父の遺影をぼんやり眺めていたら、突然ある考えが閃きました。
あまりにも急に逝ってしまった父。
なぜ父がそうしたのか、今まで最後のパズルがはまらないまま曖昧にしていたことが、瞬時にパチンとはまったとき、父に「してやられた!」と思いました。
突然の死
親の死を意識するようになったのは30代のころから。
偶然読んだ本の中に、「30歳を過ぎたら親の死を意識しなさい」と書かれていたから。
あれから20年、親の死というものは常に心の片隅にあっても、そこに蓋をしていたのは私。
誰だって、自分の親が亡くなるということは、考えたくもないし、想像だってしたくない。
だけど私も50歳になり、両親は平均寿命を超えました。
近い将来必ずやってくる親の死というものをイメージもするようになりました。
そこには、病院のベッドで横になっている父または母の足をお湯で洗いながら(なぜか体ではなく足なのです)、ゆっくりと流れる時間の中で、これまでの思い出や親に聞けなかったことをいろいろ話す。
そんな時間を共有することで、徐々に親の死を覚悟し心の準備をしていく。
私の中では、そんなストーリーが出来上がっていたのですよね。
だけど、父は突然逝ってしまいました。
前日も、いつものように庭仕事をして、ハシゴに登って木の枝を切り、夜私が仕事から帰ってくると、いつものように新聞を持ってきてくれる。
そんなあたりまえの日常だったのに、翌朝にはもう帰らぬ人となってしまいました。
マイナンバーカードを作りたい
「作ってみたいんだよ」
まるで子どもが何かおねだりするように、瞳をキラキラ輝かせて、父はそう言いました。
「マイナンバーカードなんて、当分使う場面なんてないし、お父さんは必要ないんじゃないの?」
いくらそう話しても、父の気持ちは揺るぎないものだったので、私が家で両親の写真を撮って、ネットで申請の手続きをすることになりました。
とはいえ、私自身がマイナンバーカードを作る気がない。
なので、両親の写真を撮るのも、ずるずると先延ばしにしていたら、何度も何度も父が
「写真を撮るのはいつにする?」と、聞いてくるのです。
ようやく写真を撮り、ネットで申請の手続きが完了したのは、昨年の暮れのことでした。
市役所の方から、マイナンバーカードができたので取りにくるようにという案内が届いたのは、暖かな日差しが感じられるようになった3月の頃だったでしょうか。
「オレのマイナンバーカードができたよ」
うれしそうに父が写真入りのマイナンバーカードを私に見せてくれたのは、ほんの数週間前のこと。
「使うことなんて、ないんだけどな・・・」
父は、そうも付け加えました。
マイナンバーカード受け取り辞退
しかし、足の悪い母に代わって、父が受け取りにいった母のマイナンバーカードは、結局受け取りを辞退することになりました。
本人が窓口にこないと、マイナンバーカードは受け取れないのです。
代理人が受け取る場合は、かなりめんどうな手続きになるようなのですよね。
「お母さんの分は、辞めてきた。受け取り辞退する手続きをしてきたよ」
父がそう話すのに、ほんの少しだけ違和感を覚えました。
父の性格上、そういった手続きもちゃんとやって、母のマイナンバーカードも受け取るものだと思っていたので、いともあっさりと受け取り辞退をするのが、なんだか不思議に思ったのです。
父の真意がわかったとき
瞳をキラキラ輝かせてうれしそうに微笑む父の遺影。
マイナンバーカードの写真を撮ったとき、私の心の中では(この写真は遺影となるかもしれないな)と思っていました。
あれから半年もしないうちに、まさか本当にその写真が遺影となってしまうなんてね・・・。
父の葬儀が終わっても、葬儀の支払いや香典料のまとめ、父の書類上の手続きが山のようにあり、悲しんでいるヒマなどありません。
次から次へとやらなければならないことがたくさんあるということは、悲しみを一瞬でも和らげてくれるためでもあるんですね。
葬儀に来てくださった多くの方から聞かれたのは
「この写真はいつ撮ったの?」ということ。
高齢となるにつれ、写真なんてなかなか撮りませんから、今現在の父が背広にネクタイを締め、ニコニコとほほ笑んでいる遺影に、みなさん驚かれるようで・・・。
そのたびに私は
「父がマイナンバーカード作りたいっていうものですから・・・」と、説明をしていました。
ゆうべ、父の遺影をぼんやり眺めていた時、まるで点と点がびびびびっとつながり、頭の中でパァーっと明かりが照らされたような感覚になりました。
そうだ。
父は、マイナンバーカードが作りたかったわけではなかったんだ!
私に、遺影の写真を撮影させるための口実だったんだ!!
「マイナンバーカードなんて使うことないんだけどな」という父のつぶやきも、その後母のマイナンバーカード受け取りをあっさり辞退したのも、すべて納得です。
そういうことだったのかー!!!
父の顔をみると、してやったりの笑顔。
「まだまだオレのほうが上手だな」
遺影の父が、そう言いました。
やられた!
してやられたよ、お父さん。
父が急逝してから初めて私は、号泣しました。
コメント
素晴らしいお父様ですね、天晴れです。
ご冥福をお祈りいたします。合掌。
えりあママさんへ♪
ありがとうございます。
まだバタバタな毎日ですが、家で眠れることが幸せなことなんだと、思うようになりました。
そらはなさん。
お父様の事、本当に悲しいですね。お心お察し致します。お写真をせがんだお父様の行動はやはり何かあったのでしょう。ブログを拝読し涙がこぼれました。私も27年前突然父とお別れしました。その頃、殆ど家にいなかった私の前で父は倒れました。父にごめんね。と神様にどうかお願い。をくりかえしくりかえししたものです。明日28年目を迎えます。どうぞ時間をかけて向き合って下さい。すぐそばにいらっしゃると思いますから。
マカロンさんへ♪
マカロンさんもつらい思いをされたのですね。
自分の前でお父さんが倒れるなんて・・・ずーっと目にやきついていることでしょうね。
少しずつ時間が癒していってくれるのでしょうけど、私も今はしっかりと父の死と向き合っていこうと思っています。
父が、そばにいる・・・本当にそうだと思いました。
そらはなさん、この度は大変でしたね。お疲れ様でした。まだまだやる事があると思いますが、お身体大事になさって下さい。
うちの義父母の遺影にする写真は、たくさんスナップを撮ってあったのですが、いざ使う時には、なかなかいいものがなかったものです。お父様はさすがでしたね。
ちかちかさんへ♪
ありがとうございます。
私も、自分の写真ってなかなか撮らないのですが、定期的に写真を残すってことも大事なのかなーと今は思っています。
父の残した仕事を、少しずつ片付けながら、私も気持ちの整理をしていきたいと思っています。
なみだがでました‥
あー さんへ♪
読んでいただき、ありがとうございました。
大切な娘にそれと感じさせず、でも娘が困らないようにと粛々と準備をされたお父様。
ただただ頭が下がります。
真の男らしさと親心を感じました。
ご冥福をお祈りいたします。
リズさんへ♪
父の真意がどうだったのか、今となっては聞くこともできませんが、きっと父の性格からして、そうだったのかなーと思っています。
父のように生きたいと思いました。
私も今年母が3周忌です。いまだに何かにつけて心が折れます。心も体も時間が必要です。どんな別れ方をしたかで心持も違うのでしょうが、肉親を失うことは順番とはいえ何かかける気がしました。でも、体の中に血が受け継がれていると思うと、ともに生きている気がして頑張ろうと思えます。
水仙さんへ♪
ああ、いい言葉ですね。
「体の中に血が受け継がれている」って。
たしかに、両親から授かった体ですから、ともに生きているって思えますね。
いずれ時間が癒してくれることを願って、少しずつ前に歩いていこうと思います。
大変でしたね。おつかれさまでした。。。。。
すてきな笑顔の遺影は、手をあわせるたびに元気をもらえますよ。
私も父を亡くした時あまりにも突然で受け入れるまで時間がかかりましたが、今になってみると、なんて父らしい最後、、、、そう思えます。しばらく、なかなか実感がありませんでしたが、大事にしていた腕時計が止まったのを見つけたとき自然と涙がでました。
合掌
りんりんさんへ♪
父が残したたくさんのモノを見ると、いちいち涙が出ますが、いつかこれも笑って話せるようになりたいです。
ゆっくりと、そして前を向いて歩いていこうと思います。
正直に「遺影を撮りたい」と言うとご家族が
心配したり悲しんだりするから、と言うお父様の思いやりですね。
素敵なお父様ですね。
私の祖母が入院した時母に「私が死んだらお遍路さんに行った時に買った装束を着せて欲しい。置いてある場所は…」と言いかけて母に「そんな気弱な事言わないで」と泣かれてそのままになり、祖母は入院中に亡くなりました。
母が泣きながら「あの時ちゃんと聞いておけば良かった」と言いながら探したのですが、結局見つからず、家族みんなとても後悔しましたし、祖母も心残りだったと思います。
家族にそんな思いをさせなかったお父様、立派です。
reirinさんへ♪
たしかに・・・親に「遺影を撮りたい」って言われたら、「何言ってんの!」って却下しちゃうかもしれないですねー。
reirinさんのお祖母さんは、ちゃんと装束を準備されていたのですね。
すごいです。
私も、家族に迷惑をかけないような生き方がしたいなぁ・・・。
そらはなさんへ
私も 急に父を亡くしてから随分とたちますが、子育てするにあたり 父の真意 心を 知らされることがあります。
決して 良い親子関係ではなかったのですが、こんなとき 父はこうしてくれたとか
こんな場面なら 父はこう言うだろうとか
本当 亡くなってから 親の愛情の深さを身にしみて感じる今日この頃です。
そらはなさんが お父様を想う時 きっとお父様がおそばで 見守ってくださっていると感じられると思います。
心より御冥福をお祈りいたします。
あさママさんへ♪
あさママさんのお父様は、早くに亡くなられてしまったのですね。
生きていたら、こんな時はなんて言っただろう・・・って、考えますよね。
私も、父が亡くなってまだ忌明けもしていないのに、すでに「父だったらこういうとき、こう言うよな」って考えています。
父がそばで見守ってる・・・って、本当にそう思います。
そらはなさん
お父様の御逝去、心よりお悔やみ申し上げます
突然なことで、お辛いでしょう
ご無理のないように、くれぐれも、ご自愛なさってくださいね
病院の苦手な私の父は、2年前、入院して1週間で逝ってしまいました(末期の胃ガンでした)
献体を希望した父の納骨を今週末にします
本当になんの準備も片付けもしていかなかった父で…亡くなってから、困った物もたくさん出てきました
しばらくは、自分の気持ちのコントロールができず、今も、突然に涙が溢れ不安定な気持ちになりますが、生きている時よりも常に近くで見守っくれているような気がする毎日です
そらはなさん
素敵なお父様の思い出を大切に~
やじまっぷさんへ♪
お父様、献体されたのですね。
すばらしいですね。
私も献体は今後の医学の役に立つと思っていながらも、いざ自分はできずにいます。
本当に、今は情緒不安ですねー。ただでさえ涙もろいのに、父のことを考えると、突然涙のスイッチがどこで入るかわからないので、ほんとに情緒不安ですよ・・。
父がそばにいるって感じます。
前を向いて歩いていきたいと思います。
ブログが更新されない何日間か、プロフィールを見る知恵もなく、何かあったのではと案じていました…………深い思いやりのある素晴らしいお父さん、ご冥福をお祈りします。残されたお母さんを支えてあげてくださいね。そらはなさんもも辛い時ですが、ご主人や子供たちがきっと支えてくれると思います。
すみれさんへ♪
ご心配をおかけしました。
記事にするまでもないと思いましたので、プロフィールにちょこっとのせてみました。
これからは、自分のペースでぼちぼちとブログを書いていきたいと思っています。
こんには、いつも楽しみにこのブログを見ています。
私の母も胃がんで今年1月に亡くなりました、病気がわかってから約2年でした。
私は県外に住んでいて、何もしてあげれなかった気持ちで今も苦しくなります。
お正月に家族で帰って、お風呂で頭を洗ってあげたり、歯を磨いて。それから1週間後に亡くなりました。母との約束で、私の死に目に会おうなんて思わず、子供たち優先に考えて。と言われなくなる時には会えませんでした。
母はエンディングノートにすべて書いており、亡くなった後に凄い人だなぁと思わされました。
私もまだ気持ちは落ち着いていませんが、中学生、小学生の子供達をしっかり育てていかなければと思っています。
ご冥福をお祈りいたします。
たかさんへ♪
今年の1月っていったら、ついこの間じゃないですか。
胃がんだったとのこと。きっとつらい思いもたくさんしたでしょうね。
お母さまの気丈な気遣い、本当に我が子を一番に考えてのことですね。
すばらしいです。
私も、子どもたちに迷惑をかけない生き方がしたいです。
父の死と検索してそらはなさんのブログにたどり着きました。
私も7月3日に父を亡くしました。6月23日の夕方に倒れて、そのまま逝ってしまいました。くも膜下でした。倒れた朝も普通に会社に行ったのに突然でした。
まだ55歳でした。しかし、不思議なことに、やたら定年後の理想像を周りの人に話していたりしていたので、周囲の人からはまだ55歳なのに、定年後のビジョンがはっきりしていてすごいねと言われていました。(これは、父の死後に分かったことですが)また、これも聞いた話なんですが、生前父が親しい人に「最近、自分の周りにどんどん人が集まってくるんだ」と話していたそうです。以前の父はどちらかというと、人と交流することはあまり得意ではなく、どちらかというと1人で行動することが好きだったのですが、ここ2,3年は、いろんな人と話していました。どこか、このような行動が、そらはなさんのお父様と同じような、自分が旅立つ身支度をしているような感じに思えてなりません。本人は意識してないまでも、なにか感ずるところはあるのかもしれませんね。
とりとめのない文章で読みにくいかもしれませんが、話してみたくなりこちらにコメントさせていただきました。失礼しました。
みつさんへ♪
はじめまして(#^^#)
お父様、本当にお若くて現役で亡くなられたのですね。
ご家族の悲しみははかり知れないことと思います。
きっとお父様は、定年後の暮らしを想定した生き方を考えていたのではないでしょうか。
たくさんの方との交流を楽しむというのが、みつさんのお父様の老後の理想だったのかなぁ・・・なんて、思いました。
55歳といったら、私とほとんど年齢がかわりません。
気持ちはまだまだ全然若いときのままで、これから何十年も生きることにワクワクしていたと思います。
きっと、お父様の遺したモノの中から、たくさんの想いが出てくると思います。
本当に本当にご冥福をお祈り申し上げます。