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父の死から半年 猛烈に襲ってくる後悔の念

父は、新緑のまぶしい季節に、あっという間に逝ってしまいました。

亡くなった日のことは、もう遠い昔のことのようにも感じますが、最近突如襲ってくる感情に思わず涙が出そうになり、自分でも情緒不安定かと思うほど。

 

親を亡くした直後は、悲しんでいるヒマもなく、自分なりに精一杯突っ走ってきたように思うのですが、本当の悲しみは半年経ってからじわじわとこみあげてくるものなんだと、最近思っています。

 

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父が死んだ朝

「お父さん、なんだか具合悪そうだからちょっと来て」

いつものように出勤前に髪を洗っている私を、母が呼びにきました。

「うん、今行く」

そう言いながらも、私は最後まできっちりと髪を洗い流し、タオルで髪を拭きながら実家へゆっくりと歩いていきました。

 

父はとても我慢強い人で、庭木の剪定をしてはしごから落ちて尾てい骨を打った時も、家族の誰にも言わずに翌日まで我慢している・・・そんな人でした。

「なんでその時言わないのよ!」

そう言って父を病院に連れていっても、骨には異常なし。
単なる打撲。

 

夜、トイレの前で動けなくなったこともありました。

その時も、日中庭仕事で転んで腕をついたらしく、腫れていたにもかかわらず、誰にも言わずに我慢していて、夜になって痛くてトイレの前で動けなくなったとのこと。

翌日病院へ行ったのですが、やっぱり骨には異状なく、これも打撲。

 

数年前に大雪が降って、屋根の上に上って雪を下していた時も、大量の雪とともに屋根から落下した父。

しかし、幸い雪がクッションとなり、ケガひとつせずに生還。

 

だから、その日も父が具合が悪そうだと聞いても、きっといつものように
「なんだ、大丈夫じゃん!お父さん!」
と、笑って私は出勤する・・・そう思っていたのです。

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父と最期の会話

父はいつものようにリビングのソファーの定位置に座っていました。

「どこが苦しいの?」と、父に問うと

「胸が苦しい」と目をつぶったまま答えます。

血圧は正常範囲内でしたが、脈拍は30台。恐ろしいほどの徐脈にびっくりし、すぐに病院へ電話をし、父を車に乗せて病院へ連れて行きました。

 

この時、父はまだ意識もしっかりしていて、自分の足で車に乗ったのです。

 

「胸が苦しい」

この言葉が、父と交わした最期の会話になりました。

父が亡くなる直前の言葉

救急外来の前で待っていると、処置室の中から看護師さんと父の会話が聞こえてきました。

Ns「いつも飲んでいる薬はありますか?」

父「○○医院の薬と△△医院の薬だけ」

 

Ns「今、苦しいところはどこですか?」

父「・・・手。腕が挟まれて痛い」

(診察台のベッドにいる父の腕が、処置をするNsの体に挟まれて痛かったようで)

Ns「あっ!ごめんなさい!」

という声とともに、処置室の中から笑い声が聞こえてきました。

 

その様子を聞きながら、私は今日一日の段取りを考えていました。

このまま入院になるだろうから、父が病室へ移ったらいったん家に帰って入院の準備をしなきゃならないなぁ。

職場には午後から出勤できるだろうか。それとも今日はお休みさせてもらおうかな。

そうだ、家で待っている母が心配しているだろうな。

そう思い

「今、救急外来で処置をしてもらっているけれど、お父さん大丈夫だからね」

そう母へ伝えて電話を切りました。

父の最期

CT検査のために父が処置室の中からストレッチャーに乗せられて出てきました。

あの我慢強い父が、苦痛に顔をゆがめている表情を見た瞬間、私はすべてを悟りました。

 

数分前に、造影CTのための同意書を私が書いているとき、看護師さんが

「血管系に深刻なダメージがあるかもしれません」と話していたことで、すべてつながったのです。

 

大動脈解離だ。

そうか、父は石原裕次郎さんと同じ大動脈解離なんだ。

そう思った時の絶望感。

 

なのに。

CT検査から帰ってきたときの父の顔色があまりにも土色だったのにもかかわらず、まだ私は、きっと大丈夫、父ならいつものように大丈夫なはずだ・・・と思ったのです。

その直後、処置室に呼ばれると、父が心臓マッサージを受けている光景が目に飛び込んできました。

 

そこからは、もうふわふわとした夢の中を彷徨っているかのような感覚。

遠くで医師が

大動脈解離であること。

範囲は広範囲に及んでいて手術ができる状態ではないこと。

そんな話をしていたように思います。

 

朝、胸が苦しいと言っていた父を病院へ連れていって、わずか1時間余り。

父は逝ってしまいました。

 

みやこわすれ

今、後悔していること

なぜ、救急車を呼ばなかったんだろう。

これが私の後悔していることのひとつなんです。

 

例え、助からなかったとしても、少しでも早く病院へ運んで父の苦痛を和らげてあげることができたのではないか?

それとも救急車を待っているよりも、自分で連れていったほうが早かった?

そんな自問自答を繰り返しています。

 

 

そして、最大の後悔は、病院で父に一言も声をかけてあげられなかったこと。

私が処置室に呼ばれて、当直の医師から最初に説明があったとき、父はすぐそばのベッドで横になっていました。

あの時、なんで父に何も声をかけなかったんだろう。

ただ医師の説明を聞いて、「これから心臓の医師がきて診察してもらいますので」と言われた時も「よろしくお願いします」とだけ医師に話し、処置室から出てきた私。

 

「お父さん、そばについているからね」

そう言いながら、なぜ父の手を握ってあげられなかったんだろう。

 

父がCT検査に行くときだってそうだ。

「お父さん、待ってるからね!」

なんでそう声をかけてあげられなかったんだろう。

 

どんなに父の手を握り締めても、どんなに父の顔をなでてやっても、亡くなったあとでは父はなにもわからないというのに!

 

父が、

まさか父が、

今日、

今、

ここで

 

死んでしまうなんて、これっぽっちも思ってなかったよ!!

 

父が亡くなってから半年。

山のような書類手続きがひと段落した今になって、あの日のことが降ってわいたようにフラッシュバックします。

 

 

 

悲しみは、時が癒してくれると言いますが、半年経った今の方が、精神的に浮き沈みが激しいのをどうしたらいいのだろう。

 

答えは、自分で導き出すしかないのでしょうけど・・・。

 

親の死は意識はしても準備はできない しかし父は準備をしていた
父の遺影をぼんやり眺めていたら、突然ある考えが閃きました。 あまりにも急に逝ってしまった父。 なぜ父がそうしたのか、今ま...

 

コメント

  1. しろうさぎ より:

    おはようございます。
    読んでいて胸が苦しくなる話でした。
    本当に突然だったのですね。
    でもお父様はけっしてそらはなさんが救急車を呼ばなかった事や言葉をかけなかった事を責めないと思いますよ。
    上手な言葉をかけてあげられなくてすいません。
    これからも後悔がおそってきたらどんどん吐き出してください。

    • そらはな より:

      しろうさぎさんへ♪
      亡くなった後に、次々にいろんなことをやらなければならないのは、悲しんでいる暇など与えないということなのだと思いました。
      今になって、ちょっと気が抜けたようになってます(^-^;
      何が良くて、何がダメだったかなんて、誰が決めることでもなく、自分の心の中で解決していくことなんでしょうね、きっと。
      コメント、ありがとうございます。
      心にしみました。

  2. ちょこまま より:

    はじめまして。いつもよませていただいてます。
    読んでいて涙が出てしまいました。どうぞご自分を責めないでください。
    お父様はきっとそらはなさんが一緒に病院に行ってくれてどんなに心強かったことでしょう。お母さんのこともそらはなさんが近くに住んでるから安心してられたでしょう。
    亡くなられてからもお母さんを支えながらがんばってらっしゃいますよ~。
    遠くに住んでいてまだ子供が小さくなかなか見舞いにも行けなくて、父には何もしてあげられなかった私です。今でもずーと後悔です。子供に手がかからなくなって動けるようになったのに親はもういなくて何もしてあげれられません。寂しいですね。

    • そらはな より:

      ちょこままさんへ♪
      はじめまして(#^^#)
      お父様、まだお若いときに亡くなられたのですね。
      子どもが小さいときは、なかなか身動きがとれないですものね。
      私は、父の最期を見たからこそ、それが幸せなことでもあり、逆に目にやきついて、苦しくなることでもあるんでしょうね。
      自分自身で心を浄化していくしかないのでしょうね・・・。
      コメントありがとうございます。うれしかったです。

  3. しろくん より:

    はじめまして。涙しながら読ませていただきました。私も実母を今年の4月に突然亡くしました。施設には入っていたのですが内臓はどこも悪くなかったので 朝6時に医師から電話があったとき 意識がないと言われたのに 「子どもがいるのですぐには行けません」と呑気に言ってしまいました。救急車で運ばれ意識が戻らない状態のまま 入院。一度 姉と荷物を取りに帰り 昼ごはんを食べてから病院へ向かいました。そして30分後に息を引き取りました。どうして病院にずっといてあげられなかったんだろう ずっと手を握ってあげてたらよかった。荷物なんか慌てなくてよかったのにと 毎日後悔しています。
    こんなに早く亡くなるとは夢にも思わず 長丁場になると思いこんでました。
    お母さんごめんなさい。毎日後悔しています。私も同じ思いです。

    • そらはな より:

      しろくんさんへ♪
      はじめまして(#^^#)
      うちと同じころに、お母さまを亡くされたのですね。
      親が亡くなるなんてことは、誰だって否定したいもので、だから呑気に構えちゃう・・・ってところもありますよね。
      私も本当に呑気に髪を洗っていました。
      今となってはどうしようもないことですが、きっとこれからも自問自答しながら、そしていつか自分自身に納得のいく答えを見つけ出すしかないのかなー・・・と思っています。
      共感していただきありがとうございます。心強いです。

  4. みー より:

    こんにちは。

    お父様は、そらはなさんの心の中に生き続けていますよ。お気持ちは、お察しいたします。今のそらはなさんにとって、その悲しみは必要な過程なのだと思います。どうかお父様の良き思い出と共に心の中での会話をしたり、遺品に触れながら(例えば、お父様の財布から毎年、孫にお年玉を渡すなど)過ごしたり…。新たなお父様との付き合い方が日常生活に自然と入ってくるようになれば、残された家族の後悔も和らぐのかもしれませんね。
    今のそらはなさんは、ちゃんとグリーフワークしてますよ。

    • そらはな より:

      みーさんへ♪
      ああ、そうか・・・。
      必要な悲しみってあるんですね。
      人は、みんないろんなことを乗り越えて、また新しい生き方を学んでいくのですもんね。
      父は亡くなったけれど、新たな父との付き合い方…っていう考え方がとてもいいな・・・と思いました。
      ありがとうございます。

  5. りん より:

    いつもブログ見ています。
    私の父も3月に他界しました。75歳でした。
    私は37歳、夫子供2人、小2と5歳の子います。
    まさかこの年で親を亡くすとは考えていませんでした。
    ブログを読んでて涙が止まりませんでした。
    私もそらはなさんと一緒で、亡くなってから後悔することたくさんあります。
    父が亡くなって半年以上たちますが、この先も後悔の念は消えないと思います。
    あの時どうしてできなかったんだろう、あの時こうすればよかった。等々、思いは尽きません。
    私の父もそらはなさんのお父様も、これが運命だったんだと思います。
    そして誰もそらはなさんのことを責める人は誰一人いないと思います。
    きっとお父様は天国でそらはなさんのこと褒めてらっしゃると思います。
    亡くなってからどんなに大変だったか、よく頑張ってるね、ありがとう。そう言っているはずです。
    お母さまのお世話にお父様の死。
    本当に大変だと思います。私の母も認知症、統合失調症があります。
    だからすごくそらはなさんの気持ちわかります!
    辛くなったときはブログで吐き出すのもいいと思います。

    • そらはな より:

      りんさんへ♪
      お父様、まだお若いのに・・・大変でしたね。
      そうですよね。
      みんないつかは、親の死に向き合うときがやってくるんですよね。
      悲しんで後悔してばかりでは、前に進めません。
      自分の心の中で、良い方へ思考を切り替えていかなければなりませんね・・・。
      りんさんも、いろんな想いがあると思いますが、共感していただき、少し心が軽くなりました。
      ありがとうございます。

  6. とも より:

    こんにちは。
    後悔の気持ちが浮んでくると、喉に鉛の玉が残ったような、何とも言えない感情になりますね。
    私は、義父が昏睡状態だったし、病院が徒歩5分の近さだったので、長丁場に備えて呑気に夕食を食べてました。
    すると病院から電話があり、様子が変だからすぐ来てくれと言われました。大急ぎで駆けつけましたが、到着したときには亡くなっていました。
    義父は波瀾万丈で、孤独との闘いのような人生でした。だから、私は亡くなる時は、そばにいてあげたいと思ってました。
    でも結果は、義父は独りぼっちで旅立ちました。
    今も申し訳ない気持ちでいっぱいですが、詫びたい人はもう会えません。

    そらはなさんも葬儀後の色んなことで、悲しい苦しい気持ちに蓋をして、過ごしてこられたのですね。今になって泣けてくるのは、蓋が開いたから。今度は蓋をせずに、感情を思いっきりだしてください。時間がかかりますが、きっと受けとめられる日が来ると思います。

    亡くなった人は、残された人に宿題をだしていかれたと思います。毎日、一生懸命生きてるか?笑ってるか?怒ってるか?泣いてるか?
    いつか私もあちらに逝く時がきますが、自分なりに納得し、あぁ楽しかったよ。と報告できるように毎日を過ごしたいです。
    そらはなさんも、たくさんの樹木の世話という宿題がありますよね。笑。
    お父さんにこんなに大切に育てたよと、報告してあげてください。そしてあの時はごめんね。と謝れば、きっとお父様は笑ってうなづいてくださると思います。
    長々と失礼しました。孫という繋がる命を楽しみに、お互い五十路を楽しみましょう。ではでは。

    • そらはな より:

      ともさんへ♪
      義父さんに対して、そばにいてあげたいと思われるともさんって、なんだかすばらしいなぁ・・・。
      きっと義父さんは孤独じゃなかったでしょうね。
      私も、自分では気づかないうちに、心に蓋をしていたんでしょうね。
      その蓋が開いたってことは、少し前向きにとらえられるようになったと思いたいです。
      ああ、宿題。
      たしかに父からの宿題は、難問だわぁー。
      だけど、これも時間をかけて解いていきたいです。
      「孫というつながる命」という言葉に、なんだか胸がきゅんとなりました。
      人は死というものから逃れることはできませんが、命は粛々とつながっていくのですよねー。
      そう思ったら、少し心が軽くなったような気がします。

  7. アラフィフ主婦 より:

    私は、自分が義父の最期を決めてしまった事で、1年近く苦しみました。
    (義理家全員に、知識がある人に託すと言われたので)
    涙も、いつまでもいつまでも流しました。

    私も自分の車で救急部に運びました。
    2月、夕方の寒い中、肩を支えていたとはいえ、義父を歩かせて。
    普通なら玄関から駐車場まで2分かからないのに、
    その日、義父は息子と孫(私の主人と息子)に支えられ、15分かけて歩きました。

    あとで、救急隊の知人に聞いたところ、
    救急車を待っているより、早く病院に連れて行って賢明だったと。
    救急医にも、救急車に乗った時点でもうダメだと悟る人が多いそうで。
    家族もちょっと着替えたり、段取りを相談して、少し遅れて駆けつけるわけですが、
    その間に…つまり、最期に間に合わないパターンも少なくないのです。

    だからね、よかったんですよ。
    いっぱい泣いたら、徐々に後悔の気持ちも浄化できます。
    我が家は今、三回忌の準備に追われています。

    今年の春、運転中に急逝した友達…。
    ランチの約束をしてたのに、私が仕事が入って延期しちゃって…。
    会っておけばよかった…。
    我が子の卒業式の朝に亡くなるなんて、どれだけ無念だったでしょう…。

    • そらはな より:

      アラフィフ主婦さんへ♪
      お義父さんのこと、胸が締め付けられます。
      うちの父も、大動脈解離が心臓の裏側まで広範囲にはがれていたそうで・・・、だから朝、自宅で苦しいと言った時点で、もうダメだったんでしょうね。
      そうとはわかっていても、私も父を歩かせてしまったことが、どんなに苦しかったかと思うと、心が張り裂けそうで・・・。
      だけど、私が仕事に行く前でよかった。父を病院へ連れていくことができてよかった。
      今はそう思いたいです。
      お友達のこと、ショックでしたね。
      まだまだやりたいことがたくさんあったでしょうに。
      わが子の晴れ姿をこの目で見たかったでしょうに。
      50歳を過ぎて、いつどこでどう死ぬかわからないと思うようになりましたので、本当に会いたい友達には会いに行くべきだなぁ・・・と、私も思いました。

  8. T M ♪ より:

    不幸があってしばらく経ったころに会ったときの挨拶の言葉があります、
    日を経て段々とお寂しゅうございましょう…
    日本語の、日本人の感性を感じますね。

    そう、しばらく経ってゆとりが出る頃から
    いろんな感情が湧き出て、苦しかったり悲しかったり苛んだり…
    誰に責められるでなくとも 自分が自分にダメ出ししてしまう、一番キツイです、苦しいですよね。
    それでも抑圧せずにしっかり 感 じ き っ て くださいね。
    そうすることで初めて、本当の意味で乗り越えることもできるのだそうです。
    日々のことにちゃんと向き合っている そらはなさんなら、きっとできますとも!

    いろいろなご意見があるでしょうが…
    意識不明に陥ってから
    いわゆるご臨終の瞬間を過ぎてもしばらくは故人の意識はそこにあって周囲のことがわかっていると仰る人がいます。
    私もそんな気がしました。
    お父様に取り縋りお顔を撫でるそらはなさんを、お父様は感じてらしたような気がします。
    今も御霊は安らかで、きっと極楽で庭仕事を楽しんでらっしゃるような気がします。

    私は夫に言ってるんです、
    たとえ大ゲンカして家を飛び出したときに事故に遭って死んだとしても、
    私はよくしてもらって幸せだったと思っているからね!
    …しでかしかねないから “ 保険 ” です(笑)。

    • そらはな より:

      TM♪さんへ♪
      亡くなってもしばらくは意識はそこにある・・・。
      そうなのかな、そうであってほしいな。
      だったらもっともっと父に語りかけたいことがたくさんあったなぁ。
      父の死を経験して、自分も今生きていることに感謝しなくては!
      TM♪さんのように、言葉で周囲の人に伝えなくてはわかりませんものね。
      うん、がんばろう。
      一日、一日を大事に生きていこう。

  9. reirin より:

    多分どんなに手を尽くしたとしても後悔は残ると思いますので、皆さんがおっしゃるようにあまりご自分を責めないでくださいね。

    例えば、縁起でもない事ですが、そらはなさんがお父様の立場になったとして、娘さんが嘆いているのを見たらきっと「貴方は充分やってくれたよ。だから自分を責めないで」って言われると思いますので…。

    寒くなってきましたのでご自愛くださいね。

    • そらはな より:

      reirinさんへ♪
      ああー、たしかにそうですね。
      もし私が死んで、子どもが自分を責めていたら、やっぱり自分も悲しくなります。
      前向きに、前向きに生きていこう。
      それが今の自分にできることかなー・・・と思いました。
      ありがとうございます。

  10. えりあまま より:

    うちの父も目の前に一周忌が迫っています。
    昨年の今頃は元気に退院予定だったのになとふと思い出します
    季節が巡り、特に今の風や日差しや香りで昨年の父のの最後の数日がフラッシュバックします。
    もっとしてあげられたのか?と考える時もあります、でもあの行動が最善だったと思ってます。たらればは無しです。お父さんの為にもね、無しにしましょうよ
    そらはなさん、最善を尽くされたと思います。

    • そらはな より:

      えりあままさんへ♪
      もうすぐ一周忌ですか!
      早いものですねー。
      きっと私も来年の5月になったら、そのときの空の色とか風の香りなんかで、一気に思い出があふれるんでしょうね。
      たら・れば・・・はダメですよね。
      どんなに考えても、たら・ればは絶対にありえないことですもんね。
      自分の行動が最善だったと、いつか思えるように、毎日一生懸命生きていきたいです。

  11. レッサーポンタ より:

    何も言えた立場ではないのですが
    ここに書かれた皆さんのコメントを読んで、私もきっと何年か後に通る道なんだなと思いました。
    そのときは、後悔が少ないよう、でも必要な悲しみもある、そんな風に思いました。

    先日、お母さまが喪中ハガキで混乱という件ですが、お母さまもきっと、こんなに突然旦那さんを亡くされて、まずは信じたくないってお気持ちもあったのではないでしょうか。
    遺産?の件も、結局は亡くなったことが信じられないから・・・?
    そんな風に思いました。とても他人ごと目線で申し訳ないですが。

    悲しんで泣くことも、必要なことだと思いますよ。泣いてください。

    そして、お父さんの残した宿題、という言葉、私も気に入りました。

    • そらはな より:

      レッサーポンタさんへ♪
      必要な悲しみ・・・って、なんだか説得力があっていい言葉ですよね。
      たぶん私以上に驚き悲しんでいるのが母なんですよね。
      それでも父が亡くなったときの出来事が、少しずつ母の記憶として定着しつつあり、こうやって遺された家族はいろんな思いを抱えながら生きていくのかなーって思います。
      まさに父が遺した宿題なんでしょうね。
      難題すぎるっ!

  12. しろみ より:

    読むのが遅くなってしまいごめんなさいね
    私と母との介護生活は2年間に及びましたが やはり後悔も沢山あります。

    私の場合は 夜も眠れない程 介護が辛くなった時にふと 母の死を待ってしまった瞬間があった事
    娘として なんてひどい事を考えてしまったのだろう
    信じられませんよね

    そして今 介護から解放されて楽になってしまった自分が 笑って過ごしてる自分が許せなくなる瞬間もあります。

    よく1人で車を運転中に 思い出し涙が出てきてます。

    友達などには 「お母さん 娘にみてもらえて幸せだったね」
    そう言ってもらえるけど

    本当かな あの時の私のどす黒い気持ちを見透かされてたのじゃないかな 本当に幸せだと思ってもらえたんかな

    まだ まだ 亡くなって半年 そんな思いから解放されてません

    でも 自分も50代で 老後が現実として迫ってきてる
    次は自分の子供達に迷惑かけない様に考えていかなければね

    そう思うと 母も私を恨む事はないよねって 自分で自分を慰めてます(;^_^A

    • そらはな より:

      しろみさんへ♪
      ものすごくお気持ちわかります。
      しろみさんがお母さまの介護をがんばっていたことは、よくわかりますし、病気の合併症もあったりで、本当に大変だったと思いますよ。
      もし私がしろみさんの立場だったら、「母の死を待つ」という気持ちもわかりますし、「母の死によって解放された」という気持ちも、ものすごくわかります。
      だから、やっぱり私も子どもに迷惑をかけないよう、そんな生き方をしたいのですが、この先どうなるかはわかりませんものね。
      人間最期まで自分の好きなことをやって暮らせたら、そして、そんな姿の親を見ていたら、子どももきっとうれしいと思うんですよね。
      最期まで自立した生活が理想的。それができなくなったら、やっぱり私は施設のお世話になりたいなぁ・・・、最近そんな風に考えています。
      しろみさん、私たちは一緒に年を重ねていきましょう!(^^)!

  13. まいはぴ。 より:

    はじめまして。いつもブログ見させていただいてます。
    そらはなさんのブログを見始めたのは春頃からかもしれません。
    父は二ヶ月前に亡くなりました。一日前に意識がなくなっていたのに取り戻し、元気に話していたのに、全部力を使い果たしたように次の朝亡くなりました。12年に渡る癌闘病で、弱音を吐かない強い父でした。
    手続きでやはり原戸籍が必要で取り寄せました。そらはなさんが言われてたように、父に色々聞きたかったなと思うばかりです。
    亡くなった人は49日を境に記憶を消されるとネットで見てしまい、凄く寂しく最近は過ごしています。まだ生きていて、実家にいる気がしています。でも現実はもうどこにもいなくて、虚しいです。やはり現実を受け取れられてません。
    ブログを読む時、いつもそらはなさんの後を追っているように感情が動いています。きっと皆そうなのかな。
    いつかはと思うけど、なかなかきついですね。後一回は順番通りなら耐えなくてはいけないと思うと、今度は後悔のないようにしていきたいとは思っているのですが…。

    長々と自分の事ばかりすみません。
    そらはなさんの事を励ましたい気持ちと、共感する気持ちでいつも拝見してます。これからも応援しています。

    • そらはな より:

      まいはぴ。さんへ♪
      はじめまして(^^)
      お父様、12年もの長い間闘病生活をされていたのですね。
      私には想像もつかないことですが、ご家族のみなさんも、いろいろな想いがたくさんあったことでしょうね。
      49日を境に記憶が消されるのですかぁ。
      最初それを読んだとき、ものすごい寂しさが襲ってきましたが、父にもし後悔することがあったとすれば、それをいつまでも引きずるよりも、「無」になってしまったほうが、それはそれで幸せなのかな、とも思いました。
      自分の心の中にはいつまでもずーっと父はいるわけですし、父が遺してくれたものは、私自身なのだから、強く生きていかなければならないのだなー、なんて思ってます。
      コメントありがとうございます。
      とても励まされましたよ(*´▽`*)

  14. ふうちん より:

    そらはなさん、こんばんは。
    私の主人もお父様と同じ病気で亡くなりました。
    朝、病院の先生より主人の携帯から連絡があり
    「救急車で運ばれました、今心臓マッサージしてます」
    という様な事を言われました。
    学校へ行った子ども達を呼び戻し、単身赴任先へ飛行機で飛びましたが
    亡くなった後でした。まだ40代後半でした。

    ああしておけばよかったとか、色々考えますよね。
    私も二年経ちしたが「最期に何を思ったかな」と思うと
    胸が痛くなります。
    お父様は、娘さんが隣に住んでおられて安心だったでしょうし、
    本当にお幸せだったと思います!

    風邪をひいて寝込んでました。そらはなさんもお気をつけ下さいね。

    • そらはな より:

      ふうちんさんへ♪
      えええっ!
      ふうちんさんのご主人は、亡くなられたのですか!
      しかも単身赴任先で・・・。
      どんなに大変だったことでしょう。
      息子さんもどんなに悲しかったことでしょうね。
      旦那様も成人した息子さんといっしょにお酒を飲みたかったでしょうね・・・。
      なんて、自分の家族のこととだぶらせて考えてしまったら、涙が出ます。
      なんだか逆に温かい言葉をかけていただき、ありがとうございます。
      ふうちんさんも、お体お大事になさってくださいね。
      お子さんたちが、みんなお母さんのこと守ってくださいますね。

  15. ななもも より:

    はじめまして。
    大学受験真っ只中の長女がおり、大学受験費用の記事を読ませて頂き、
    興味深い記事が沢山あり、こちらの記事を涙ながらに読ませて頂きました。
    もう20年以上経ちますが、私の父も朝、「行ってきます!」と出掛け、翌日
    無言の帰宅となりました。近所の町医者にかかっていたのは知っていましたが
    少し疲れた時に点滴をして貰いに行っている程度の認識でした。
    当時、私は20代前半で仕事中に妹から「お父さんが点滴中、動かれへん様になって救急病院に搬送されるみたいやから帰って来て」と連絡を受け、妹と搬送された病院に向かいました。病院に着いて検査を終えた先生から「既に手の施し用が無いので、身内の方を呼んで下さい」と…。は?何、言ってるの?と思いましたが、先生の言葉は現実のものとなりました。自営業をしていた父は病院のベッドでも、入院なんか出来へん!職場に戻らなアカン、明日、給料日やから給料渡したらなアカンからと…。次々に駆けつける父の兄や妹、一人暮らしの長男。父自身、病気だなんて夢にも思っていなかったから、何の騒ぎやと言う感じでした。本当に思い返せばキリが有りません。
    死後、どうして、大きい病院で定期的な検査を受けさせ無かったのか、どうしてこんなになるまで気が付いてあげれなかったのか、最後に何か言葉を掛けてあげればと(本人が駄目だと認識していなかったので別れの挨拶的な会話をする事が出来ませんでした)4人も子供が居るのに、誰一人、結婚する姿を見れず、孫を抱く事も出来ずに逝ってしまいました。お正月、家族が揃う度に、父がこの場に居たら…、子供好きな父はどんな風に孫達に接していただろうと、あれこれ考えます…。きっと、何年も介護生活をしていた人ですら、もっと、こうしてあげれば、ああしてあげれば良かったと言う思いが少なからず有るのでは無いでしょうか。満足のいく送り方はなかなか無いのではと思います。

    随分、前の記事へのコメント、及び乱文、失礼致しました。
    これからも、たまに覗かせて下さいね〜

    • そらはな より:

      ななももさんへ♪
      こんにちは(#^^#)
      娘さん、受験真っ最中なんですね。早く春がきますように!(^^)!
      そして、お父様をずいぶん若くに亡くされたのですね。
      身内の死は、きっとどんな状況でも、必ず何かしらの後悔はあるんでしょうね。
      それは時間が解決していくのかな・・・と思っていましたが、ななももさんのコメントを読んで、やっぱり何十年たっても心の中にいつまでも残るものなんだなぁ・・・と思いました。
      お父様、わが子の結婚式に出席したかったでしょうね。自分の手にお孫さんを抱きたかったでしょうね。
      そんな思いを考えると、涙が出ます。
      だからこそ、私は、家族のためにも健康で長生きしなければ・・・と思いました。

  16. 綺音 より:

    1人じゃない。辛いのはあなただけではなかった。
    本当に苦しかったのは本人。

    私も父を7年ほど前に亡くしました。
    病名は間質性肺炎。まだ未確認の病気。
    有名人では美空ひばりさんです。

    悲しみにくれたのに数年後のいまは前を向いて生きています。
    本当に苦しかったのは本人。
    周りにはできなかった。その事実を知るべきです。
    そして、悲しみからご自身をを解放してください。

    私は父が亡くなった日には、父の弟の火葬場にいたため、会えなかった。
    でも、お父さんとの思い出はたくさん残りました。
    とても幸せな時間でした。

    今は本人より1日長く生きれればと日々生活を生きています。

    現実を受け入れる力を手に入れてください。
    突然のコメント失礼しました。

    • そらはな より:

      綺音さんへ♪
      父が亡くなってから1年が経ちました。
      たまにふと亡くなった日のことを思い出すことはありますが、苦しくてどうしようもないという時期は過ぎました。
      前向きに歩いていきます。
      私も、父よりも1日でも長く生きられるように。

  17. 匿名 より:

    苦しいですよね。
    察します。状況は違えど、私も亡くしました。
    仕事が忙しく、葬式すら出られなかった。
    長男でありながら。

    • そらはな より:

      匿名さんへ♪
      お葬式、参列できなかったなんて、どんなに心残りだったことでしょう。
      どういう状況でも、親を亡くしたときは必ず後悔することがありますよね。
      それは時間と、自分の気持ちの持ち方で、少しずつ解決していくことなのかもしれませんね。

  18. ひち より:

    初めまして。
    20日ほど前に71歳で父を亡くし、毎日やり過ごしているふりをしながら心はひどく辛く、同じように親を亡くした方の経験等を探し、ケア方法などを模索していたところこちらのブログに辿り着きました。
    そらはなさまの書かれる描写、リンクするものがあり涙が止まりません。当日朝、自分で全て身支度をし、元気にクリニックに向かい、母に帰ってきてからのお昼をリクエストして別れ、帰らぬ人となりました。突然すぎました。死因も同じでした。
    私は実家を出ていて、1週間前にちょうど実家に帰っていて、気をつけて元気に過ごしてねと別れて、次に会ったのは霊安室でした。
    父と母の結婚記念日と、私の姉の誕生日と、私の29歳の誕生日を目前に亡くなってしまい、やるせない気持ちです。
    通院して大変な思いをしていたけど、もう苦しくないから、今度は私たちが我慢しなきゃいけないねという母の言葉に頷きつつ、何も受け止めきれていないです。

    そらはなさまは咄嗟にお父様を車で送ったこと、とても凄いこととお見受けします。
    他の方のコメントにあるように、苦しい時期を乗り越え、前向きに生きるという言葉に、いまかなり底を見ている私としては救われました。
    この悲しみ、やるせなさを何年かかるか、もしかしたら数ヶ月で乗り越えるかもしれませんが、とにかく残された母・兄弟ともに歩んでいこうと改めて思いました。

    随分私の父の時と状況が似ていたので、コメントさせて頂きました。失礼しました。

    • そらはな より:

      ひちさんへ♪
      こんにちは。
      先日、父の七回忌を終えました。
      ああ、もうあれから6年の月日が流れたんだなぁ・・・と、あらためて思いました。
      そして、ひちさんがコメントをくださったことで、私も自分自身の記事を再度読んでみました。
      当時のことが思い出され、胸がキュッとつかまれたような感覚を覚えましたが、苦しいとかそんな感じではありませんでした。

      ひちさんのお父様、71歳という若さで急逝されたのですね。
      遺されたご家族のお気持ち、お察しいたします。
      すぐには受け入れられないのは当然です。
      たぶん、どんなに手を尽くしても、親の死というものには必ずや後悔の念があるものだと思います。
      そして、その後悔の念は、遺品や思い出を少しずつ整理していくことで、徐々に浄化されていきます。
      悲しみは、無理に蓋をすると余計濃くなってしまいますから、どんどん吐き出して涙することで、少しずつ薄らいでいきます。
      ひちさんも、どうか前を向いて歩いていくことができますように。