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要支援認定更新のための病院受診 介護とはお互いを理解することから始まる

要支援認定更新のため、母を病院へ連れていきました。
「主治医意見書」を書いてもらうため、一通りの検査をしなければなりません。

前日まで「行くのめんどうだ」とか「行きたくない」とかブツブツ言っていた母ですが、いざ病院へ行くと、シャキシャキ答えるし、がんばって歩いていました。

あとはケアマネさんの訪問調査を待つばかりです。

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要支援認定更新の流れ

市町村によって若干手続き方法は異なるようですが、私の住む地域の要支援認定更新手続きの流れは以下の通りでした。

1.市役所から更新手続き案内が封書で届く

母の介護保険証の有効期限は、1年前の7月~今年の6月末まででした。
更新手続き案内の封書は5月中旬に届き、更新手続きは6月末日までにするようにと記載されていました。

2.市役所で更新手続き

更新届けに、住所・氏名、現在の状態やかかりつけ医を記入し、介護保険証と一緒に窓口へ提出しました。
介護保険証はいったん市役所のほうで預かりとなります。

3.病院から電話が入る

翌日、母のかかりつけ医から電話があり、介護認定更新のための診察日をいつにするかと聞かれました。

4.病院受診

予定していた日に受診し、採血、レントゲン検査、心電図などの一通りの検査をしました。
意見書作成のため、母の最近の様子を看護師に聞かれました。
現在の日常生活の様子や足の状態。物忘れの程度など。
この主治医意見書は、病院のほうから市役所へ送られ、後日ケアマネさんの訪問調査があります。

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認知障害と気付くまで

母の物忘れの程度は、1年前と比べてむしろ改善したかと思えるくらい、最近の母は調子が良いのです。
1年前の今頃は、父が急逝したばかりで母も混乱していました。それでも進めなければならない手続きは山のようにあり、母に意見を求めると理解力・判断力が著しく衰えていた母は、パニックとなりいつも怒ってばかりいました。

軽度認知障害なのだと私が理解するまで時間を要したので、私の母に対する対応も悪かったのだと思います。
こんなに必死に、こんなに一生懸命やっているのに、なんで母はわかってくれないのだろう・・・と、私もいつも不満ばかりを抱えていました。

母の元来の性格、そして認知障害による物忘れは、もう変えることはできないので、私の対応を変えるしかないのだと気づいたのは、父が亡くなって3か月も過ぎた頃でしょうか。

頭では理解しても、それを行動に移せるまでは、忍耐・忍耐・忍耐でしたが。

気力の衰え

父の一周忌が過ぎ、暖かな気候とともに、母もずいぶん穏やかになり、以前のように怒ったりすることがなくなりました。
受け答えも、最近びっくりするくらい覚えていると感じることが多々あります。

しかし、気力の衰えはどんどん進んでいるようにも思います。
何を聞いても「適当にやっておいて」「なんでもいいよ」という答え。

判断力の低下とともに、思考力も衰えてくるんですね。
毎日、新聞は欠かさず目を通していますが、どこまで内容を理解しているかはわかりません。

介護とはお互いに理解すること

母が病院受診をした帰り、お蕎麦屋さんに寄りました。
母とお蕎麦をすすりながら、いろんな話をしました。

母の父親と最初に結婚した女性は、1か月も経たないうちに家を出ていき、その後お嫁にきた女性は17歳だったこと。その女性が私の祖母になるのですが、祖父が再婚だったということは初めて知った私。

母の祖父は、ハオリハカマが当たり前だった明治時代に、当時としてはめずらしいズボンを履いていたこと。
母が子どものころよく遊びにいった場所、母の従妹のこと、などなど。

それから話は昨年亡くなった父のことになり、父が亡くなったあの朝、「あんたたち(私と夫)が仕事に行く前で、家にいてくれてほんとによかった」と母は言い、「私が病院へ行ったとき、お父さんが私をみて手を挙げて、それからパタッと亡くなったんだよね」と、しみじみと語りました。

本当は、母が病院へ到着するまで心臓マッサージを続けてくれるよう医師に頼んだのは私で、母が到着した時には心臓マッサージの真っ最中で、父が手を挙げたというのも、母を見たというのも、実際にはそんなことはないのですけどね。

でも、母の記憶がそのようになっているのなら、それでいいんです。
母と私の間に、とても穏やかな時間が流れていて、それがとっても心地よかったんだもの。

 

育児とは「育自」とも言い、子どもを育てながら自分も育つと言いますよね。
介護は、「介助」して「護る」ということですが、その前提には「お互い」を「理解する」ことから始まる解互(かいご)という字も当てはまるんじゃないかなぁ。

母がこれからも穏やかに暮らせるためには、私はもっと母のことを知って理解しなければならないのだと、蕎麦湯を飲みながら思ったのでした。

 

コメント

  1. とも より:

    更新の手続き、お疲れ様でした。
    お母様、嫌がらずに受診されてる良かったですね。私も義父が数日前から、受診してくれるかなぁと気が気でなかったです。

    解互って、素敵な言葉ですね。子供の知ってる親は、親になってからの記憶ですし、それまでの人生は知らないことが多いですね。
    話の端々に、親とのわだかまりが解けるようなヒントがあったり、気づくこともあったりです。

    最近感じるのは、両親も80歳を超えて、共有できる時間が少なくなってきたことです。当たり前のことですが。
    今だに本気のケンカもしますが、こちらが大人にならなくちゃと思います。50歳を過ぎて、やっと精神的に親離れでき、1人の人格として理解したいと思うようになりました。不思議なことに息子に対しても同じ気持ちになっています。
    たぶん、まわりの人が変わったのでなく、私の考え方が変化したからなんでしょうね。
    両親にとって私は、いつまでも幼子のような気持ちでしょう。以前の私なら、もう大人なんだからと反発してましたが、子供でいてあげる方が親孝行なのかしら?と大きな心持ちで接したいと思います。

    • そらはな より:

      ともさんへ♪
      ささいな言葉に傷ついたり、いつまでもわだかまりを持っていることも、結局はお互いの言葉でしか解決できないのですよね。
      わかっちゃいるけど、言葉って難しい~。
      でも、私も親の言動で嫌だなって思ったことは、子どもにはしないようにしたいと思ってます。

  2. 爽和 より:

    そらはな様
    ブログを読ませていただき、はじめてお便りいたします。
    お父様のこと、残されたお母様との日々を、ありのままに文字に起こされていることに大変感動いたしました。
    わたくしは、看護学校で教員をしております。
    ご高齢者の方々についての話をしても、若い世代はなかなかピンとこないようで、どうしたらよいか悩みつつ、授業をしているところです。
    もし、お許しがいただけるのであれば、ブログの一部を授業の資料として利用させていただけないでしょうか?
    大変図々しいお願いですが、宜しくお願いいたします。

    • そらはな より:

      爽和さんへ♪
      はじめまして(#^^#)
      将来を支えてくれる人材を育てていらっしゃるのですね。ご苦労もたくさんあることでしょう。
      授業の資料として使いたいとのことですが、具体的にどの部分なのか教えていただけないでしょうか。
      よろしければ、「お問い合わせ・連絡フォーム」よりご連絡くださればと思います。