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認知症の母と娘の役割|施設入所で手放せた「背負う介護」

親の変化に気づいたとき、胸の奥がギュッと締めつけられるような瞬間があります。

「いつから、こうなっていたのだろう」
「どうして、こんなに不安なのだろう」

はっきりした答えは見つからないまま、日々の小さな違和感をやり過ごし、気づけば、親と子の役割は静かに入れ替わっていました。

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介護という言葉を使う前の時間

私はただ、“娘として”母と向き合っていたつもりでした。

けれど振り返ると、その中で知らないうちに背負っていたもの、手放せずにいた気持ちが、ずっと心の奥に残っていたのだと思います。

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気づけば、娘ではなく「守る人」になっていた

父が急逝してから、私は自然と母の通帳を管理し、予定を把握し、暮らしの安全を見守るようになっていました。

誰に頼まれたわけでもありません。

ただ、「私がやらなければ」と思っただけです。

思い返せば、その頃の私はすでに、「母の娘」というより、「母の保護者」のような気持ちになっていたのだと思います。

母の変化は、静かに、けれど確実に始まっていました。

・約束した日を忘れること

・料理の味が急に変わること

・「聞いていない」と、強く怒ること

そのひとつひとつを、私は「年齢のせい」と自分に言い聞かせていました。

けれど今なら分かります。
あれは、崩れ始めた世界の中で、必死に踏ん張ろうとしていた母の姿でした。

増えていった役割、減っていった「娘の時間」

父の死後、母が介護認定を受けてから、変化はさらに明確になっていきました。

・同じ話を繰り返す

・物の置き場所が分からなくなる

・日付を何度も新聞で確かめる

外出も人付き合いも減り、母の世界は、少しずつ狭くなっていきました。

そのたびに私は、ひとつ、またひとつと役割を引き受けていきました。

・できているか確認する人

・失敗をフォローする人

・代わりに判断する人

そうして、「娘でいる時間」は、音もなく、確実に減っていったのです。

役割を手放すまでの、長い時間

90歳を過ぎた頃から、母の暮らしには、はっきりとした危険が見え始めました。

・水の出しっぱなし

・転んだ記憶がないこと

・入れ歯洗浄剤を薬と思って飲んでしまったこと

それでも母は、「私は大丈夫」と言い続けました。

私は悩みながら、それでも決断しなければなりませんでした。

あの頃の私は、娘というより、できるだけ感情を抑えた第三者のような気持ちで、母を見ていた気がします。

92歳で母が施設に入ったあとも、私の中の役割は、すぐには消えませんでした。

「これでよかったのだろうか」
「もっと頑張れたのではないか」

管理も判断も、もう私の仕事ではないはずなのに、心だけが、過去に取り残されたままでした。

面会の日に訪れた、小さな救い

先日、面会に行ったときのことです。

母は、手すりにもつかまらず歩いてきて、穏やかな表情で私を迎えてくれました。

いつものように同じ話を繰り返し、いつものように同じ質問を何度もする母。

私はただ、相槌を打ち、その話を受け止めていました。

帰り際、母が言いました。

「車で来たの?」「気をつけて帰りなさいね」

その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が、ふっと温かくなりました。

ああ、私はもう、母の保護者できなくてもいいのだと。

管理する人でも、判断する人でも、背負う人でもなくていい。

これからは、

会いに行く人。話を聞く人。「気をつけてね」と言われる娘。

それでいいのだと、ようやく心から思えたのです。

役割を手放すと、関係はやさしくなる

今、施設という場所が、母の暮らしを静かに支えてくれています。

だから私は、安心して「娘」に戻ることができます。

母の話が現実と違っていても、訂正する必要はありません。

何度も同じ話を聞いても、ただうなずき、その時間を一緒に過ごす。

背負いすぎず、離れすぎず、今の私にできる形で、母と向き合っていければ、それで十分だと感じています。

役割は変わっても、娘であることだけは、これからもずっとと続いていくのだと思います。

 

 

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コメント

  1. さくらゆ より:

    母の週末介護が始まってから、もうすぐ2度目のお正月を迎えます。母が元気だった頃の思い出が、だんだん遠い思い出になりつつあります。この2年間、現実を受け止められなくて、母を拒絶したり、恨んだり、でも不憫に感じることもあったり…未だに整理できない思いがあるけれど、私の気持ちも少しずつ変化しつつあります。
    正解なんてない。ただ正解だと思えるように、今できることを誠実にやっていくだけなのかな…と思っています。
    今年も、そらはなさんのブログにパワーをもらい(←影響を受けやすい私)、時間をつくって旅行に行くことができました。美味しいものや温泉、雄大な自然に心癒されました。
    来年も、いろんなことを共有できたら嬉しいです。

    どうぞ、よいお年を♪

    • そらはな より:

      さくらゆさんへ
      あたたかい言葉をありがとうございます。
      お母さまとのこの2年間、揺れる気持ちの中で過ごされてきたこと、本当にお疲れさまです。
      受け止めきれない思いや迷いがあるのは、とても自然なことだと思います。
      「正解はないけれど、今できることを誠実に」
      その姿勢こそが、もう十分すぎるほどだと感じました。
      私も、そうありたいと思います。
      旅行で心が癒されたことも、何より大切な時間ですね。
      来年も、いろんなことを共有できたら嬉しいです。
      どうぞ、よいお年をお迎えください♪