「私なんて、いつ死んでもいいんだ。早く死にたい」
たまに母はこんな言葉を口にします。
そんな時、私は一言だけ言葉を返します。
「ふーん。そうなんだ」と。
だって、本当に死にたいと思っている人は、病院へ連れていってくれ・・・なんて言いませんよね。
1週間晩ごはん献立まとめ

2月7日 ホルモン鍋
*夫のお土産:豚ホルモン
*冷凍保存のもの:いかフライ・あじフライ・油揚げ

2月8日 ミックスフライ
いかとアジのフライ(冷凍食品)
豚ホルモン(前日残り)
油揚げと三つ葉の味噌汁

2月9日 ポークカレー
ポークカレー
野菜スティック(きゅうり・フルーツ人参・レディ大根)
あのコンビニの野菜スティック味噌マヨ味! by みーやん(^^)

2月10日 カルボナーラ
生クリームで作るカルボナーラ by mackato
コーンとツナのサラダ
*夫、不在

2月11日 鶏手羽元と大根の煮物
簡単✿鶏手羽元と大根&卵の煮物 by トーイまま
北海道流❤鱈の子和えこんにゃく by rubi0314
アボカドとキャベツのサラダ
わかめとねぎの味噌汁

2月12日 蕎麦とかき揚げ
温蕎麦
干しエビとにんにくの芽のかき揚げ
キャベツとカニカマのサラダ
鶏手羽元の煮もの(前日残り)
辛子明太子おにぎり

2月13日 チャーハン
ベーコンとにんにくの芽のチャーハン
冷凍イカフライ
真鱈の子あえ(残りもの)
冷ややっこキムチのせ
チンゲン菜と卵のトロトロスープ by ノエル・ギャラガー
今週の副食費
2月7日~2月13日の副食費 4,668円 (一人一日あたりの副食費 222円)
鼻の上(鼻根部)の赤いアザが広がってきたと、母が気にするようになったのが1週間前。
見るとそれは、こすって赤くなったようにも見えるし、内出血しているようにも見えるし・・・。
歳をとると、皮膚も薄くなるし、毛細血管も弱くなるから、ちょっとした刺激で内出血もするだろうなぁ・・・と思いつつ
「どこかにぶつけた?かゆくてこすった?」と母に聞いても
「一切ぶつけていないし、かいてもいない。なんにもしていないのに、いつの間にか赤いアザが広がってきた」とのこと。
様子をみるようにと話して、一度は納得した母でしたが、やはりどうしても気になるようで、病院へ連れて行ってほしいと言い出しました。
そして、捨て台詞のように
「私なんていつ死んでもいいんだ。早く死にたい」の言葉。
あのね。
いつ死んでもいい人は、病院へ行きたいなんて言わないよ。
軽度認知障害のある母の言葉。自分で言ったことをどこまで覚えているかはわかりませんが、母の言葉を否定せず、今の世界観をそのまま受け入れるならば
「死にたいのね。そうか、そうか」と肯定して受け止めるべきなのか
「そんなこと言わないでよ!まだまだ元気でいてもらわなきゃ困るじゃないの!」と励ますべきなのか。
その答えはわからないまま。
だから私は「ふーん、そうなんだ」と母に聞こえているかわからないような小さな声で言い返す。
結局、皮膚科での診断は、「なんらかの刺激による毛細血管の内出血」
よって、特に薬もなければ治療もなし。
「じゃあ、どうすればいいのですか?」と食い下がる母に、医師は「冷やしましょうか」とのお答え。
その日から毎日母は、鼻の上に小さな保冷剤をあてて一生懸命冷やしました。
後日、その内出血のアザが、老眼鏡によるものだと判明。ソファーに横になりながら老眼鏡をかけて新聞をみていたのだとか。
「寝ながら眼鏡かけていたから、圧迫されたんだねぇ」と母も納得。
鼻の上の赤いアザの原因がわかった母は、その後「いつ死んでもいい」なんて言葉は言わなくなりました。
歳老いて生きていくということは、常にいろんな不安がつきまとうもの。
それを「死にたい」と誰かに吐き出すことによって、少しでも気持ちが楽になるのなら、そんな母の言葉も受け止めてあげたいと思いました。
同時に、私は「死ぬその日」まで、「生きることを楽しもう」とも思いました。
誰かが何かを与えてくれるのを待つ人生ではなくて、自分で毎日楽しめる何かを見つける人生でありたいな・・・。
コメント
こんにちは。
わたしの母親は85歳ですが、若い頃から色黒が悩みで、それは今も変わりません。
洋裁の出来るオシャレさんだったので、今でも寒いといいつつズボンをはいてくれない。
気に入らない衣類は着てくれず、難しいです。
かなり記憶の危ない老人でも、自分の姿がイケて無い、のが辛いものらしいです。
死にたい、とおっしゃるのは顔にアザみたいなのが出来たからかもしれません。
こんな顏になってまで、と思うのは我々と変わらない。語彙も少ないから、極端な言葉になってしまうのかもです。アゲアゲで楽しく生きていただきたいですね。
やまこさんへ♪
こんにちは(#^^#)
うちの母も洋裁をしていた人でした。自分が着る服はもちろん、私が小学生のころは私の洋服も作っていました。
やまこさんのコメントを読んで、そうかー、いくつになっても容姿は気になるものなんだよなぁと、改めて気づかされました。
それこそ、自分の容姿すら気にしなくなったときは、本当の認知症なんでしょうね。
母の言葉はあまり本気で受け取らず、かつ、気にしつつ、かつ、さらっと流す・・・がいいのかな。
まだまだ試行錯誤です。
こんにちは~。
お母さまの言葉、聞いている方は辛くなりますね。でも「ふーん、そうなんだ」と静かに受け止めて流していくの、いいな~と思いました。
88歳の父が肺の手術をしてから悲観的になって、聞いてる方も辛い日々だったんですが、ある日料理をして、それを褒められてからハマって、急に元気で明るくなりました。気持ちの持ちようでこんなにちがうんだ~とびっくり。でも、どうしたら気持ちが上向きになるのかが難しいんですよね。
わたしも、のんびりペースで「ふーん、そうなんだ」でいこうと思いました。
さえさんへ♪
お父様、すごいですね!料理をされるんですねー。
それだけでも頭が活性化されますもんね。
うちの母も何か楽しんでできることがあればいいのですけどねー。
昔は料理に裁縫にと、いろいろやっていたんですけどね。
老化は、手先も不器用になるし視力も落ちるし、なによりも気力が失われていくんでしょうね。
私も常に前向きな気持ちでやっていきたいですが・・・。
身体のあちこちが不自由になったら、できるかどうかわかりませんねー。
「ふーん、そうなんだ」と言葉に出して言うと、どんなにイライラする言葉を言われても、わりと受け止めて消化できます。
母との接し方は、あれこれ自分でやって学んでいくしかないですねー・・・。
こんばんは。病気ではなくて、良かったです。
お母様は、顔にアザができて驚かれ、何か悪い病気じゃないかととても不安だったでしょうね。
義父も数ヶ月に一度ですが、手の甲に赤紫の内出血をしてました。痛くないの?って聞いたら、知らない間にできて、痛くも痒くもないそうです。
やはり、加齢で血管がもろく、皮膚の薄いところは、ちょっとした刺激でなるようです。
但し、本当にぶつけたりしてることもあるので、痛みや腫れがあるようでしたら、受診された方がいいですね。
知り合いのお坊さんから聞いた話ですが、仏壇の隣りの部屋に、寝たきりのおばあさんがみえて、お経を読んでると、「死にたーい、あー死にたい」と聞こえてきて参ったと言ってました。
実の娘さんが介護をしてみえて、あまり言うので、冗談で一緒に死にに行こうかと言ったら、死にたくないと言われたとか。笑
その年にならないと理解できない心境ってありますね。若い時には感じない、生きることさえも苦しくなる現実を感じなくてはならない。
お母様もご主人の死、ご自分の認知症、それに顔のアザ。
置き場のない気持ちから、ついそんな言葉が出たんですね。娘だからこそ、甘えたいのかも。
とはいえ、まともに受けとめていては身が持ちません。
お母さん死んだら、私寂しいわと軽く答えれば、丸くおさまるのではないでしょうか。
私自身も、最近加齢とともに、できないことが増えてきました。落ち込みますが、悩んでも仕方ないし、できることからまずやろうと日々暮らしてます。今朝、橋田壽賀子さん91才のアクティブさに刺激を受けた五十女でした。
毎度、長文失礼しました。
ともさんへ♪
「その歳にならないと理解できない心境」本当にその通りだと思いました。
若いころには若いなりの、今は今なりの、そして母には母なりの気持ちが動いているのですよね。
それはどんなに共感しようとも、本当に理解するのは難しいのかもしれません。
だって、私も若いころにはわからなかったことが、今たくさんありますから。
橋田壽賀子さん、91歳なんですか!!いつまでもアクティブに活動している方はアタマも体も若々しいですね。
私も今できることを、可能な限りやっていきたいと思いました。
本当のところはご本人が感じていることで
まわりは察するしかできないですけれど、
皆さんの仰ることひとつひとつに納得、というか、
きっとそうなんだな…と感じました。
もしも、すぐにも病院に行きたかったのだとしたら
人を頼らないと身動き取れないというのも
きっともどかしくつらいでしょうね。
女性脳と男性脳 ── って考え方がありますが、
何かコトがあると
女性脳はまず共感同情してくれることを望み
男性脳はとにかく問題解決にあたる、
傾向があるらしいです。
お母さまは、同情され心配され大切に思われていることを実感したかった…ということはないですか?
実はこれは私が身近に経験したことなんです…
問題を解決してくれる人を頼りはするのだけれど
その冷静で合理的な態度のことを冷たいという人がいました。
例えばこの場合なら
一緒に驚いて不安がりワーワー騒いで、すぐ病院に行こう と言ってくれない…
つまりは「私に親身にしてくれない、優しくしてくれない!」というわけ。
しかもはっきり言わずに、遠回しに罪悪感を持たせるかのような言葉を発します。わざとではないにしても…。
そんな理不尽な´д` ; と思うけれど、
理ではないのですね、情 まさに 感 情 なのです。
穏便な解決法としては
たとえフリでもいいから共感を示して納得させつつ( 見透かされそうで怖いですが )
合理的な解決を探ること…でしたね。
これはあくまで私の経験した例。
もし仮に 当てはまるとしたら。
どこまでその気持ちに添うてあげられるか…ですね。
なんといっても 一番身近で運命共同体であった伴侶を亡くされたばかり…ですものね。
TM♪さんへ♪
「お母さまは、同情され心配され大切に思われていることを実感したかった…ということはないですか?」
まさにその通りだと思います。いや、誰だってきっとそうなんだろうなぁ・・・。これも女性脳ですかね。
誰もが必ず行く道ですが、歳をとるということはいろんな人のお世話になるということでもあると思います。
常に感謝の気持ちを忘れないように暮らしていきたいものです。
そうでしたか…
自分ならどうするか (こんな風にしないぞ〜 ) と
考えてでもいなければヤッテラレナイ気持ちになりますよね。
心中お察しします。
大切にされたいという気持ちに男も女もないと思いますけれど
何をもって大切にされたと感じるかを含めて、全て人それぞれ。
自分の意に沿うようコントロールしようとせず
人は思い通りにはならないものと認めた方が、
周囲のみならず本人も 心穏やか幸せに過ごせるだろうなとは思います。
どうしても連れて行ってほしいとき
不安でたまらないから、忙しいところ申し訳ないけど 病院へ連れてってくれない?
ただお願いして待てばいいんですものね。
周りを見ていると、
そういった まぁるいお人柄の年寄りになるのも
なかなか難しいみたい(笑)。…少ないです!!←心の叫び!
私、頼る身内(老いたとき)はいない身、甘える先はないと肝に命じてやっていかないとだ! (笑)
空花さん、お身内には現状報告しつつ
ブログでは 憂さを発散しつつ、乗り切ってくださいね。