メイクは「自分を楽しませる時間」から.「社会に迷惑をかけないための最低限の身だしなみ」。
年齢を重ねるたびに、そんな位置づけに変わってきた気がします。
だからこそ、朝の支度がとにかく辛い。
部屋は暗く、目はぼんやり。
鏡に向かっても、輪郭が霞んで見える。
気づけば私は、
「よく見えないまま一日を始めること」に慣れてしまっていたのかもしれません。
「女優鏡」という名前に、少しだけ抵抗があった
思い切って“女優鏡”を買いました。
……と書きながら、この名前にはやっぱり抵抗があります。
若さや華やかさを前提にしたような響き。
その世界に、今の自分がそっと弾かれるような感覚。
でも実際に使ってみてわかったのは、これは女優のためではなく、
見えにくさを抱えた私のための鏡だったということ。
朝の光が足りないと、気持ちまで曇る
以前の家は南東向きで、朝日が惜しみなく入ってきました。
自然光だけでメイクができる、あの明るさ。
今の仮住まいは南西向き。
朝は薄暗く、影ばかりが目につきます。
そこへ老眼、乱視、ショボショボ、パサパサ。
まるで“見えない理由”が丁寧に揃えられているようで、鏡の前で目を細める時間が増えていきました。
箱の上の鏡に、ふと我慢の限界を知る
LEDライトが壊れた三面鏡を、段ボール箱の上にのせて使っていました。
高さが足りないから、毎朝少しずつ角度を調整して。
ある朝、箱がわずかに傾いて、三面鏡が落ちて、鏡の一部が壊れてしまいました。
その瞬間、胸の奥で小さく何かが切れました。
「私は、いつまで“間に合わせの暮らし”を続けるつもりなんだろう」
不便に慣れ、不便に合わせ、不便を正当化していたのは自分ではないか、と。
スタンド式の鏡が、朝を取り戻してくれた
迎えたのは、スタンド式のLEDライト付き鏡。
直径20cm。高さ調整ができて、充電式。

スタンド式で高さ調整ができる。顔を下げなくていいのが想像以上に楽
箱から出した瞬間は「大きい…」とたじろぎましたが、数日で「この大きさでなければ意味がなかった」に変わりました。
顔を下げなくていい。
覗き込まなくていい。
ただ自然に座って、自然に見える。
それだけで、朝がこんなに軽くなるとは。
見えすぎるけれど、逃げなくていい
裏の5倍鏡は、正直こわいほどよく見えます。
産毛も、小さな白髪も。
肌の乾燥も、目の下の影も。
全部、隠しようがないほどくっきり。(怖すぎる)
でも、逃げても年齢は追いついてくる。
ならば、ちゃんと見えるほうがいい。
見えるということは、整えられるということでもある。

5倍鏡。現実がはっきり映るけれど、身だしなみの安心感は段違い
そう思えたとき、
鏡に映る自分を受け入れる気持ちが、少しだけ楽になりました。
朝のメイクが「作業」ではなくなった
この鏡にしてから、朝のメイクが変わりました。
急がなくていい。
無理に顔を近づけなくてもいい。
「まあ、これで大丈夫」と思える。
ほんの小さな変化だけれど、一日の始まりとしては十分すぎるほど大きい。
60歳の朝には、60歳のための鏡があった
2026年はまだ始まったばかり。
それでも迷わず言えます。
これは今年のベストバイ。
若い頃のように勢いだけで整えられる朝ではなくなった。
でも、年齢を重ねたからこそ、助けてくれる道具がある。
60歳の朝には、60歳のための鏡がありました。


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