母が要介護1と認定されてから3年目の春を迎えました

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母が要介護1と認定されてから2年が経ち、今年の春で3年目を迎えます。
昨年から週に3回、ヘルパーさんにきていただき、昼食の用意と掃除をしていただいています。

母の状態も、とても落ち着いていて、定期的にヘルパーさんが家に来るということは、母にとってもよい刺激となり、脳の活性化も促せるのではないかと思っています。
そんな母の最近の様子です。

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母が要介護1と認定されるまで

母は軽度認知障害(MCI)です。
母の言動がおかしいな?と感じたのは、今から5〜6年前。

姉一家が実家に遊びにくるという話を、自分は聞いていなかったと言って怒り、私のことを一方的に責めた時。
その時は、80歳を過ぎた母の高齢による物忘れだと、片付けてしまいましたが、後になって思えば、あの頃から記憶障害が始まっていたのかなと思います。
それから2年後、父が急逝しました。

その時の母の混乱ぶりはひどいもので、突如伴侶を失ったのだから、母がこうなるのもしかたがないことだと思っていました。
しかし、ある時私のことを「財産争いをする泥棒だ」と言った時は、奈落の底に突き落とされた気分になりました。

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その後主治医に相談し、私はそのまま市役所へ出向き、介護認定の手続きをしました。

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その年母は要支援1、翌年からは要介護1と認定されました。
母が要介護1となって今年で3年目の春を迎えます。

母の日常生活

80半ばを過ぎた母は、とりあえず自分の身の回りのことは自分でできます。

■起床と就寝
朝は7時に起き、夜は9時にベッドに入ります。

■食事
朝食はパンと牛乳。
昼食は、週3回はヘルパーさんが作るご飯を食べ、それ以外の日はカップラーメンなど簡単に済ませています。
夜は、私が作った晩ごはんを取り分けて母のところへ持っていきます。

■清潔
朝晩、自分で洗面をしています。
週に3回は、私の家でお風呂に入ります。
以前は母が自分の家でお風呂に入っていましたが、転倒などの危険があるため、私の家で入るようになりました。

■日常生活
新聞を読んだりテレビをみたりして1日を過ごします。
郵便受けに手紙を取りに行ったり、玄関前をホウキで掃いたり、廊下をクイックルワイパーで拭いたりと、簡単な掃除はしています。
母は足が悪いので、しゃがんだりする動作が困難で、拭き掃除などはできません。
その部分をヘルパーさんにお願いしています。

■応対
電話の応対や訪問者の応対もしていますが、「若い人(私や夫のこと)に聞いて」と言っているようです。

■病院
母は、高血圧とコレステロールの薬、そして認知症のレミニールを内服しています。
月に1度、私が母の薬を病院へ取りにいきます。
3ヶ月〜4ヶ月に一度は、母を病院へ連れていき、診察を受けています。
病院へ行く数日前には、美容院へ連れていき散髪をしてもらっています。

■記憶障害
母は新しいことは覚えられません。
また、母にどうしたいか決断を求めると混乱します。
なので、余計なことはいっさい言わないようにしています。
母が日常生活を送る上で、影響を及ぼすようなことがない限りは、私がすべて判断し、決めてしまいます。
あとは、いっさい母には話しません。
それでも何も問題は起きないし、逆に話をすると母が混乱するだけです。

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要介護1の母が利用している介護サービス

母が介護サービスを初めて利用したのは、要支援1と認定された時。
その頃は、母がまだ自分でお風呂を沸かして入っていたので、シャワー椅子と足台を介護保険で購入しました。

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その一年後には、要介護1となり、さらに廊下で転倒したこともあり、お風呂は私の家で入ってもらうことになりました。
シャワー椅子と足台は、母のお風呂場で、ひっそりと眠っています。
要介護1となってからは、週に3回ヘルパーさんにきていただいています。
これも、母を説得するのが大変でした。

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また、ヘルパーさんがきて最初の数カ月は、母も文句ばかり言っていましたが、ケアマネさんと相談しながらいろいろ対応してもらったおかげで、母はヘルパーさんに対しても「いつもありがとう」「本当に助かってます」などと感謝の言葉を述べるようになりました。

ヘルパーさんがきて変わったこと

父が亡くなった直後、母は急に怒り出したり何度も同じことを言ったりして、私も毎日途方に暮れていました。
時々母と言い合いになって、悔しくて何度姉に話を聞いてもらったことか。

母は認知障害なのだから、母の言動をまともに受け取ってはダメだと頭の中ではわかっていても、ついついムキになって反論してしまう自分にも、ほとほと呆れました。
そんな母と割り切った付き合い方ができるようになったのは、1年前から。
そう。
ヘルパーさんが母のところへ来てくれることで、私一人で母のことを背負い込まなくてもいいんだ、という安心感が芽生えたから、母とは割り切った付き合い方ができるようになりました。

母も、週に3回とはいえ、定期的に外部の人が家に訪ねてくることで、日常生活にメリハリが生まれたと思います。
母にとっても、よい刺激となっていると実感しています。

私も気持ちに余裕ができたおかげか、はたまた母自身も安定しているおかげか、私と母はもう昔のようにケンカしたりすることがなくなりました。
今はとても穏やかな生活をしています。

母の言葉を真に受けてはいけない

先日のこと。
いつものように、仕事が終わって家に帰り、母のところへ顔を出しました。
毎日、母へは今日の出来事を聞くのですが、いつも答えはおんなじ。
「特にない」
それでも私は毎日母へ聞きます。

その日、母はいつもと違うことを言いました。
まとまりのない母の言葉を要約すると、以下の通り。

ヘルパーさんには、もうお昼ごはんは作らなくてもいいと言った。
私1人食べる分くらい自分でつくれる。
私だってまだそれくらいできる。
出来なくなった時は、寝たきりになるかあの世へ行くときだ。
ヘルパーさんがいつも冷蔵庫の中をジロジロ見るのがなんだか嫌だ。
だから料理はしてもらいたくない。

 

「料理はしなくていい、っていつヘルパーさんに伝えたの?」と母に聞くと
「だいぶ前」と言います。

おかしいな、と思いましたよ。
ヘルパーさんの記録には、毎回「掃除30分、料理30分」というのが書かれていますので、もしも掃除しかしないようになったら、ケアマネさんから私のところへ必ず連絡が入るはずです。

ご飯を炊いて、それを小分けにラップに包んで冷凍保存してくれているのもヘルパーさん。
そのことも母に言うと
「ご飯は私がやってるんだよ!」と、怒り出してきました。
そして、「あんたからも、掃除だけにしてくださいって、伝えて!」とか言うのです。

いろいろ腑に落ちない点は多々ありましたが、母もだんだん怒ってくるので、ここは母の言う通りにしようと思いましたよ。
「じゃあ、ケアマネさんに連絡して訪問サービス内容を、変更してもらうね。料理はしなくていいから掃除だけやってもらえばいいんだよね?」と母に言うと、「そうしてくれ」と母。

しかし、私が自室に戻ると、すぐさま母がやってきて言いました。
「ヘルパーさんに言わないでちょうだい。せっかく作ってくれるんだもの、申し訳ないから、このまま黙っているわ」

ああー。
またしても私は母に振り回されてしまいました。

きっと、ヘルパーさんのなにかが気に入らないことでもあったのかなぁ?
だから感情まかせに、もう料理しないでくれって思ったのかなぁ?
でも、私にいろいろ突っ込まれて、自分でもおかしいな、と思ったんだろうなぁ。

母は、軽度認知障害でした。
記憶がすっぽり抜け落ちたり、嫌なことがあったりした場合は、感情のままに言ったりすることがあるということを、すっかり忘れていました。

それくらい、最近の母の状態はとても良かったのです。

今、思うことはただひとつ。
母の今の状態が少しでも長く続きますように。

母は記憶障害はあるけれど、まだ自分で自分のことができるのです。
だから私もまだ仕事を続けられるし、あちこち出かけることもできます。

家族が元気でいてくれることが、なにより幸せなことなのだと、しみじみ思うようになりました。

コメント

  1. とも より:

    こんばんは。お久しぶりです。
    一年の早さに驚くばかりです。
    お母様は穏やかに過ごされていて、安心しました。親の介護が始まると、平穏に過ごすことのありがたさが身に染みてわかります。

    わが母も掃除片付け以外の家事は何とかやっているようです。でも、保険証やマイナンバーカードをしまい込み、その場所を忘れてしまって無くなった!と騒ぐようです。
    そして父のせいにするので、よく揉めています。昨冬は電気ストーブに膝掛けが接触し、座椅子を焦がしてしまいました。
    わたしが何より心配なのは火の始末と転倒です。
    先日、久しぶりに母の病院に付き添いました。投薬で血流が良くなり、少し症状は改善しているようです。
    リハビリのデイサービスに通うことを勧められましたが、昔人間の両親は悪いイメージしかなく説得するにはハードルが高そうです。
    そらはなさんと同じように、母、父、私と穏やかな毎日を過ごせることが一番のねがいです。

    • そらはな より:

      ともさんへ♪
      ほんとですね、月日の流れるのは本当に早いものです。
      母が平穏に過ごしているおかげで、私も今は好きなことができているので、本当に母には感謝です。
      3年前には、こんな感情なんてなかったんですけど、物事は一生同じわけではなく、常に移り変わっていくので、気持ちもどんどん変化していくものですね。
      だから、今を嘆いているよりも、今できることを一生懸命やるべきだと、心底思っています。
      お母様、火の始末に関しては心配ですね。
      自分1人で見守るのは無理ですから、いろいろなサービスを使えるといいのですけどね。
      ともさんも、ご実家と離れて暮らしているのに、本当にあの手この手でよくやられていると思います。
      お互い、今年も平穏な一年でありますように。