グループホームに暮らす母に、1ヶ月ぶりに会ってきました。
前回はコロナの流行で面会を見送ったので、「やっと会える」という期待と、少しの緊張が入り混じります。
思った以上に元気な母の姿
母は思った以上に元気で、まずはひと安心。
髪を切ってもらったのか、整ったグレイヘアが笑顔をいっそう明るく見せています。
「身体の痛いところはなし」「ご飯もおいしく食べている」とのこと。
家で暮らしていた頃よりも、むしろ生き生きして見えました。
グループホームでの生活が母に合っているのだと、改めて実感しました。
弟の記憶をたどってみると
母に、亡くなった弟のことを尋ねてみました。
すると「今どうしているのかしら」「どこに住んでいるのか分からない」と答えます。
実際弟は、20年以上前に癌で亡くなりました。
離婚して東京で働いていた弟のことを、母は陰ながら応援していたし、癌になって入退院を繰り返した時も、母は何度も上京しています。
葬儀や手続きにも奔走しました。
あれほど大変な出来事だったのに、その記憶がすっかり抜け落ちていることに驚きを覚えます。
姉夫婦は「まだ健在」と信じている
一方で、3〜4年前に亡くなった姉夫婦については「元気にしている」と断言します。
こちらは、認知症である母に知らせなかったので理解できますが、弟の最期のように強烈に印象に残っていてもおかしくない記憶まで消えてしまうのは、やはり認知症の不思議さを感じます。
認知症と記憶の仕組み
認知症では「エピソード記憶(体験の記憶)」が特に失われやすいと言われています。
新しい出来事や近しい人の死は忘れやすく、反対に若いころの思い出や習慣は比較的長く残るのが特徴です。
母の場合も、
・5〜6年前に亡くなった姉夫婦 → 「健在だ」と思い込む
・20年以上前に亡くなった弟 → 「どこに住んでいるのか分からない」と混乱する
というように、時間の感覚が前後し、記憶の一部が抜け落ちているように見えます。
つまり「忘れた」というよりも、「思い出の引き出しの鍵が見つからない」状態なのかもしれません。
忘れることは必ずしも不幸ではない
母を見ていると、「認知症=不幸」とは言い切れないと感じます。
家族にとっては切ないことでも、母自身は悲しみから解放されているからです。
母にとって弟は「まだどこかで元気に暮らしている人」。
その世界で安心できているなら、それはそれで幸せなことなのかもしれません。
介護する側の心の持ち方
認知症の人に「違うよ」「もう亡くなったでしょ」と訂正しても、混乱や不安を招くだけです。
むしろ「そうなんだね」「元気でいてくれるといいね」と共感し寄り添うことで、お互いに穏やかでいられます。

実際に母にも「元気で暮らしているから大丈夫だよ」と伝えると、
「それでいいんだ。この年になると兄弟のことなんてかまってられないもの!」と、いつもの調子で笑っていました。
介護は「記憶を取り戻させること」よりも「その時の安心を守ること」が大切。
母とのやり取りを通じて、そのことを改めて学びました。
面会のときに心がけていること
私が母と面会するときに意識しているのは、次の3つです。
1. 会話を訂正せずに受け止める
2. 母が安心できる言葉を選ぶ
3. 「今この時間」を一緒に楽しむ
正しさよりも安心感を大事にすることで、面会が穏やかな時間になります。
「悲しいことを忘れる力」もまた贈り物
認知症は確かに大変な面もあります。
でも同時に「悲しいことを忘れる力」という贈り物をもたらすのかもしれません。
母の世界に寄り添いながら、その時々の安心を守っていく。
それがこれからの介護の私のテーマになりそうです。


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