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母が認知症となってから5年の歳月で学んだこと

母が認知症かもしれないと気付いたのは、父が亡くなった直後。
同じ話を何度も繰り返す、数分前の出来事を覚えていない、突然怒りだすなど、いろいろな症状が出始めました。

私は、母の不安が少しでも解消できるよう、なんでも母に話し相談しようとしました。
それが母の不安を和らげることができる解決策だと思っていたからです。

しかし、それは結果的には良くなかったことでした。

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父の急逝

「胸が苦しい」と言った父を病院へ運んでわずか1時間後。
父は亡くなってしまいました。

前日、脚立に登り庭木の剪定をしていた父。
3日前には定例の町内会へ出向き、あれこれ話し合いをしていた父。
2週間前には車の運転免許証の更新をした父。
1カ月前には、友人たちと温泉旅行へ出かけた父。
2か月前には、出来上がったマイナンバーカードを手に喜んでいた父。

好奇心旺盛で活動的な父が、あまりにも突然亡くなってしまったので、母は憔悴し混乱しました。
そして、すべてを私に丸投げしたのです。

それまで、家計管理は母がしてきたというのに、父が亡くなってから母は何もできなくなりました。

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なんでも母に相談するようにしたけれど…

父が亡くなったあとの手続きは、それはもう大変でした。
遺族年金の申請、相続税の申告、不動産の名義変更、預貯金の解約、町内会の仕事の引継ぎ、遺品整理と片付けなどなど、すべて私が一人で行いました。
週に1度か2度の休日をすべてそれらに費やしていたので、父の死を悲しむ暇なんてありません。

そして、混乱する母の不安を少しでも解消するべく、私はなんでも母に相談し母の意見を求めました。
私が自分勝手に手続きを進めているのではなく、母のことを尊重しているのだということを、母にわかってもらいたかったのだと思います。

しかし、結果的にこれがいけませんでした。

母へ話すのはやめた

認知症になると、理解力、判断力が低下します。
そんな母に、お金はどの口座に移すとか、名義はどうするとか、あれこれ相談したことで、母はますます混乱したのだと思います。

ついには私を「財産を狙う泥棒だ」と言い放ち、そこで初めて私は母が認知症であることを悟ったのです。

以来、母に相談することはやめました。
なんでも話すのは得策でないのだとわかりました。

母にとって良いこと、うれしいことだけ話す。
それ以外の話は言わない。
面倒な手続き関係も、すべて私が母に黙って処理すればいいのです。

母を騙しているのではありません。
母が平穏に暮らせるための手続きを、母が知らない間に整えるだけ。

こうすることで、母の穏やかな暮らしは保証され、不安になることもありません。
母が毎日を同じように淡々と過ごせること。
これが母にとっても、私にとっても、お互いが穏やかに暮らせる方法です。

5年の歳月が流れ

自分を育ててくれた親、自分の指標となってくれた親が、認知症となった時、母以上に混乱したのは私でもありました。
たくさん泣いたし、たくさん悔しい思いもしたし、腹が立って眠れない夜もあったけれど、きっと母も同じ思いをしたはずです。

今でも、時々予期せぬ出来事が起こり、何度も繰り返し同じ話をして不安を訴える母ですが、それでも5年前に比べたら穏やかで平和な毎日に感謝しています。

来年、父の七回忌を迎えます。

 

コメント

  1. 匿名 より:

    そらはなさん、本当によくなさいましたよね。ご尊父様も天国からそうお思いでしょう。

    私が見聞きする狭い範囲で思っていることに過ぎませんが…
    人って生きたように老いる、って感じています。
    認知症になったとしてもそれは変わらない気がします。もちろんなりたくてなったわけではないだろうけれど。
    例えば
    メンドクサイことは何でも妻に丸投げし続けてきた男性が
    80を前に妻が癌と診断されたと同時に認知症発症。
    優しい言い方をすれば「それほどまでにショックだったのかしらね」
    辛辣に言えば「どんな手段でも面倒からは逃げるのね」
    闘病の世話も認知症の介護も何年もの間一人娘さんが負って、彼は幼な子になって暮らしています。
    娘さん、離婚しました。

    そして
    本質を抑え込んで嘘偽りの自分を生きていたとしたら、理性が弱ったときに爆発するんじゃないでしょうか。
    日々心して生きねば!

    • そらはな より:

      匿名さんへ♪
      「生きたように老いる」って、心に刺さりますねぇ・・・。
      たとえ認知症になっても、素直な心でいられたらいいなぁ・・・と思うのですが、理性を失ったらそれもできなくなるのかなぁ。
      日々心して生きるって大事ですね。

  2. とも より:

    そらはなさん、こんばんは。
    来年7回忌ですか。本当に早いです。

    当時、私も義父を見送った直後でした。同じように一人で諸々の手続きをしました。そんな時、そらはなさんのブログに出会い、おせっかいとは思いつつ、私の介護経験で得た情報をコメントしてましたね。
    そらはなさん、精神的にまいってましたね。お母様の混乱が認知症からきていと頭ではわかっていても、親子ならではの複雑な感情に振り回されてましたね。
    今、私も両親の遠距離介護を始めて、親子の感情の渦に巻き込まれています。割り切ることの難しさも。
    年老いると、心身ともに思い通りにならないことがあります。
    そんな時、両親は本心かどうかはわかりませんが、早くあっちに逝きたいと言います。
    その言葉を聞くと、とても辛くなります。同居していれば、もっと幸せだろうか?晩年に生きることが辛いのは、配慮がたりないから?などなど、現実にはどうしようもないことはわかっていますが、ぐるぐると巡ります。
    いつまで続くのという思いと、残りの時間をお互いに幸せに感じたいという思い。ほんとに親子は複雑です。

    これからもお互いぼちぼちと頑張りましょう

    • そらはな より:

      ともさんへ♪
      こんにちは(#^^#)
      おせっかいだなんて、とんでもない!
      いろいろな情報が共有でき、私も心強かったです。
      認知症って、本当にやっかいな病気だと思っています。
      おそらく、これが他人であり、仕事として接するのであれば私も全然平気なんだと思います。
      しかし、親子であるからこそ、複雑な心境が絡み合って、うまくいかなくなることが多いのでしょうね。
      ともさんのご両親の「逝きたい」という言葉は、子どもであるがゆえ、傷つきますよね。
      自分の対応が悪いからでは?と、自分を責めたくもなりますよね。
      私も同じような想いをしています。
      でも、親の感情は親のもの、私の感情は私のもの。だから切り離して考えるしかないです。
      なにをやってもどうやっても、やはり親が亡くなると後悔は必ずあると思いますから・・・。
      毎日、淡々と・・・そんな感じでやっています。