60歳からの家づくり|車椅子になってまで住み続ける家じゃなくていい

家のリノベーションは、決して安い買い物ではありません。
だからこそ多くの人が、
「できるだけ長く住める家に」
「将来に備えたつくりにしておいたほうがいいのでは」
と考えるのだと思います。

私自身も、そうでした。
寒冷地・秋田での暮らし。
これからの体力の変化。
夫婦ふたりで過ごす、これからの時間。

高断熱・高気密の住まいに整え、
今をできるだけ快適に、無理なく暮らしたい。
そんな思いで、リノベーションを進めています。

親戚のひと言で、立ち止まった

先日、工事中の家を見に来た親戚から、こんな言葉をかけられました。
「玄関ドアが開き戸だと、将来車椅子で入れないから、やめたほうがいい」

たしかに一般的には、引き戸=バリアフリーというイメージがあるのかもしれません。

でもそのとき、私は心の中で思いました。
「本当にそうだろうか?」
「いやいや、そうじゃないんだよ」

「車椅子になってまで住み続ける」前提ではない

▲画像はイメージです

怪我や体調不良などで、一時的に不自由になることは、誰にでもあります。
その場合は、工夫や周囲の助けを借りながら対応するでしょう。

けれど、もし将来、常に介助が必要で、車椅子での生活が日常になったとしたら。
私はそのとき、自宅にこだわらず、施設入所を選ぶと思っています。

そもそも、車椅子での生活になった時点で、自力で外に出ること自体が難しくなることも多く、玄関ドアの開閉方法が決定的な問題になる場面は、それほど多くないのでは、と感じています。

無理をして家で頑張り続けるよりも、自分も、家族も、安心できる場所で暮らしたい。
それは、現実を見据えた選択だと、今は思っています。

理想は「ピンピンコロリ」

とはいえ――
正直に言えば、理想は ピンピンコロリ です。
できることなら、この家で元気に暮らし、最期まで住み続けられたら、それ以上の幸せはありません。

けれど、母の介護を経験して、私は一つの現実を知りました。

人生は、こちらの思い描いた通りには進まない。
体のこと、心のこと、家族の状況。
どれか一つが変わるだけで、
「住み続ける」という選択が、
思いのほか難しくなることがある——ということです。

母の介護で知った「想定は外れる」という現実

昨日までできていたことが、今日はできない。
数か月前に整えた環境が、もう合わなくなる。
「これで安心」と思った準備が、
あっという間に意味を持たなくなる。

介護の現場では、状況は思っている以上の速さで、どんどん変化していく…という現実を突きつけられました。

だからこそ思うのです。
将来を完璧に想定して、その通りに使い続けられる家をつくることは、ほぼ不可能なのだと。

その時の状況に合わせて、できることをするしかない

介護を通して、私がたどり着いたのは、とてもシンプルな考え方でした。

家も、暮らしも、人生も同じです。
すべてを先回りして全て整えようとすると、今の快適さや、気持ちの余裕を、かえって削ってしまうこともあります。

だから今回のリノベーションでは、将来の不安をすべて家で解決しようとしない、という選択をしました。

家は、今を心地よく生きるためのもの

この家は、「最後までここで暮らし切るための家」ではありません。
でも、「そうできたら幸せ」だとは、思っています。

最期まで暮らせたら、それはとても幸運なこと。
もしそうならなくても、そのときの自分を受け止められる余白を、
この家には残しておきたい。

家は、人生を支える器であって、
人生を縛るものではない。

母の介護を通して得たこの感覚を胸に、これからの暮らしを、
少し軽やかに、整えていこうと思います。

窓が搬入されていた!

 

 

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