実家の和室に置きっぱなしだった、人形たちの存在が、ずっと心に引っかかっていました。
それは私の両親がいただきものとして大切にしていたもので、陶器や布製のものが、ガラスケースに入れられて整然と並んでいました。
けれど、ケースの中は埃こそ入り込んでいなかったものの、ケースの外側には長年のほこりが積もり、もはや「大切にしている」とは言えない状態。
「いつか片付けなければ」と思いながら先延ばしにしてきたこの問題に、いよいよ向き合うことにしました。
和室に眠っていた「記念の人形たち」
実家の和室の奥にあった人形たちの大半は、両親が自分で買ったものではなく、何かの記念品としていただいたもの。
雛人形のような季節ものではなく、陶器や布製の人形が、大小さまざまに並んでいました。
両親は「埃がかぶらないように」と、わざわざガラスケースを用意して、人形を丁寧に収めていました。
その気持ちはよくわかるけれど、結局そのまま放置され、ガラスケースは埃をかぶり、誰にも見られることもなく時間が過ぎていったのです。
今しかできないと思った理由
「いつかやらなくては」と思いながらも、なかなかやる気が起きなかったのは、正直面倒だったから。
でもある日ふと、強く思ったのです。
「今片付けないと、もうできないかもしれない」
体力も気力も、年齢とともに確実に落ちている自分。
このままでは、やらなきゃと思い続けながら、何年も放置してしまう。
そんな未来が見えたからこそ、重い腰を上げました。
人形の処分、実際どうした?
人形は、素材によって可燃ごみと不燃ごみに分別。
布製や木製のものは可燃へ、陶器のものは不燃へ。
ガラスケースの中に飾られていた小物も、同様に素材ごとに分けました。
そして最大の難関がガラスケース。
大きくて不燃ごみ袋には入らず、分解すればガラス板は割れてしまいそうで危険です。
最終的には、市の処分場に直接持ち込むか、民間の業者に粗大ごみと一緒に引き取ってもらうことになりそうです。
とりあえずその日は、和室にあったガラスケースをすべて車庫へ運び出しました。
ものを大切にするって、どういうこと?
埃がかぶらないようにケースに入れて、大切にしていた「つもり」でも、手をかけなければ、いつしか忘れられてしまう。
「ものを大事にする」とは、埃から守ることではなく、時々目をかけ、手をかけること
そう気づいたとき、胸の奥にずしんと重たいものが残りました。
ふだん誰も出入りしない和室に置かれていた時点で、もう「必要なもの」ではなかったのかもしれません。
「飾ること」から「片付けること」へ。
それも、ひとつの“終い方”なのだと自分に言い聞かせました。
部屋が多い家ほど、モノが増える
田舎の一軒家には、無駄に広い部屋がたくさんあります。
だからこそ、モノをどんどん溜め込んでしまう。
でも、溜め込んだモノは、自分がいなくなれば誰かが片付けることになる。
その「誰か」は、もしかしたら子どもかもしれないし、遠縁の親族かもしれない。
「誰かの時間と体力を奪ってしまう前に、自分でできることは今のうちにやっておこう」
そう強く思いました。
■ 使わないものは、手放していく勇気を
今回の片付けを通して、改めて思いました。
1年間使わなかったものは、処分しても困らない。
必要なものだけを残し、身軽に暮らす。
老後を迎える自分自身のためにも、今を丁寧に整えておきたい。
少しずつでも、そういう暮らし方にシフトしていこうと思います。
「いつか」ではなく「今」だからできた
片付けは、心と体のエネルギーが必要です。
だから、「いつか」と思っているうちにどんどん後回しになってしまいます。
でも「今」ならまだできる。
たって私はまだ50代!(誕生日がくるまでの間だけど)
埃まみれだったガラスケースの向こうに、やっと見えてきた“本当に必要なもの”。
それは、これからの暮らしを軽くしてくれる「未来」です。
なんてね…。

人形よりもガラスケースの処分が大変


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