10年前、母の“終わり”を覚悟した。だが、いまの母は私の予想を裏切り続けている

グループホームにいる母に、3週間ぶりに会いに行きました。
前回は私が風邪をひいて面会を控えたため、少し間が空いてしまいました。

この3週間で、母の症状はどれくらい進んでいるのだろう。
そんな不安を抱えながら、ドアを開けました。

けれど母は、いつも通りよくしゃべり、よく笑い、そして何度も同じ話を繰り返していました。
元気でした。むしろ、前よりもさらに元気でした。

10年前、私は母の「終わり」を探していた

母がアルツハイマー型認知症だと確信したとき、私は図書館で本を読みあさりました。

・ 5年ほどで中期から末期へ移行することが多い
・ 10年以内に亡くなるケースが多い

そんな冷静な数字を、私は“知識”ではなく“母の未来”として読んでいました。

10年。
その数字を見たとき、私は母の“終わり”を想像し、心のどこかでカウントダウンを始めていたのです。

在宅介護のころ、言えなかった本音

在宅で介護していた初期の頃、母の暴言はひどいものでした。

「通帳返せ!」
「あんたは泥棒と一緒だね」
「私をバカにしてるでしょ!」

目の前にいる母は、もう私の知っている母ではありませんでした。
認知症の症状だと頭では理解していても、心は追いつきません。

悔しくて、悲しくて、怒りも湧いてきて、何度も涙がこぼれました。

そして――
早く終わってほしい。
そう思ったこともあります。

この終わりの見えない毎日が、暴言の嵐が、早く終わってほしいと心底願っていました。

その一方で、そんなことを考える自分を責めてもいました。
ひどい娘だな、と。

あれから10年。母は今日も生きている

あれから10年が経ちました。
母は今も元気です。

自分の足で歩き、トイレも自立。
紙パンツも使っていません。
声に張りがあり、よくしゃべる。
同じ話を何度もするけれど、その勢いは健在です。

ホームから届くおたよりには、いつもこう書かれています。

・ 検査異常なし
・ 食事ほぼ完食
・ レクリエーション参加

在宅で追い詰められていたあの頃より、いまのほうが母はずっと穏やかで、そして元気です。
私自身も、いまはとても穏やかでいられます。

あのとき「終わってほしい」と願った私も、いま母の元気を心から喜んでいる私も、どちらも本当の私です。

「そんなド田舎から来たの!?」

面会に行くと、母は必ず聞いてきます。

「どこから来たの?」

毎回、毎回、何度も、何度も。

その日、ふと思いついて、仮住まいの町名を答えてみました。

「そんな遠くから!?
そんなド田舎から来たの!?

ホールに響き渡る大声。

ちなみに、現在の仮住まいのアパートは、母が暮らすグループホームと同じ地域にあります。

スタッフさんの前でグループホームがある場所を“ド田舎”差別発言(笑)。
私は思わず声を出して笑いました。

ああ、母現在だ、と。

期限は、私の恐れが作った幻だった

10年前、私は数字に縛られていました。
期限を知れば覚悟ができると思っていたのです。

でも違いました。
私が欲しかったのは、未来の予測ではなく、いまの苦しさからの解放。

それでも母は今も生きています。
今日も歩き、しゃべり、笑いました。

「今日、元気だった」
それだけで、十分だと心の底から思えます。

10年前の私に言ってあげたい。

あのときのあなたは間違っていなかった。
ただ、追い詰められていただけだよ、と。

そしていまの私は思います。

人の時間は、思っているより、簡単には終わらないんだな、と。

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