実家の納戸の奥で、長いあいだ静かに眠っていた雛人形。
春が来るたび家族で飾り付けをし、幼い私の目を輝かせてくれた存在でしたが、いつしか飾られなくなり、段ボールにしまわれたまま、何十年も時が止まっていました。
そして今年の春。
姉とふたりで久しぶりにその箱を開けたとき、懐かしさとともに、自然と「そろそろ、きちんとお別れしようか」という気持ちが湧いてきたのです。
納戸の奥で眠っていた記憶
その雛人形は、おそらく祖母が大切にしていたもの。
明治時代に作られたと思われるお雛様とお内裏様は、私が小さかった頃、毎年のように丁寧に飾られていました。
小学校低学年のころまで、両親が時間をかけて飾ってくれた記憶が、ぼんやりとよみがえります。
春のやわらかな光の中、段の前で人形を見上げていたあの頃の自分の姿が、ふと心に浮かびました。
「あれ?こんなに小さかったっけ」
先日、姉とふたりで段ボールの封を何十年ぶりかに開けました。
すると、あんなに大きく見えたお雛様とお内裏様が、思いのほか小さく感じられて、思わず笑ってしまいました。
姉も同じ気持ちだったようで、「あれ、こんなに小さかったっけ?」と何度も顔を見合わせては笑いました。

明治時代のお雛様
左大臣、右大臣、三人官女も揃っていたものの、長年の保管による劣化は否めません。
人形たちの顔立ちは今も凛として美しかったのですが、手に取った瞬間、お内裏様の首がポロンと落ちてしまいました。
(ぎゃーっ!と心のなかで叫んでしまった…。)
止まっていたようで、確かに流れていた時間
段ボールの中で、まるで時間が止まっていたように見えた雛人形たち。
でも本当は、私も人形も、それぞれの時間を静かに重ねてきたのだと感じました。
人形供養という選択肢もありましたが、今回はあえて自治体の可燃ごみとして出すことに決めました。
最後まできちんと自分の手で見送ってあげたい、という思いがあったからです。
「祟りがあったらどうしよう?」と冗談半分に言った私に、姉は笑いながらこう返しました。
「何十年も段ボールに閉じ込めてたことのほうが、よっぽど祟られそうよ」
たしかに、その通りだと思いました。
雛人形は“お守り” だからこそ役目を終えたら
雛人形は、女の子の健やかな成長を願って贈られる“お守り”。
祖母のもとで長く過ごし、その後は姉と私を見守ってくれた雛人形たちは、もうその役目を果たし終えていたのだと、今なら素直に思えます。
人形一体ずつをそっと紙に包みながら、ごみ袋へと入れていく手のひらに、これまで感じたことのないような感情が湧いてきました。
「今まで長いあいだ閉じ込めていてごめんなさい。
もう役目は終えたから、自由になってください。
本当にありがとう。」
処分の仕方より、大事なのは気持ちの区切り
雛人形の処分方法には、人形供養やお焚き上げなど、さまざまな選択肢があります。
けれど、最終的に大切なのは「自分の気持ちにきちんと区切りがつけられるか」ということ。
今回それを強く実感しました。
「ゴミとして処分するなんて、罪悪感が残りそう」と以前は思っていたけれど、不思議とそんな思いはまったくありませんでした。
むしろ心はとても穏やかで、すがすがしささえ感じています。
感謝を込めて、心からお別れができたこと。
それだけで、十分に意味のある“手放し”だったのだと思います。
きっと、手放すのにふさわしい「その時」がきたのでしょうね。
長い眠りから目覚めた雛人形たちは、ようやく春の光の中へと旅立っていったような気がします。

雛人形を入れていた段ボールには、しつこいくらい「おひな様」と書かれた文字(私が小学生の頃、書いたのを覚えている)
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