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認知症の母が語った“父の最期”

グループホームで暮らす母のもとへ、面会に行ってきました。
ここ半年ほど、母との会話はほとんど変わっていません。

私や姉の名前、孫たちの名前を繰り返し呼びながら、
「みんな大人になったから、今会ってもわからない」と、同じ言葉を何度も口にします。

目の前にいる私のことも、誰だかわかっていないようでした。

それでも、こちらの問いかけには的確に答えてくれます。

「どこか痛いところはある?」
「膝は悪いけれど、正座はしないから大丈夫」
「ごはんは食べてる?」
「全部食べてるよ」

そして、決まってこう言います。

「今は本当にありがたいね。ちょっとでも具合が悪くなれば、すぐに病院に連れて行ってくれる。
いい時代になったね。平和な世の中だよ」

毎回、同じ会話です。
でもそれが、母なりの“今を生きている証”なのだと感じています。

その日、何気なく母にゆかりのある人たちが住んでいた地名を口にしてみました。
すると、ぱっと表情が明るくなり、「あったねぇ、そういう場所!」とうれしそうに笑いました。

誰が住んでいたのか、どこにあるのかといった記憶は曖昧なままでしたが、
その地名だけは、母のどこか深いところに残っていたようでした。
懐かしい思い出の扉が、ほんの少し開いたように感じました。

父のことも聞いてみました。
すると母は、笑いながらこう言いました。

「とっくの昔にあの世に行ったよ(笑)」

いつものやりとりです。
母はこれまで、父が亡くなったときのことを「何も覚えていない」と話していました。

けれども、今回は違っていました。

「いつもは朝、新聞を取りに行くのに、その日だけ椅子に座ったままでね。
どうしたの?と聞いたら、『胸が苦しい』って言うの。
それで病院に連れて行ったら、そのまま死んじゃったのよ」

突然の言葉に、私は驚きました。
そして母は、こう続けました。

「おじいさんには申し訳ないけど、本当にありがたいと思った。
寝たきりにならず、誰の手も煩わせず、あっという間に逝ってくれて……。
長く寝込んでしまったら、大変だったからね」

その言葉に、私ははっとしました。

父は、亡くなる前日まで元気に庭の草刈りをしていました。
翌朝、「胸が苦しい」と言って倒れ、大動脈解離と診断され、そのまま亡くなりました。
病院に着いてから、わずか1時間ほどの出来事でした。

母はその時のことを覚えていないと思っていましたし、
父の急な死をきっかけに、母の認知症が進んだのだとばかり思っていました。

でも、そうではなかったのです。
母は、父の最期の記憶を、ちゃんと心の中に留めていたのです。
それどころか、「ありがたい」と感謝の気持ちまで抱いていたのです。

この日、私は初めて、母の心の奥にあった静かな想いを知ることができました。

母との面会は、いつの間にか“確認作業”のようなものになっていたのかもしれません。

「元気かな」「食べているかな」「痛みはないかな」――
そんなふうに、生活の様子を確かめに行くという気持ちがどこかにありました。

けれども今回、思いがけず母の本音にふれることができました。
記憶は曖昧でも、心はまだ確かにそこにある――そのことに気づかされました。

グループホームで暮らす母は、私の日常からは少し距離のある存在です。
正直に言えば、会いに行かなくても生活は回っていきます。

でも、もう会えなくなってしまえば、母の本当の気持ちを知ることは、二度とできません。

たとえ、母が私のことをわからなくなっても。
たとえ、会話が同じことの繰り返しになっても。

母が生きている今だからこそ、こうしてふと記憶の糸がほどける瞬間があります。
そして、その隙間から、母の想いがこぼれ落ちてくることもあるのです。

これこそが、私が面会に行く理由なのだと感じました。

母の心の中に残っている大切な記憶を、そっとたぐり寄せること。
それが、今の私の使命なのだと、確信しました。

 

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