北鎌倉【葉祥明美術館】は美しい原画と言葉の数々に泣ける

北鎌倉にある【葉祥明美術館】は、まるで友人宅に遊びに行ったような感覚で、ほっこり癒されます。
「画家で詩人のお父さんとお母さん、10才のリラちゃんと5才のクロード君の家族4人が住んでいたという物語をコンセプトに建てられた」そうなので、美術館というよりも、お宅にお邪魔したかのような感覚になるのです。

パステルトーンの絵は、吸い込まれていくような美しさがありますが、葉祥明さんが綴る言葉の数々に感動し、心が震えました。

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建長寺から葉祥明美術館への道のり

建長寺を後にしたのは午前10時。
そこから来た道を戻りつつ、今度は葉祥明美術館を目指します。

横須賀線の踏切の手前で右側の小道に入ると、今までの景色とはガラリと変わって、銀杏が美しい並木道が目の前に広がります。

10時頃にもなると、ぞろぞろと歩く観光客で、小さな小道は占領されているのですが、この時びっくりしたのが、この小道を乗用車も通れば宅急便のトラックも行き交うってこと。

なぜならこの小道沿いには、一般の住宅があるので、そこで暮らす人たちは普通に車で通るのですよね。

こんな素敵な街に暮らしているなんてステキだなぁ・・・と思う反面、常に家の前を観光客が行き交う状態ってどうだろう?と思ったり。
だからこそ、観光客は観光客のマナーを守らなければならないのよね・・・と改めて考えたり。

すると、さりげなく左手側に現れたのが【葉祥明美術館】
ぎゃーっ!学生時代からあこがれていた作家さんの美術館が目の前にあるっ!
門があって、お庭があって、素敵な一軒家。

・・・と、その前に、時間に少し余裕があったので、この先の明月院まで行ってみることにしました。

明月院

北鎌倉明月院は、あじさい寺としてあまりにも有名。
たしかニュースで、「今年はあじさいがあまり咲かないのでおかしい」と聞いていましたが、実際はどうだったんだろう。

あじさい寺ならば、やっぱりあじさいの季節に訪れたいという気持ちがあったので、今回は中には入らず外から眺めるだけ。

しかし、あじさいに劣らず紅葉もとてもきれいでした。

時間があれば入ってみたかったのですけどね。

明月院は、正面入り口を通って拝観口につながる道も、すばらしい紅葉を楽しませてくれます。

途中の茶々橋には、ウサギとカメが!
カメさん、ケガをしているようで、包帯が巻かれておりました。

明月院の中には、たくさんのウサギ(のオブジェ)がいるそうです。
古来より日本では、お月さまでウサギが餅つきをしているといういわれがありますが、明月院とウサギとの関係はそこからくるのかな?
実際に中には入らなかったので、今度来るときのお楽しみということで。

葉祥明美術館

さてさて、再び葉祥明美術館へと戻ってきました。

12月なので、門にはクリスマスリースが。

玄関入り口にもクリスマスツリー。

窓を取り囲むツル植物も絵になります。

我が家がこうだったら、ぎゃーっ、葉っぱがーっ!虫がーっ!って騒いでいるところでしょうけどね。

美術館の中は、撮影禁止なので残念ながら写真はここまでです。

館内はこんな造りになっていて、個人のお宅へおじゃましたような感覚で、作品をみることができます。

葉祥明オフィシャルブログには、クリスマスの装飾をしたお部屋の写真がアップされていますので、館内の雰囲気はこちらを見れば少しは伝わると思います。

 12月に入り、なかなかブログ更新ができずにおります…。し、師走…というところでしょうか…。 そして、今年もクリスマスツリーを展示室と玄関に飾りました!展示室は清潔感のある&ld

葉祥明の作品に感じること

葉祥明の絵は、パステルトーンを基調としながらも、どこまでも広がる透明感が大好きです。

学生時代に好きだった絵の構図は、どこまでも広がる草原にポツンと描かれた一軒家とか、並木道。こんな風景の中を散歩したいなぁと思わせるような作品が大好きでした。

しかし、今回葉祥明美術館を実際に訪れてみて、原画を目の前にしたときには、学生時代に感じた絵の印象とはまたちがった感覚。心の中のモヤモヤ感がすべて洗い流されるような、まるで自分が生まれ変わったような、そんな感覚に陥りました。

淡いピンク色から紫色に変わるグラデーションの原画は、もうこの世の景色とは思えない神聖な尊さを感じ、あの世もこんな感じだったらいいなぁ・・・なんてぼんやりと考えていて。

その次に心を奪われた原画は、深い深い藍色のグラデーションの中にポツンとひとつの光。
つけられたタイトルは「宇宙葬」。
見事にやられましたよ。涙が出そうでした。

学生時代にみていた葉祥明の世界とは、またちがうのですよね。
絵というものは、その時の自分の生き方とか取り巻く環境などにより、その絵のメッセージもちがったものに見えてくるんですね。不思議なものです。

葉祥明のメッセージ

葉祥明の絵本作家としての作品はたくさんあり、そのメッセージはどれも心に響くものがあります。
美術館の中では、ソファーに腰掛けて絵本を手に取りゆっくりと読むことができるのですが、私が心に最も残ったものが3つありました。
全部の絵本を読んだわけではないので、たまたま気になって手に取った作品なのですが。

ひとつは「虹の橋」という絵本。
インターネット上で話題となった作者不詳の「虹の橋」という詩に、葉祥明の絵が見事にマッチした素敵な作品。

大切なペットが亡くなったあと、そのペットが虹の橋では大好きな飼い主のことを想いながら過ごしているんだよ、いつかまた飼い主と会える日を楽しみに待っているんだよ・・・というのが切々と描かれていて、切なくて泣けてきます。

あなたは、いのちの永遠性を信じますか?
もし、心のどこかで、そう感じるなら、人とペットのあいだの愛も、
決して、この世だけのものではないとわかるでしょう。
おたがいのなかに、愛があるかぎり、その絆は消えることはないのです。
動物好きな人にとって、先にこの世を旅立ったかれらとの再会は、
大いなる歓びとなるにちがいありません。

葉祥明

そして2つめ。

「母親というものは」という葉祥明の詩。

母親というものは
無欲なものです
我が子がどんなに偉くなるよりも
どんなにお金持ちになるよりも
毎日元気でいてくれることを
心の底から願います

どんな高価な贈り物より
我が子の優しいひと言で
十分すぎる程幸せになれる

母親というものは
実に本当に無欲なものです

だから
母親を泣かすのは
この世で一番いけないことなのです

ああー、泣けた。じわじわと泣けた。
真っ先にわが子たちの顔を思い浮かべ、それから自分の母のことも想いました。
そーなんだよ、本当にその通りなんだよ。
親に育てられて、そして私も親になって、子どもの頃にはわからなかった親の気持ちというのも少しはわかるようになって、それらをすべて代弁してくれたのがこの詩なのでした。

そして3つめが「孤独とは」という詩。

私たちは孤独を辛いことだと思い、
孤独から逃げることに心を砕きがちです。
しかし、元々人間は、各個人の心の
奥深いところでは、誰も孤独なのです。
いわば、人間にとって孤独は、
当たり前の姿なのです。
だから、孤独を忘れず、嫌わず、
むしろ自分の人生の最も親しい友とし、
孤独を愛し、自分を見つめること…
それが、自分が幸せに生きるための
確かな道の一つではないでしょうか。

身近な人の死を経験し、自分にもいつかは必ず訪れる死というものを考えるようになった時、これからの生き方のヒントになるなぁ・・・と思ったのです。

人間は、生まれてくるときも一人、亡くなるときも一人なのですから。

北鎌倉 葉祥明美術館

◆開館時間:10:00~17:00(年末年始は16:00まで)

◆休館日:なし(年中無休)

◆入館料:大人700円 / 小中学生350円

◆住所:神奈川県鎌倉市山ノ内318-4

◆電話:0467-24-4860

北鎌倉の旅が、こんなにリフレッシュできるとは思っていませんでした。

心が軽くなったところで、お腹もすいてきました。
ランチは「笹の葉」の精進料理へ。

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コメント

  1. T M ♪ より:

    『虹の橋』と『母親というものは』は知ってました。
    『孤独とは』は初めて見ましたけれども、一番共感しました。もう随分長いこと、孤独を友にしてきましたから。

    『母親というものは』
    葉さんが見聞きするお母さんたちはきっとそうだったんだろうなと思います。幸せな世界です。
    空花さんのお子さんに対する想いも、ピュアにその通りなのでしょうね。
    …前に美輪明宏さんが『ヨイトマケの唄』に関連して語っていたお話もそうだった ── 戦後貧しい頃、20ソコソコの若い母親の慈愛に溢れた姿。
    美智子様は、初めてのご懐妊時のインタビューでどんなお子さんを望むかと聞かれて、
    生まれてきた子の全てを受け入れるので望みなどない、ただ、健やかに思いやり深い人に育ってくれればと願います、というようなことを仰いました。

    でもね、皆が皆、そうではない。
    自分がそうでないことを引け目を感じることもないし、欠陥品のように思うこともない。罪悪感を持つこともない。
    いろいろ折り合いつけながら〝自分〟で生きていくしかないのだから。

    子どもを支配する親、
    子どもにたかる親、
    自殺未遂をした子のこと、しばらくの間は家庭側が登校までは目を離さないでほしい、学校と下校時は学校側でみるので…と言われて、仕事があるのにそんな暇ないと言う親、などなど、見てきました。
    私の友人は、母親の望むようなエリートになれなかったことに引け目を感じ、償うかのように贅沢なお嬢さん育ちの母親の面倒を見て生きています。

    私の見た所、そんな親子関係はごく少数派の特殊なものとも言い切れないようです。

    皆それぞれいろんな事情を抱えてる。
    そこでもがきながら一所懸命生きている。
    ここでも、母親との関わりに苦しむ人が気持ちを吐露してらしたものね。
    そういう〝母親〟でなくても、そういう〝母親〟を持ってなくても、大丈夫。
    がんばって生きていきましょう。自分なりに自分で幸せになりましょう。

    • そらはな より:

      TM♪さんへ♪
      「母親というものは」で、真っ先に浮かんだのは子どもたちのことなんですよね。
      我が子たちは、こんな親の気持ちがわかるかな、わかんないだろうな。
      だって私も若い頃は、これっぽっちもわかっていなかったのですから。
      親の愛は無償の愛。でもそれをわざわざ言ってしまうと、無償じゃなくなってしまうのですよね。思わずこの詩が書かれたポストカードを買って帰ろうかと思ったのですが、やめておきました(^-^;
      親との関係に悩む人はとても多いと思います。
      他人だったら離れればいいものを、親と子というつながりで、それもできずに苦しんでいる人も多いのでしょうね。
      私は、母の言い方が嫌で、それにたくさん傷つけられてきたわけですが、この歳になって母の言葉の裏にはこんな意味もあったのかな?とかあれこれ考えるようになって。
      でも、たとえ親子であっても何を言ってもいいってことにはなりませんよね。
      自分なりに自分で幸せになる。本当にその通りだと思います。

  2. るり玉 より:

    こんにちは。

    この季節の鎌倉も素敵ですね。
    私は今年紫陽花の季節に行ってきました。

    壮観な竹の庭を歩き、
    それを前にお抹茶をいただく竹庭の「報国寺」

    鬱蒼と美しい緑をふっくらとたたえた苔庭の「妙法寺」
    苔で覆われた階段の美しいこと!

    どちらも息を飲むほど美しく、
    ゆっくりと梅雨時期の緑を楽しめるお寺でした。

    6月の鎌倉は駅周辺などはものすごい人でしたが、
    このふたつのお寺はひっそりと静かでオススメです(*´∀`*)
    心が洗われるような大人のお寺巡りでした。

    「母親というものは」
    私もそういう気持ちで子どもたちと接してきたつもりです。
    でも自分の母親にはそうした接し方をしてもらっていないので、
    やっぱり怒り、辛さの感情しか沸いてこないです。
    母親にはこの文章は当てはまらない、一生許すことはできない。
    この愛に溢れた文章を読んでもそんな感情しか沸いてこない私自身は、
    悲しいことに何かが欠落しているのだわ。。。

    そらはなさんがご紹介くださったお寺や美術館、
    いつか主人と行きたいな~(*´∀`*)

    • そらはな より:

      るり玉さんへ♪
      紫陽花の季節の鎌倉!素敵でしょうねー。
      報国寺や妙法寺も、今度はぜひぜひ訪ねてみたいと思います。
      親との関係に悩む方って、実はとても多いと思っています。
      ただそれを、直接口にする人は少なくて。親子は仲が良くて当たり前・・・ではないと思っています。
      いろんな親もいて、いろんな子どももいて。
      社会に出て一人で生きていくようになったら、もう別々の道を生きていくんですもんね。
      どういう風につきあっていくかは、みんなそれぞれでいいんですよね。
      るり玉さんが、お母さんに対してはっきりきっぱりと言えるのは、すでに母親から離れて自分の道をしっかり歩いている証拠なんでしょうね。

  3. このちな より:

    こんにちは毎日楽しみに読まさせていただいています 母親というものは を初めて読まさせていただきました 涙腺が緩みそうなお話なのですが もしも 自分の子供が障害者であった場合 健康であればいいと言う その望みさえも奪われているわけです ですからこの 歌を読んで 全てのお母さんが慰められているわけでもないと思います むしろすごく引っかかるものを感じてしまう場合もあるのではないかと思いました また孤独にしましても 障害者の方の場合 親兄弟が亡くなってしまっている 場合 があります また 障害があるゆえに 子供を持つ生殖機能が失われている場合もあります 色々なことを考えさせられる 歌だと思いました 障害のある子供を持っている親は 自分が死んでいく時のことよりも 我が子が一人で死んで行く時のことを思うと 胸がつぶれるような思いがするのではないでしょうか しかし子供持った喜びは 障害児であれ健常児であれ 確かに存在すると思います そしてどんな命であっても 尊いものであり 二度とその命は 芽生えることがない それを思うと 命があるということはそれだけで 最も大切なことだと思います

    • そらはな より:

      このちなさんへ♪
      こんにちは(#^^#)
      おっしゃる通り、万人に受け入れられるものってないのですよね。
      昔、私は年賀状に「健康第一」とよく書いていたのですが、京都のお寺の標語で「健康第一と言うけれど、病の人はどうすればいい」というのを目にして、頭が殴られた思いでした。
      健康であっても病気であっても、与えられた命を一生懸命生きることが大事なんですよね。
      だから「母親というもの」がどうであれ、「孤独というもの」がどうであれ、自分なりに一生懸命生きていけばいいのかなーと思っています。
      このちなさんの言うとおり、「命」あっての幸せですね。