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母の喪服を手放した日|“生きている”母との静かな別れ

母は、まだ生きています。

グループホームで穏やかに暮らす母は、今年で93歳になりました。

認知症が進み、私のことを思い出せない日も増えてきましたが、それでも私にとっては、いつまでも“母”であることに変わりはありません。

そんな母が最後に喪服を着たのは、9年前──父の葬儀のときでした。

久しぶりに礼服に袖を通した母の背中が、どこか小さく、頼りなく見えたことを、今もよく覚えています。

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もう、喪服を着ることはない

その後、知人や友人が亡くなっても、母は葬儀に出向くことはありませんでした。
「香典だけでも届けて」と体裁を気にする様子はありましたが、自分が出かけることは一度もありませんでした。

やがて新聞の死亡広告を見ても、誰が亡くなったのか、それがどういう意味を持つのか──母はすぐに忘れてしまうようになりました。

3年前、母の姉夫婦が続けて亡くなったときも、母にはもう“死”の重みが届かなくなっていて、私はあえて知らせませんでした。

だから、私は確信していました。
母がもう一度喪服を着る日は、きっと来ないのだと。

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捨てられなかった“黒い服”

実家の片付けは、ここ数年かけて、少しずつ進めてきました。
昭和の時代に着ていたスーツやセーター──
母が大切にしまっていた服が、何十枚も出てきました。

一つひとつ確認して、「もう着ないね」と判断したものは処分してきたつもりでしたが、なぜか喪服だけは、ずっとクローゼットに残したままでした。

黒いワンピースとジャケット。
ハンガーにかけられたまま、静かに眠っていたそれを、私は見て見ぬふりをしていたのです。

母の喪服

もしかするとそれは、「母がいなくなる日」が、確実に近づいていることを、私自身が認めたくなかったからなのかもしれません。

心がほどけた、あの瞬間

先日、母の部屋にあった古いタンスや収納棚を、粗大ごみに出しました。
長年そこにあった家具がなくなり、広くなった部屋の隅に、ぽつんと残っていたのが──あの喪服でした。

その姿が、なぜかとても印象的で、私の中でなにかがふっとほどけたような気がしました。

「もう、大丈夫だよ──」

自然にそうつぶやいて、私はその黒い布地をハンガーから外しました。

処分するという行為は、決して冷たいものではありませんでした。
それは、ようやく心の中で「ありがとう」と言えた、静かな別れの感情だったように思います。

本当は、母自身の手で手放してほしかった

ものを手放すというのは、記憶や思い出を捨てることではありません。
むしろ、それらをそっと胸にしまい直す、静かな儀式のようなものだと思っています。

けれど──
正直な気持ちを言えば、母自身の手で処分してほしかった。

古いセーターも、誰かにもらったカーディガンも、
そしてこの喪服も。

「もういらないね」と、母の口から言ってくれたなら、どれほど気持ちが軽くなっただろうと思います。

でも、それはもう叶いません。

自分のものは、自分の手で

だから私は思うのです。

せめて、自分のものは自分の手で、きちんと見極めて手放していきたい。

もう使わないとわかっているものを、いつまでも持ち続けないように。
そして、いつか残された人が、迷わずにすむように。

母の喪服を手放したこの日は、
私にとっても、新しい“暮らし方”の始まりになった気がしています。

 

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