値観に触れて欲しいと願い、送り出しました。寂しい気持ちはありましたが、それ以上にこれはチャンスだと。

    そらはなさんのお宅の立派な椿の木、見事にお花が咲きましたね。
    そらはなさんが、お庭を一生懸命造ってらっしゃる証ですよ♪
    お母様も喜ばれて何よりですね。

    • そらはな より:

      オコジョさんへ♪
      オコジョさんのご両親との関係と、お子さんとの関係は、なんだかうらやましいくらい理想的。
      すばらしいご両親だったのですね。
      子どもが家を出る時に、親以外のたくさんの方たちと出会って多様な価値観に触れるチャンス!と思えば、巣立つことも本当に喜ばしいことですね。
      子どもが離れていなくなってしまう・・・と親目線で考えるから、寂しいという感情がくるのでしょうけど、子ども目線で考えたら親はワクワクしながら送り出したくなりますね。
      まさに発想の転換です。

  3. 金色のぞう より:

    おはようございます。そらはなさんの綴る親との関係やエピソードは「そうそう!あるある」とまず始まり、読み進めていくうちに、胸におちていくことばかり。
    私も親亡き後、旦那に庭の木を一掃したいと言われ、思いもしなかったことですぐに賛成できませんでしたが、最近、このスペースに高い木は重いだけだなと見れるようになったところです。50年前に造成した庭ですもの、育つに育った木たちは、家を鬱蒼とさせていたのです。私が何年もかかる心の変化を、そらはなさんは軽やかに展開してくれ、それがすっと私の胸に落ちるのが心地よい。よし!我が家もすっきりさせるぞ〜

    • そらはな より:

      金色のぞうさんへ♪
      金色のぞうさんも、ご両親との思い出がたくさん詰まったお庭を、自分なりに考えていたのでしょうから、気持に区切りをつけるのに時間の長さは
      関係ないと思いますよ(#^^#)
      だけど、もしもちょっとだけ前にすすめたのなら、今がそういう時期なんだと思います。
      迷ったら、自分はどうしたいのか・・・ってことを、最優先に考えるようにしています。

  4. るり玉 より:

    こんにちは。

    ほんと、その通り。
    幼い頃から刷り込まれてきたことは「当たり前のこと」になってしまっていて、
    疑う余地もなかったのよね。
    庭の隅に穴があることが当たり前だったそらはなさん。
    突然お父様が亡くなられて、お庭のお手入れが難しくなって、
    そらはなさんにとって重い存在になってしまった穴。
    外部の他人から見たら「なにこれ?」っていうくらいのものなんですよね。
    足かせのように親の言うことを背負ってきたものが、
    世の中では当たり前ではないということ、
    一事が万事、大人になってから気づいたこと、たくさんあります。
    気づいたから、私は子供たちに足かせはつけたくなかった。
    だから自由に育ててきたつもりです。
    それを見て、また親は気に入らない。
    「~すべき。」「こうあるべき。」いちいち口を出す。
    もううんざりでした。
    いつまで人の人生を自分の思い通りにしようとするのかね、まったく。

    立派な椿。
    きれいな樹形にたくさんのお花が咲いてくれましたね~。
    スッキリしたお庭、お母さんにも気持ちよく感じてもらえたのですね。
    これからもどんどん進めていこー!
    応援してます♪

    • そらはな より:

      るり玉さんへ♪
      ホントにね。
      例えわが子であっても、子育てに口を出してはいけません。
      よほど身に危険が及ばない限りはね・・・(-_-;)
      るり玉さんのお子さんたちは、きっとのびのびと成長したことでしょう。
      幸せですね(#^^#)
      椿のきれいな樹形・・・って、さすがるり玉さんだと思ったわ。
      るり玉さんは私にとってお花の師匠です。

  5. しっぽ より:

    立派なツバキの木ですねー!
    こりゃかなり広いお庭とお見受けしました。そりゃ手入れも大変でしょうね。

    子供に対して、特にもう大人になったら、親は自分の意見を押し付けてはいけないと思うけれど、これはかなり意識的でないと、案外難しいかもしれませんね。

    子供にやいのやいの言うのが親の仕事、みたいな。そういう感覚は、あえてハッキリと自分に言い聞かせないと、断ち切ることはできないだと思います。

    いつもはゴールデンウイークに帰ってきていた次男が今回は帰ってこんそうです。正直寂しい。でも本人にはそんなことおくびにも出しませんよ!(笑) 母ちゃんはこれから人生充実させるのじゃ!(強がり 笑)

    • そらはな より:

      しっぽさんへ♪
      子どもにやいのやいの言うのが親の仕事・・・たしかにそうですよね。
      まして同居などしていたら、いろいろ気になることはたくさんあって、ついつい口出ししてしまうでしょうね。
      ふふふっ(#^^#)
      そうそう!母ちゃんの人生、楽しもーーーーっ!

  6. とも より:

    こんばんは。
    呪縛。ほんとに縛られてしまいますよね。
    他人からすれば、取るに足らない言葉でも、幼い時に受けた嫌な印象は、なかなか拭えないですね。
    私の場合、嫌なことを言われると結構引きずります。頭の中でぐるぐると巡ります。
    幼い時は、親は絶対で口ごたえや反抗はしてはいけないと思ってました。どんなに理不尽でも。
    両親との関係は、たぶん変わらないと思います。
    高齢になった両親の考えを変えるのは難しいけど、私が変われば良いのかな?と思ってます。
    久しぶりに仏教はなしですが、蓮の花は泥の中から芽を出して咲きます。
    苦しみや悲しみでまみれた心の中から、いろんな気づきや悟りに目覚めていくのですね。
    私も両親を始め、いろんな人との関わりで、花を咲かせたいなと思います。

    • そらはな より:

      ともさんへ♪
      たぶん、子どもの頃も親との楽しい思い出はたくさんあったと思うのですが、やっぱり嫌だったことっていつまでも覚えているものなんですよね。
      と、考えると、母だって私が言った言葉で嫌だった感情は残っていくってことなんですよねー。
      相手に対しての言葉がけって大事なんだなぁ・・・なんてあらためて思ったり。
      蓮の花のお話、いいですねー。
      何か嫌なことがあっても、発想の転換でそこから何かを学んでいけばいいのですよね。
      気持の切り替えも大事だなぁ・・・。