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高齢の親と付き合うということ 母と私は時間のズレた同じ目的

母が認知症なのだと気付いたのは、父が急逝してから。
数年前から母の言動に首を傾げることはありましたが、それまでは父がカバーしていたこともあり、私はしっかりと母のことは見えていませんでした。

自分が認知症だという自覚のない母と向き合っていくことは、時には溜息が出るしイライラすることも多々あります。
それでも母と私は「穏やかに暮らしたい」という目的は一緒なのですから、今を受けれいてやっていこうと思いました。

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相続争い

父が亡くなってからの半年くらいは、毎日母と顔を合わせることがとても苦痛でした。
やらなければならない手続きは山のようにあるというのに、母は何一つできないし、やろうともしない。
それなのに、私が何か提案すると頭ごなしに否定する。

毎日母の言動にイライラし、母の言葉に傷つけられ、仕事から帰っても家の中に入るのが嫌で嫌でたまらなく、気がついたら車庫に車を入れてその中で1時間も寝ていた・・・ということもありました。

最大の出来事は、相続手続きを進めている私に向かって、母が「あんたは泥棒だ」と言ったこと。
おそらく後にも先にもこんなショックはないでしょう。

母がこれから暮らしていきやすいように、ただただそれだけを思っていました。
よりよい方法を相談しようと母にいろいろな策を提案したつもりでしたが、母は私が父の遺したお金に策略を加え「財産争い」をする「泥棒と同じ」だと思ったようです。

後日、母はこの出来事をまったく覚えていませんでしたが、私の心の中には今もそれがしこりとなって残っています。

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庭の維持管理

父が趣味でやっていた広い庭も、私にとっては悩みの種でした。
夫も私も仕事をしているし、土日も所用で家にいないことが多い。
父がそれまで手入れをしていた庭を、同じように維持管理できるわけがありません。

田舎ゆえに無駄に広すぎる庭は、父が自然のままの姿を大事にしていたため、たくさんの木々は伸び放題で虫たちの楽園と化していました。
何十年にわたってたい積した落ち葉の下も、虫たちにとっては最高に居心地のよい場所。
すぐに草はボーボーとなるので、草刈りだけで休日がつぶれてしまう日々。

快適に暮らすため、ローメンテナンスな庭にしたかったので、母に何度か話をしてみたことがありました。
例えば、一画には砂利を敷く、レンガなどで歩道を造ったり芝生化したりする。手が届かないくらい伸びた木は伐採する。畑は自分たちができるスペースがあれば十分である。一度プロの方に相談したい・・・などなど。

それでもやはり母は全面反対。
父がこれまで一人でやってきたのだから、夫や私もやれるでしょ・・・という考えの母。
無理だと伝えると、「草は生やしておけばいい」「木が伸びたところで誰にも迷惑はかけない」と取り付く島もありません。

母に何か意見を言うと、最後には母が怒り出し、私も気分が悪くなってそれで決裂。
結局いつもこうなるので、次第に私は母に新しい提案をするのをやめてしまいました。

今を受け入れる

母の価値観は絶対であり、それに意見を言おうものならヒステリックに怒る母。なんでこんな理不尽なことで怒られなきゃならないのだろうと、子ども心に思っていました。
それでも母の作る料理はおいしかった。
洋裁も得意で、私にたくさんの洋服を作ってくれた母。

母とは性格が合わないと感じながらも、結局私が実家に戻ってきたのは、母に育ててもらった恩を感じていたからなのかもしれません。

新聞を隅々まで読破し、豊富な知識と堅実な暮らしぶりの母でしたから、私は母が苦手と思っていても、どこかでは尊敬する部分もあったからかもしれません。

だから、認知症となってしまった母を見るのはつらいものがあります。

***************************

先日、町内会のアンケート用紙が回ってきました。
簡単なアンケート項目は20個ほどありましたが、母はそれを「なんだかわからないものが来た」と言って私によこしてきました。
後日、全戸回収に来るというので、そのアンケートは私が記載し、母へは町内の方が見えたら、このアンケート用紙を渡すようにと伝えました。

しかし翌日。
母は私が記入したアンケート用紙を回覧板に挟んで持ってきて、「急いでこれをお隣へ回して」と言うのです。
「今日中に回さなければならない」という母に、「これは私が書いたアンケート用紙で、後日町内の人が回収に来るということは、説明書にも書いてあるでしょ」と言うと、母は「こんな字は小さくて見えない」とか「読みにくい文章だから」と逆切れし、挙句の果てには「回覧板を届けてくれたお向かいさんが、今日中に(アンケート用紙を)回すようにと言っていた」という作話まで始めました。

それでも。

「じゃあ、お向かいさんが勘違いしたんだね。ほら、この用紙に〇日に回収にくるって書いてるよ」と母に穏やかに伝えると、母も「そうだったのー?」と素直な返事。

母が認知症であるという現状を認め、母のペースに合わせて話をする。
これができるまで、1年くらいかかりました。
1年以上前の私は、母のほうこそ間違っていると言わんばかりに母を否定していたのですから。

時間のズレた同じ目的

父が亡くなった後、私はひたすら父の遺品整理をすることだけを考えていました。
テレビでは盛んに「親が亡くなったあとの実家の片づけ」について、その大変さを放送していましたし、持たない暮らしとか断捨離ブームも追い風となっていました。

50代の私は、これから歳をとるごとに気力や体力はどんどん失われていくでしょう。
だからできる間に、やれるうちに片づけをしたかったのです。
老後は、すっきりシンプルに暮らすために、できるだけ早いうちにその暮らしに近づけておきたかったのです。

母が廊下で転倒した時、母は何度も何度も悔しそうに話をしていました。
「最後までこのまま何事もなく過ぎればいいなと思っていたのに、(転んで)なんてバカなことをしてしまったんだろう」と。

母の望みは、最後まで今の穏やかな暮らしを維持すること。
毎日の当たり前に過ぎていく時間を、今まで通り当たり前に暮らすこと。
それだけなんです。

私は自分の将来を穏やかに暮らせるようにと、今のうちにできることはやってしまいたかった。
だから、相続関係の手続きも急いで進めたし、庭の問題も早急になんとかしたかった。
自分が80歳になる頃には、穏やかでゆっくりとした暮らしを思い描いていました。

つまり、母も私も「穏やかに暮らしたい」という目的は一緒であり、お互い80代の自分を重ねていたのも一緒だったのです。

しかし、80代の母は今この時がすべて。
そして私は、20年30年先の、自分が80代になった時のことを考えている。
同じ目的なのに、そこに時間のズレがあるからぶつかり合ってしまうのです。
そして、生きてきた時代背景が違うから、価値観にズレが生じるのです。

高齢の親と付き合うこと、認知症の親と向き合うことは、自分のペースに合わせようとするからイライラしたりため息が出たりするものですが、親のペースに合わせていくことが大事なのですね。

もっとも、それが簡単にできないからみんな苦労をしているのでしょうけど。
でもこういう気づきって、自分をも成長させてくれるので、親のためにとやっていることが、いずれは自分に返ってくることなのかもしれません。

すべては母も私も穏やかに暮らすため。

コメント

  1. とも より:

    こんばんは。
    ちょっと離れた距離で、そらはなさん親子のいきさつを拝見しています。泥棒事件の頃と比べると、そらはなさんはかなり冷静にお母様のことを見ておられるなーと、感じます。
    友人に認知症病棟の看護師さんがいますが、そのプロでさえ実父母の老いに関しては、冷静に向き合えないと言ってました。時に感情的な向き合い方になってしまうそうです。
    先日、あさイチで認知症カフェのコーナーがありました。ゲストの綾戸智恵さんは、認知症のお母様を介護されてましたが、体調を崩してしまい、今は施設に預けてみえるそうです。
    コメントの中で、家族は親の老いに向き合うのは初めてのことで、認知症について知らないことが、状況を悪化させてしまう。できるだけ早く地域包括支援センター等に相談して、認知症にたいする理解を深めていくことが大切だと。
    また失言や暴言を吐いてしまった時はどうすれば良いかという質問には、
    「失敗しなはれ」と答えてみえました。気持ちが救われたように感じました。

    • そらはな より:

      ともさんへ♪
      母とは、嫌でも向き合っていくしかないし、これが私の母に対する恩返しかなぁとも思っています。
      みんな必ず歳をとるのだし、私もいつかはそうなったとき、今の母との出来事が少しでも役に立てばいいなぁとは思っています。
      でも。
      現実はきれいごとばかりではない(^-^;
      それでも、母が1年前と比べてかなり落ち着いて穏やかになったのは、薬のおかげなのか、私が扱い方がうまくなったのか(^-^;
      「失敗」して学ぶことってたくさんあるんですよね。

  2. 金色のぞう より:

    こんにちは

    そらはなさんの毎日は、私が失敗した日々を思い出させてくれます。そして、私にとっては、母の死でストップしていた失敗をそらはなさんがうまくいったり、振り出しに戻ったり、そらはなさんが成長?達観?していくのを繰り返すのを読んで、私のやり直しを叶えてくれているようで、追体験をいい形でさせていただいています。これからも、書き続けてくださいね

    • そらはな より:

      金色のぞうさんへ♪
      親が亡くなると、その時の感情がそのままストップしてしまいますよね。
      どんなカタチにせよ、親の死は必ず後悔がつきまとうものだと思っています。
      だからこそ、母に対してはできることはやろうと思っていますが、これがなかなか難しいのですよね(^-^;

  3. あべま より:

    こんにちは。
    認知症の父が年末に入院をし、急性期を過ぎ医療療養型病床に転院しました。
    腎臓、心臓が悪くこれ以上の手はつくせないということでした。

    遺されることになるであろう母を今、懸命に支えています。
    そんな時、そらはなさんとお母様とのやり取りが思い出されます。
    娘と言っても母を丸ごと受け入れることは難しいですよね。

    そらはなさんに教えてもらい、重曹まで用意したのに
    換気扇の掃除はできなくなってしまいました。

    • そらはな より:

      あべまさんへ♪
      お父様、入院中なのですね。
      私は前日まで元気だった父が突然逝ってしまったので、父の死についてゆっくり考える時間もありませんでした。
      あべまさんも、今いろんな感情があふれているのではないでしょうか。
      重曹の掃除なんて、いつでもできるのですから、今はお母さまを支えてくださいね。

  4. ステラ より:

    そらはなさん

    初めまして。
    たま~に、お邪魔して読んでいるステラと申します。
    日に日に年老いていく両親を思うと、どう向き合っていけばよいか?
    と、不安になりますが、
    そらはなさんのブログで、「なるほど~。」と、
    前向きな気持ちに戻れる事も多々です。

    お正月に実家へ帰り、お節をつついていて食べ始めて、
    「ん?何か、おかしい。」と感じ。
    テレビのお正月特番を観ながら、毎年食べているのに、
    母は、いつもの、お気に入りの韓流ドラマをケーブルテレビで見続けている。。。
    何も言わない父。。。

    私 「お母さん、このドラマ好きなの~?」
    母 「うん。面白いんよ、これ。」
    私 「へぇ。これ、ケーブルテレビのドラマなん?」
    母 「うん、うん。(もぐもぐ)。」
    私 「今日、最終回なの~?」
    母 「いいや、ちゃうよー。」
    私 「あ、じゃあ、せっかく今日は元旦だし、テレビの特番、何がやってるか観てみようか~?」
    母 「ああ、そやねー。」 (やっと、家族で観れるお正月番組に変えてくれる。)

    外出も億劫がるようになってきたので、認知症の兆候かも、と、
    心配になってきています。

    イライラせずに会話するって、難しいですね。
    私の器が小さいのかもしれませんが。

    モノで溢れかえった実家も、「私が整理する事になるのかな?」と考えると
    気が重くなります。

    そらはなさんのブログをヒントに、少しづつ、取り掛かっていこうと思います。

    • そらはな より:

      ステラさんへ♪
      はじめまして(#^^#)
      私、テレビで映画を2時間見るのが辛くなってきました(^-^;
      なので、歳をとるとテレビにさえ集中できなくなるものだと思っています。
      お母様も、なんとなく毎日の行動でなんとなくテレビを流しているという感じなのでしょうか。
      うちの母も、テレビはつけていても、果たして内容は理解しているのかわかりません。
      それでも、まだ自分の身の回りのことは自分でできるので、幸せなことだと思っています。
      器は、鍛えられて大きくなっていくものだと思いますよ~。
      鍛えてくれるご両親がご健在なので、ありがたいですね。
      だけど、私も母に「(実家にあるものは)私が死んだら全部捨ててくれ」と、今でも言われるのがカチンときます。
      ああー。鍛錬、鍛錬・・・。

  5. おれんじ より:

    私もときど~き拝見させていただいておりますが
    だんだん落ち着いていい感じになっていかれているのですね
    画面のこちらにいる私までホッとしました。
    お母さんもそらはなさんも消耗されませんように!

    • そらはな より:

      おれんじさんへ♪
      こんにちは。
      認知症の薬を比較的早く飲み始めたせいなのかどうかはわかりませんが、1年前の母と比べるとかなり穏やかになりました。
      最近は言い争うこともないですし、平穏な日々が続いています。
      母は新しい変化というものが苦手なので、このままできる限り現状維持でいけたらいいなぁと思っています。