60歳になって、ふと気づいたことがあります。
趣味がなくなると、人はこんなにも“どこに自分を置けばいいのか”わからなくなるのだと。
園芸のない朝は、時間だけが先に歩いていき、私はその後ろをただ見送っているようでした。
趣味の園芸
私の趣味のひとつは、園芸です。
土に触れ、芽が出て、育っていく。
そのゆっくりした変化に、日々のリズムを預けることがてきていたのだと思います。
朝、土の乾きを確かめる。
変化がなくても、それを見る。
それだけで、「今日も大丈夫だ」と思えます。
趣味がない仮住まい暮らし
今は仮住まいのアパート暮らし。
庭はなく、プランターを置く場所もありません。
そして季節は冬。
これまでは室内でサニーレタスを育てていましたが、仮住まいでは、そんな気持ちにもなれず。
朝、カーテンを開けても、目の前に広がる庭もなければ、土の匂いもない。
手を伸ばせば届いたはずの“いつもの土”が、どこにもない。
あの習慣がなくなっただけで、一日の始まりが少し物足りない。
“何かが足りない”というより、“どこに自分を置けばいいのかわからない”——
そんな感覚に近いものでした。
連れてきたゼラニウム
それでも、ゼラニウムとシクラメンだけは連れてきました。
これだけは、置いていけなかったのです。
とくにゼラニウムは、園芸を始めた頃に初めて種から育てた花。

よそよそしい部屋の中で、その鉢だけが、これまでの時間とつながっているように感じました。
そして春めいてきた3月のある朝。
ゼラニウムに、小さなつぼみが上がってきているのを見つけました。

ゼラニウムのつぼみ
ほんの小さな変化でしたが、その瞬間、胸の奥に張りついていたものが、すっとゆるみました。
ああ、私はこれを待っていたんだ。
そのつぼみが、私の冬を終わらせてくれた気がしました。
趣味とは
趣味とは、単なる時間つぶしではありません。
やらなくてもいいのに、やると自分が満たされるもの。
お金にならなくてもいいし、上手じゃなくてもいい。
誰かに評価されなくても、「やっている時間が楽しい」と思えるもの。
そして、何もしていない時間に、心が迷子にならないための“置きどころ”。
私の趣味の本質は、おそらく
育てること
季節を感じること
手をかけて変化を見ること
なんだと気が付きました。
仮住まいで、趣味はできなくなったと思っていたけれど、ちゃんと、ここにありました。
ゼラニウムが、春の訪れとともに花を咲かせ始めています。

ゼラニウムが再び咲き始めた
目の前に庭がなくても、そこに、自分の心を置ける場所があれば、
暮らしは、ちゃんと動き出すのだと感じています。


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