以前、「1か月1万円生活」というテレビの企画がありました。
とことん生活を切り詰め、物はなるべく買わない、電気や水道なども使わない工夫をすることで、いかにお金を使わずに暮らしていくかというのがテーマだったと思います。
なので節約と聞くと、なんとなく辛いイメージや、我慢をして生活のレベルを下げなければいけないと思っていたこともありましたが、そうではありません。
節約とは、単に経済的効果だけれではなく、心の豊かさが最も大切なのではないかと思うようになりました。
老後の生きがい
わずか5年前。
我が家の庭は、雑草だらけで荒れていました。
▲2017年6月 荒れた庭
しかし、雑草といえども、花は咲くし、葉っぱの青さは美しくさえ感じます。
野山であれば、それはそれで美しいのかもしれませんが、家の庭は手入れをしてこそ美しいものです。
▲2017年6月 みょうがと赤すぐり
そんな当たり前のことにようやく気が付いた私は、まずは草取りをすることから始めてみました。
1時間かけて雑草を取り除くと、ようやく本来そこに生えているものが姿を現しました。
みょうがと赤すぐりです。
その姿が明確になると、成長を眺めるのが楽しくなりました。
雑草に埋もれていた時は、そこにみょうがが生えていることすら忘れていたというのに。
*昨年の画像
夏になると、みょうがが地面から顔を出しました。
自分で手をかけたものに愛情がわいてくるというこの感情は、それまでの私にはなかったものでした。
暮らし上手になること
ガーデニングとか家庭菜園とか、土をいじることにまったく興味のなかった私。
外に出れば虫には刺されるし、土を掘ればキモチワルイ虫が出てくるしで、いいことがひとつもない。
だから庭仕事なんて嫌だったんです。
▲2022年 我が家の庭
しかし、例え嫌なことでも、まずは1度は自分でやってみる。
食わず嫌いじゃないけれど、やってみなければわからないことって、たくさんあるんですよね。
そして、どうせやらなければならないことならば、いちいちそれを楽しむこと。
嫌々やるよりも、何に対してもおもしろがるクセをつけると、いろんなことが見えてくるし、楽しくなってきます。
暮らしを楽しむって、こういうことなんですよね。
暮らし上手になると、心も豊かになってくるんですよね。
心豊かに暮らすこと
私が庭造りにハマるようになってまもなく、時代はコロナ禍となりました。
どこにも出かけられないし、大好きな劇団四季も観に行けないし、他県で暮らす子どものところへも遊びに行けない。
だけども、心は幸せに満ち満ちていました。
なぜなら、私にとって庭が究極の癒しの空間となっていたからです。
雑草を刈らなければ、そこにミョウガが生えていることにも気が付かなかった私ですが、草刈りをしながら、気が付いたのです。
節約とは、生活に必要なもの(ミョウガ)と必要のないもの(雑草)を明確に仕分けることでもあります。
自分にとって価値あることやモノがなんなのかわかっていれば、それらにお金を使うことで、心が豊かになります。
また、自分にとって必要のないものにお金を使わずに済みます。
私にとって節約は、一生続く楽しいことなのです。
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