60代からの静かな再スタート──一針から始まる私の第二の人生

60歳になって、ようやく気づいたことがあります。
“青春”は、若い頃だけのものではなかったのだと。

仕事も家庭もひと区切りつき、体力の変化を感じる年齢になって、「このまま歳を重ねていくのだろうか」と、ふと立ち止まる瞬間があります。

そんなとき、久しぶりに会った“同期”の彼女が、 止まりかけていた私の時間を、そっと動かしてくれました。

同期があなたでよかった

彼女と一緒にランチタイム

「同期があなたでよかった」
その言葉を、ようやく口にできました。

6歳年上の彼女。
それでも“同期”という肩書きが、私たちを同じ高さに立たせてくれました。

久しぶりに会ったその日、彼女の笑顔を見た瞬間、はっきりとわかったのです。

私はずっと、この人に触発されながら生きてきたのだと。

歩幅の変わらない人

40代で大きな病気を経験した彼女は、こう言います。
「やりたいこと全部やって、残りの人生楽しみたい」

ドラム、バイオリン、落語。
土器づくりにガラス細工。
ほぼ毎日通うジムでの筋トレ。

思いついたら、迷う前に申し込む人です。

今年やりたいことは健康マージャン。
4月開校の教室に、もう名前を連ねていました。

どうして彼女はこんなにも、次々と行動に移せるのでしょう。
あれだけの大病をして、弱るどころか、むしろ勢いを増している。

その姿を見ながら、私は別のことを考えていました。
これまで何もなかった私は、なんとのんびり生きてきたのだろう、と。

大きな決断も、痛みもなく、「そのうち」「いつか」と言いながら、時間をやり過ごしてきただけではなかったか。

本当に怖いのは病気ではない。
何も挑戦しないまま、歳だけを重ねていくことなのではないか。

その思いが、胸の奥に残りました。

あの頃の私たち

青森のねぶた祭に突然出かけ、宿が取れず布団収納部屋に泊まった夜。

気の向くままに車を走らせ、毛布一枚で雑魚寝したバンガロー。

海辺で火を起こし、大量のサザエを焼いた夕暮れ空の色。

カラオケボックスで夜通し歌って踊ったこと。

どの場面にも、彼女の声がありました。
「行こうよ」
「やってみようよ」

慎重で、不安がちで、そのくせ面倒くさがりの私。
でも彼女の隣にいると、不思議と足が前に出ました。

あの頃の私は、自分で動いていたというより、彼女の勢いに引っ張られていたのかもしれません。

立ち止まっていたのは私

今もご主人と旅を楽しむ彼女を見て、私はずっと遠慮していました。
自分から「また旅行に行こう」と言えませんでした。

でも彼女は、昔と同じ声で言いました。
「また一緒に旅行行きたいね。近場でいいからさ」

その瞬間、胸の奥で固まっていたものが崩れ、私は二つ返事で言いました。

「今年、絶対決行しようね!」

その言葉は、旅行の約束であると同時に、止まりかけていた自分を動かす約束でもありました。

一針から逃げない

家庭菜園や庭づくり、家を整えること。それはこれまでも続けてきたことです。

でもそれは、私にとって安心できる場所でした。

慣れたこと。失敗しにくいこと。

けれど、ふと気づいたのです。
新しいひとつが足りない。

雨の日や冬の日にできる新しいこと。

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その時、なぜか頭に浮かんだのは「刺繍」でした。

針仕事の苦手な私が刺繍ですって?!?!

だからこそ、やってみたいと思いました。

まずはガーゼのハンカチに、庭の花を刺す。
一針ごとに、止まっていた時間が少しずつ動き出す気がする。
そして上手くできるようになったら、彼女に渡したい。

60歳になって、「青春」という言葉は少し照れくさい。
でも、まだやれると信じて動き出すことを青春と呼ぶなら——
私は、もう一度そこに立ちたいのです。

大きな挑戦ではないし、派手さもない。
でも、何も挑戦しないまま歳を重ねる人生の、なんともったいないことよ。

今年は、彼女と旅に出ます。

そして私は、一針から始めます。

 

 

 

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